2007年9月6日〜10月6日
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シビウ
ルーマニアの中央部・トランシルヴァニアには多くのドイツ系の街があります。
11世紀から12世紀にかけて、ハンガリー王の要請を受けてザクセン人(ドイツ人)が入植して、商工業を発展させ、
15世紀以降、中央ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ交通の要衝にあり、商業都市として栄えました。ここシビウをはじめ
ブラショフ(3ページ)やシギショアラ(5ページ)、クルージ・ナポカ(6ページ)など、現在も美しい街並が残っています。
日程表 : ルーマニア 通貨:(1RON=48円) <値段表記はチップや飲み物代含む>
日程 |
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都 市 名 |
移動距離 km |
滞在日数 |
スケジュール |
9月 |
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13日 |
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シビウ |
120 |
1 |
ドイツ人移民の政治的中心地だった中世の商業都市 |
旅程8日目、ブラショフから、朝9時半発のバス・前回と同型のマイクロバス・(バス代15RON=720円、路線バス>でシビウ迄3時間、
<途中トイレ休憩なし、ひたすら苦行!の三時間>でも途中の景観(山岳地、平野や美しい田園風景、時には荷馬車を眺めながらの
ひと時のドライブ)を十二分に楽しみました。昼一時、シビウのホテル“HOTEL Apollo Hermannstadt ”到着、旧市街から徒歩で
15分のこのホテル、ネットで探し予約したけど、新築のモダンな設計のステキなホテルで、気持ちよく滞在しました。
@85$=\10.
シビウの旧市街は、丘の上にある大広場と、小広場を中心に石畳の道と、石段がいくつも延び、両脇には赤い瓦屋根の民家が並び、中世の面影が一杯でした * |
続き: 大広場は、15世紀の商家に囲まれ、写真右は1588年建設の時計塔で、下に大広場と、小広場の往来の為のトンネルがあります。 |
続き: 1989年12月の民主化革命でここでも銃撃戦があり、多数の犠牲者が出て、広場には慰霊の十字架がたっています。 |
小広場にある“うそつき橋”<この橋の上でうそをつくと、橋が崩れてしまうという伝説>、後方の建物には、シビウ独特の屋根に煙り抜きの穴が三つ、こちらをじっと見ているようです。 |
ここシビウは、旧市街の大広場・小広場に建つ中世の商家の華麗な建物、その周囲には屋根に目を付けた独特の民家が並ぶ
メルヘンチックな街で、又南側にはオスマントルコの侵略を防ぐために建てられた城壁が残り、中世にタイムスリップ !!
明日の夕刻のシギショアラへのバスの時間までたっぷり観光を楽しみました。
福音教会 *: 巨大なゴシック建築で14世紀にドイツ商人達が200年かけて建設、独特の塔が威風を放ってます。 |
続き: 福音教会は旧市街の丘の上にあり、どの道を通っても、どこからでも立派な搭が目立つます |
続き: 街の南側にも足を伸ばしました。ここからでも福音教会の緑色の屋根が見えます。 |
小広場の古い商家の屋根: ここは五つの煙抜きの穴が潤んだ瞳のようで飽かず眺めていました。右の車も可愛かったよ。 |
*
福音教会:
内部にはバロック様式の祭壇があり、6002本のパイプオルガンがあります。
(『吸血鬼ドラキュラ』のモデルで知られるツェペシュ公の息子、ミフネア悪行公(在位1508〜1509)の墓があります。
彼は1510年、この教会のミサに出席したあと、この街で暗殺された為、この教会に葬られています。
大広場と統一広場を結ぶバルチェスク通りは、華やかな繁華街で、しゃれたカフェやレストランが多い。とある、素敵な建物 |
続き: 同じ通りには行列のできるパン屋さんも、(もちろん、私も並んで買いましたよ、熱々で美味でした。) |
続き:横道で、時代劇のリハーサル中を発見、民衆と警官?との小競り合い場面を何度も練習してました。 |
続き: 同 |
老舗のレストラン<Casa Luxemburg>で飲んだコーヒー(生クリームが甘くておいしかったよ)
ルーマニア
1ページ ブカレスト |
6ページ クルージ・ナポカ |
2ページ シナイア |
7ページ グラ・フモール 1P |
3ページ ブラショフ |
7ページ グラ・フモール 2P |
4ページ シビウ |
8ページ ヤシ |
5ページ シギショアラ |
9ページ ブカレスト |
ブルガリア 以下準備中
10ページ ルセ |
14ページ プロヴディフ |
11ページ ヴェリコ・タルノヴォ |
15ページの1 リラの僧院 |
12ページ カザンラク |
15ページの2 ソフィア |
13ページ コプリフシティツア |
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