飲めない私が、泡盛の話。
泡盛コンクールの足跡





GO MOUTH HERE MOUTH 歌と酒とは切っても切れない
 「サキ」「グシ」「あーむる」「みき」「みしゃぐ」などなど、沖縄、宮古、八重山の歌にはお酒が出てきます。
 「酒」という漢字は日本酒を想像させますが、言葉として「酒」を耳にしたときには、アルコールの入った飲料を指す。ということで、ここから先の「酒」は後者の「酒」としましょう。

○泡盛と酒の話
 沖縄の酒で一番有名なのは、オリオンビール、ではなくて、泡盛としてください。
 泡盛は、焼酎乙類だそうです。詳しい説明は専門家、あるいは専門のHPにお任せしますが、ここでは「黒麹菌」という言葉を出しておかなければなりません。この「黒麹菌」の力を借りて造った酒が泡盛です。そうそう、蒸留酒であるという点も見逃してはなりません。
 この記事を書いている現在(2004年4月)、巷は「焼酎ブーム」だそうです。泡盛も、焼酎の仲間なんだそうで、インターネットでも焼酎専門のサイトで泡盛が売られていたりします。沖縄では「焼酎」という言葉はまず聞かないですけどね。

 なぜ、わざわざ蒸留するのか?蒸留する前から、酒は酒なんですよね。酒を飲まない私が考えなくてもいいようなものですけれど、ちょっと気になっていました。
 答えは簡単でした。蒸留しないと、おいしくないそうです。酸っぱいのだとか。
 沖縄のような温暖な気候の中では、雑菌が繁殖しやすいというのは想像できます。それが、酒造りに不都合なんだそうです。ところが、先ほど描きました「黒麹菌」というのはとても逞しいヤツで、自分が活躍している間は、強い酸を作り出して、それが雑菌を寄せ付けないとか。
 ところが、飲む段になると、その酸が邪魔になります。そこで、蒸留したものを飲む。という話。わかりやすいです。

 蒸留酒といえば、「ブランデー」もそうですよね。ワインを蒸留するとブランデーになると聞きましたが、合ってますか?だとしたら、もともとブランデーにするワインって、質の良くないものだったのかもしれませんね。今ではそんなことないんでしょうけれど。

 ワインは、ブドウが原料ですよね。泡盛は米から造ります。
 この、原料の違いが、それぞれの酒に対する意識の違いになっているような気がしています。
 ワインの登場する歌を知っていればおもしろいのですけれど、私は知りません。ですので、ここで例に出せるのは「泡盛」の登場する歌だけ。しかも、私のすきな八重山の歌なのですが。

泡盛ん 生らしょうり 御神酒(うんしゃぐん) 造りょうり
『白保節』
泡盛ん 生らし 御神酒(うみしゃぐん) 造てぃ
『仲良田節』
泡盛でんしば 造いたてぃてぃ 神や仏に まちりやい ・・・
『チディン口説(与那国島)』

 泡盛という言葉が出てきますが、浮かれた歌ではなく、どれも厳かな雰囲気を漂わせています。酒は神に捧げるものとして登場しているんです。
 「ワインだって、神に捧げることがあると思うよ。酒とは、そういうものだろう」
 と言われるかもしれませんが、私はワインのそれとは違っていると思います。

 酒(ワインや泡盛)を造るのには、目に見えない微生物の力を借りなければならないわけですから、人間からすれば、それは神の業にも思えたことでしょう。よい酒ができたときには、神に感謝する。その点については、ワインも泡盛も違いはありません。でも、決定的に違うのは、その原料だと思うのです。
 ブドウは、主食ではありません。おそらく、ワインの原料となるブドウは、ワインのために栽培されたブドウだと思います。一方、泡盛の原料である米は、泡盛を造るための米ではなくて、主食の米でした(現在は、輸入米=タイ米を使っていますので、主食の米とは違っていますが)。主食の米で酒を造るということは、年貢も納め、自分たちが食べる分も確保してもまだ余りある=豊作を意味します。つまり、「醸造という神秘的な神の業に対する感謝」以上の「豊作によって今年も命が保たれます」という感謝なのです。八重山の歌を見ていきますと「御残り」とか「捧ぎ残り」とか、余剰を喜ぶ歌詞があるんですけれど、こんなふうに見ていきますと「残り福」という言葉も、案外こういう意味なのかなと思えてきたりします。
 実は、豊作でなくても、祭りのためには無理をして酒を造ることがあったり、食べるより飲むことを優先するむきもあったかもしれませんが、とにかく、歌の中での「酒」の扱いは、とても神聖なものに思えます。

 ん?なんで最後に「泡盛」が「酒」になったの?

