2007年9月6日〜10月6日 9ページ目 /15
ブカレスト
初日の9月6日にルーマニア入国した時、“国民の館見学ツアー“は、会議開催の為、見学ツアー中止でした。
明日は隣国のブルガリアへ移動の為、今日しか見学のチャンスが無い、という事で、夕方から出掛けました。
日程表 : ルーマニア 通貨:(1RON=48円) <値段表記はチップや飲み物代含む>
日程 |
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都 市 名 |
移動距離 km |
滞在日数 |
スケジュール |
9月 |
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(19)、20日 |
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ブカレスト |
406 |
1泊と半日 |
2週間のルーマニア周遊の後、しばし休息し、一泊後、南の隣国:ブルガリア周遊へ出発 |
午前中の、大主教教会見学
旅程16日目の9月21日 朝9時、夜行列車の疲れも忘れ、再訪のブカレスト・“IBIS BUCURESTI NORD”ホテルを飛び出し、
前回購入の地下鉄回数券の未使用分で統一広場駅下車し、大主教教会見学へ。
統一広場から緩やかな坂を登った丘の上に建ち、屋根の上に3つのドームが並ぶ立派なギリシャ正教の教会です。
1650年頃、創設され、今は大主教教会として、多くの信者が訪れます。現在は壁面の修復中でした。 @65E=\11.
坂を登ると3つのドームが見えてきます |
3つの本堂は、現在修復中でした |
教会入り口の上段のフレスコ画 |
ランチとお昼寝の後、“国民の館“見学へ
面積33万平方メートル、部屋数3107室と、ペンタゴンに次ぐ世界で第2位の広さを持つ巨大な宮殿。
独裁者・故チャウシャスク大統領が共産党時代、当時の金にして1,500億円を投じて造らせ、プライ
ベートルームとして利用していた。当時は国の経済は困窮しており、費用捻出のため、さらに国民を苦しめ
たといわれ、積もった国民の不満から1989年12月、民主化革命が起こりました。
内部はルーマニア中から集められた白やピンク、黒等の色の大理石や、豪華な金の装飾、クリスタルのシャン
デリアなど、贅の限りが尽くされています。
見学は一時間ほどのガイド付きのツアー(英語ツアー・15RON=720円、)で、入り口で厳重なX線チェックを
受けた後、50人ほどのツアー客と一緒に、ガイドの案内で館内に入りました。天井が高く、広くて、次々
と現われる部屋の豪華さに圧倒されます。
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6メートル幅の統一大通りの向うの突き当たり正面に見える四角の巨大な建物が国民の館 |
国民の館の2階のバルコニーから見る統一大通り(パリのシャンゼリゼ大通りをそっくり真似をしたとのことです) |
部屋数3107室、現在は格政党のオフィイスや、国際会議、コンサートに使われています。 |
国民の館・内部見学ツア−・1
長い廊下を行くと、天井の高い、広い部屋が次々と現れる、絨毯は部屋があまりに広いために、この場で織らせたと言います。
国民の館・内部見学ツア−・2
豪華なシャンデリアの数々、装飾を施された天井や、壁
国民の館・内部見学ツア−・3
壁、床、階段、手すり等、いたるところに大理石の使われています
総大理石の壁、階段、手すり、床 |
2階にある大バルコニーも総大理石 |
シュテファン大公の胸像(7頁参考にね) |
旅程16日目の 2007/9/21 19:00 pm
午前中の大主教教会見学後、ランチしてからホテルで一休み、前日のヤシからブカレストまでの
6時間の夜行列車の疲れからかしら、軽い昼寝の積りが目が覚めたのが、午後4時前、あわてて
地下鉄に乗って国民の館まで行き、辛うじて最終の見学ツアーに参加できました。
ルーマニア最後の夕食は野菜スープ、チキンのグリル、サラダでした。(28RON=1,300円)
明日は隣国、ブルガリアへ出国します。
ルーマニア
1ページ ブカレスト |
6ページ クルージ・ナポカ |
2ページ シナイア |
7ページ グラ・フモール 1P |
3ページ ブラショフ |
7ページ グラ・フモール 2P |
4ページ シビウ |
8ページ ヤシ |
5ページ シギショアラ |
9ページ ブカレスト |
ブルガリア 以下準備中
10ページ ルセ |
14ページ プロヴディフ |
11ページ ヴェリコ・タルノヴォ |
15ページの1 リラの僧院 |
12ページ カザンラク |
15ページの2 ソフィア |
13ページ コプリフシティツア |
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