2007年9月6日〜10月6日
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ブラショフ
ルーマニア第二の都市・ブラショフは、今も中世の街並を残した美しい古都です。
トランシルヴァニア山地に囲まれ、爽やかな空気にあふれ、旧市街にはドイツ風の中世の建物が一杯。
日程表 : ルーマニア 通貨:(1RON=48円) <値段表記はチップや飲み物代含む>
日程 |
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都 市 名 |
移動距離 km |
滞在日数 |
スケジュール |
9月 |
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10,11,12日 |
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ブラショフ |
45 |
3泊 |
中世の街並を残した美しい古都、ドラキュラゆかりのブラン城見学 |
旅程5日目、午前中のシナイア観光後、ブカレスト始発の、シナイア経由のバス(シナイア駅前でひたすらブカレスト方面を
見つめて一時間のバス待ち(運行ダイヤはありません。))<15人乗りのマイクロバス<運転はうまいがスピード狂?、スリル
あるドライブを楽しみました。ほぼ満員で出発>(バス代6RON=300円>でブラショフ迄一時間、ここ3連泊ブラショフのホテル
“COROANA HOTEL”に午後4時到着、老舗ホテルで築後100年、旧市街のメインストリートに面し、ホテルの前は歩行者天国、朝に晩に
3F(実質4階)のベランダから、通りや黒の教会をあかず、眺めていました。満足、満足!
@45E=\7.5
旧市街の玄関口に建つ“Aro Palace Hotel”:一番の高級ホテル<右の山の頂に“BRASOV”の看板が、、> |
街の中心“スファトルイ広場”に延びる通り(車が通れる道路) |
ベランダから前の通りを見る: 歩行者天国のレプブリチ通り |
ブラショフ要塞博物館: 街のはずれに建つ16世紀建立の要塞跡 |
*
中世ドイツ風建物とスケイ地区の事:
ブラショフの街は、13世紀にドイツ人が入植し街を建設、先住ルーマニア人達は街の南西側(スケイ地区)に
移住させられた。その時、その入り口に建てられたのがスケイ門、ルーマニア人達は特別な許可がなければ、
この門から中に入れなかったという。その後ルーマニア人、ハンガリー人の3民族によって発展、中心部の
旧市街には今もドイツ風の美しい建物が残っています。
夜の“スファトルイ広場”: 黒の教会(15世紀に80年かけて建立された。1689年にハプスブルク軍の攻撃で外壁が黒こげになった事から、この名がついた。)と、中世ドイツ風建物 * |
夜の“スファトルイ広場”: 1420年建立の旧市庁舎<現在は歴史博物館として利用されてます> |
スケイ門: * 街の中心から徒歩で15分程のスケイ地区に建つスケイ門 |
“聖ニコラエ教会” スケイ地区に建つ、14世紀建立のルーマニア正教の教会 |
ブラショフから南西30Kmにあるブラン城見学:滞在2日目、タクシーの客引き(往復20ユーロー=3,000円)の声を振り払い、
バス(片道3.5RON=170円)で30分、静かなたたずまいのブラン村の山上にあるブラン城到着、この城は、
1377年にドイツ商人がオスマン朝(トルコ)軍をいち早く発見する為に築いた城砦とされています。
14世紀には、ドラキュラのモデル、ツェペッシュの祖父“ワラキア公ヴラド一世”がここを居城としたそうです。
観光後、城近くのカフェでスープとおいしいパンでランチ後、又、バスに乗り、市街地まで帰宅、郊外での楽しい
一日でした。 2007/9/11
城の入り口には土産物屋がずらりと並んでいます。(写真中央上段にブラン城の見晴台が見えています。) |
続き: この細い秘密の階段を登ると、敵の侵入(トルコ軍)を見張った見晴台へと上がれます。 |
続き: 中庭にある古い井戸、ブラン城には多くの秘密の通路があり、その出口がこの井戸!!という話が伝わっています。 |
続き: その井戸 |
ブラン城でのランチと、みやげ物屋で見た一本350円のおいしそうなパン
* ブラショフでの一日
ランチ(白身魚のムニエル、スープとティ(33Ron=\1,600)) ブラショフの夜
ルーマニア
1ページ ブカレスト |
6ページ クルージ・ナポカ |
2ページ シナイア |
7ページ グラ・フモール 1P |
3ページ ブラショフ |
7ページ グラ・フモール 2P |
4ページ シビウ |
8ページ ヤシ |
5ページ シギショアラ |
9ページ ブカレスト |
ブルガリア 以下準備中
10ページ ルセ |
14ページ プロヴディフ |
11ページ ヴェリコ・タルノヴォ |
15ページの1 リラの僧院 |
12ページ カザンラク |
15ページの2 ソフィア |
13ページ コプリフシティツア |
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