2007年9月6日〜10月6日
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ブカレスト
今年2007年にルーマニア、ブルガリアともに、EU加盟、他のヨーロッパ諸国に追いつこうとしています。
そこで、ヨーロッパ化する前の二カ国旅行を計画しました。
日程表 : ルーマニア 通貨:(1RON=48円) <値段表記はチップや飲み物代含む>
日程 |
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都 市 名 |
移動距離 km |
滞在日数 |
スケジュール |
9月 6日 |
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イスタンブール経由、ブカレスト |
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6日午後12時の深夜便で関空離陸、イスタンブール経由、翌7日朝10時到着予定 |
7, 8日 |
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ブカレスト |
8,000 |
2泊 |
ルーマニアの首都・ブカレスト、かっては「バルカンの小パリ」と称された名残を残しています。 |
6日の深夜関空を出発して、翌朝7時、経由地のイスタンブール到着、乗り継ぎ時間が2時間しかなく、又、空港が超満員で
焦りまくったけれど、無事一時間後・ブカレスト到着。クレジットカードでルーマニア紙幣(1RON=48円)・当座の資金をキャッシングし、
売店でミネラルウオーター購入してから、タクシー(乗車20分、65RON=\3,120)で、11 時前にホテルチェックイン、部屋で一休みした後、
早速市内見学しました。(時差ぼけは一切無し、ほとほと能天気)。ホテルは次の移動<シナイアへの列車利用>を考えて、ノルド駅
そばの「Ibis Hotel」で2連泊。(ルーマニア周遊後の2週間後もここで宿泊) @65E=\10
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ブカレスト・ノルド駅: 国際列車や、国内列車が発着 し、朝早くから大勢の旅行者で混雑していました。駅構内には、24時間営業のマクドナルドや、レストランなどでに賑やかでしたよ。 |
上段:ルーマニア国鉄・切符(9/9のシナイア行、2等車・121Km、27RON=\1,300)と紙幣(1RONと50RON)(キティの消しゴムは自前<旅行用>) |
革命広場にある旧共産党本部: 1989年12月、故チャウシェスク大統領がここの屋上からヘリコプターで逃亡、後に逮捕、処刑され民主化革命が成立した事は、日本でも報道されました。前庭にその時の犠牲者の慰霊碑がありました。 |
アテネ音楽堂:ブカレストの中心地に位置する革命広場を取り囲むように共和国宮殿や旧共産党本部、ホテルなどが建っています |
(地下鉄10回券カード(7RON=\336)購入し、北に、南にと動き回りました。又、トラムは一律1.1RON=53円、二カ国とも
交通機関は安くて、日本の1/3から1/4位、)、乗車後、車内のパンチ機で各自でパンチ、これをしないと無賃乗車(滞在中、
二回の抜き打ち検札を体験、又摘発場面も目撃、違反者は即刻降車させられてました。罰金制、罰金額は不明)
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凱旋門:1919年に第一次世界大戦勝利を記念して建造されました。空港から市内に入る時に車窓から見ることが出来ます。 |
農村博物館:ルーマニア各地の農村から18,19世紀の農家や教会を移築した、野外博物館(広大な敷地に297棟も展示され、湖や、木造教会もあり、まるでタイムスリップしたような感覚でした。) |
農民博物館:18,19世紀の農民の生活文化を紹介した博物館、(地下にはチャウシェスクやスターリンの肖像画が飾られていました。) |
旧王宮跡:小説ドラキュラ伯爵のモデル では、といわれる“ヴラド3世”が15世紀に築いた砦の跡、火事で大部分は焼失、かろうじて残った地下部分が当時の面影を残しています。 |
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故チャウシェスク大統領が作らせた“国民の館”見学:
地下鉄“Piata Unirii”駅から、統一大通りを歩いて20分、やっと着いたけれど、でもこの二日間は会議があるからと
見学ツアー中止の掲示板!!、私の後からも、ドイツ人の旅行者が来ていました。“今日は残念ね“と言いつつ、解散。
2週間後のお楽しみにしておきます。
ルーマニア
1ページ ブカレスト |
6ページ クルージ・ナポカ |
2ページ シナイア |
7ページ グラ・フモール 1P |
3ページ ブラショフ |
7ページ グラ・フモール 2P |
4ページ シビウ |
8ページ ヤシ |
5ページ シギショアラ |
9ページ ブカレスト |
ブルガリア 以下準備中
10ページ ルセ |
14ページ プロヴディフ |
11ページ ヴェリコ・タルノヴォ |
15ページの1 リラの僧院 |
12ページ カザンラク |
15ページの2 ソフィア |
13ページ コプリフシティツア |
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