ぽつぽつ (2) | ||||||||||||||||||||||||
|
驚いた。歌持が弾けている。 「トヨさん、家で練習しているんですね」 調弦はアキちゃんにお願いして、家で練習しているんだって。熱心だ。ん?だったら、ボクが教えるよりも、アキちゃんが教えた方がいいんじゃないか?まあ、ボクがトヨさんからいろいろ教えてもらっていることもあるわけで、感謝しているんだけれど。 さて、歌持ができれば、あとは歌いながら演奏ということになる。でも、問題があった。トヨさんは、リズムをとるのが苦手だ。 ボクなら、〈四〉で「てぃ」といったように、三線の音に合わせて、声を出そうとする。でも、トヨさんはそれがむずかしい。歌い始めると、三線のリズムがわからなくなるんだ。そこで、逆にすることを思いついた。
歌を覚えているトヨさんには、この方がうまくいくようだった。それでも、時間がかかる。結局、この日は『うぷゆてぃら』までで終わってしまった。いいんだ。ゆっくり、楽しみながら。それでいい。 「ゆっくり行きましょう」 「うん。そうだけどね」 言葉が途切れた。思い悩むような声だった。
トヨさんは、工工四を見たままつぶやいた。 「間に合わないかもしれないねえ」 間に合わない?何に?ボクはトヨさんを見つめたままだった。ボクは、恐る恐る聞いてみた。 「おじいさん・・・ですか」 「ん?オジイ?ああ、オジイはよ、南星園に入っているわけ」 ああ、やっぱり。そうだったのか。南星園は、特別養護老人ホームだ。 おじいさんは、トヨさんと一緒に暮らしているのではなくて、南星園に入っていたんだ。「間に合わないかも」というのは、おじいさんの体にもしものことがあったら聞かせることができないという意味にちがいない。きっと、寝たきりのおじいさんが、最後に宮古島の歌が聴きたい。愛する妻の声で、妻の三線で、ふる里の歌『とうがにあやぐ』が聞きたいと言ったのだろう。いや、もしかすると、おじいさんはそんなことが言える容態ではないのかもしれない。「間に合わないかも」という言葉は、時間がない。猶予がない。そういうことだ。この歌が夫婦の最後の思い出になるのかもしれない。歌を聴かせることが、最後まで夫婦が夫婦であったという証になるのかもしれない。 トヨさんは、初めてあったとき、迷わず『とうがにあやぐ』と言った。ゆっくりと初心者向きの歌から始めるのではなくて、いきなり『とうがにあやぐ』を選択したのも、間に合わせたいからだったんだ。ボクは、トヨさんの気持ちに応えなければならないんだ。 ボクは息を吸い込んだまま、しばらくはき出せずにいた。そんなボクに気づかないのか、トヨさんは、歌持を弾いていた。 「間に合いますよ」 息を吐き出しながら、ボクは小さな声でそう言うしかなかった。 (3)へ |