 次は、そのあたりを少し。
○酒いろいろ

 八重山の歌には「酒」と「泡盛」が並んで出てくることがあります。

酒ぬ花ん 持ちどぅきゃるよ 泡盛ぬ花ん 持ちどぅきゃるよ
『カタカムリャー(波照間島)』(一般には『大田節』)

 男が酒を持って女性に言い寄るという滑稽な踊りです。この場合「酒=泡盛」ということでよいのでしょう。同じ意味の言葉を二度も使う必要があるのか?と疑問に思われるかもしれませんが、八重山の歌は、同じ意味の言葉を二度使うことが珍しくありません。

くぬ島ぬ 上なか ヨーヤラヨー    我が島ぬ 上なか ヨーヤラヨー
『やらよう節(八重山)』

 「くぬ島(この島)」も「我が島」も、同じ意味になりますよね。


 次は、泡盛と御神酒が出てくる歌です。

仲良田ぬ 米(まい)や  離り頂ん 粟や
泡盛ん 生らし  御神酒(うみしゃぐ)ん 造てぃ
『仲良田節(西表祖納)』

 ご覧の通り、「泡盛」と「御神酒」という言葉が並んでいますから、この場合も「泡盛=御神酒」と考えたくなりますが、問題があります。「御神酒」は普通「噛んで造る酒」なんです。
 生の米を、女性が噛んで、瓶に入れて発酵させる。というのが、正しい「御神酒」です。蒸留もしません。泡盛は蒸留酒ですよね。
 余談ですが、噛んで酒にする。と文字にすればただこれだけですけれど、大変な作業みたいですよ。八重芸の第33回発表会(2000年12月)で、この「御神酒」をテーマに舞台を作り上げました。女性が酒を造る場面には、「みかん(シークヮーサー)の葉」がザルに盛られていたんです。何のためにみかんの葉っぱを置いているのかと聞きますと、
 「米を噛んでいると、だんだん唾液が少なくなってくるんです。そんなときは、みかんの葉を噛んで、唾液を出して、それからまた米を噛んでいたらしいんです」
 昔の人は、何を造るにも苦労していたんですねえ。
 ということになりますと、蒸留酒である「泡盛」と噛み酒である「御神酒」とは、別の酒と考えるべきなのでしょう。
 ここで、もう一つの疑問。歌の中に「粟」が出てきます。泡盛も御神酒も、米が原料ですよね。なんで「粟」が出てくるのか。

 『あわもり〜その歴史と文化〜』(沖縄県立博物館友の会、1992年)という本を見ました。泡盛が今のように「タイ米」で作られるようになったのは、比較的新しいことだそうですね。引用します。

 記録では、明治・大正にかけては沖縄産の米や粟、それに中国の米が使われています。それが大正の末になって初めてシャム(タイ)米のことがでてきます。いろいろな米を試した結果、タイ米が泡盛に一番適した米であることが、昭和以降に定着したようです。

 さらに、

大正時代の報告書にも、米と粟の仕込みが普通で、米と粟を半々に混ぜて仕込むか、あるいは粟の仕込みが多かったとしています。

 とも書かれています。

 こんな資料もありました。

粟せー 泡盛酒 造り 米(まい)せー 米御酒(まいみしゃぐ) 生らし ・・・
『桴海ばなかーばなちくどぅんユングトゥ(石垣島)』

 「ユングトゥ」とは、八重山の芸能で、「歌」よりは「語り芸」に近いものです。「米御酒」は「米御神酒」と表現する方がよいかもしれません。それはともかく。
 これを読みますと、「泡盛」は粟を、「御神酒」は「米」を原料にしているということになっています。

 どうやら、今の「泡盛」と、古い歌に出てくる「泡盛」が同じとは限らないようです。
○「泡盛」という名の由来

 「泡盛」の名前の由来には、いくつか考えられているようです。先ほど引用しました『あわもり〜その歴史と文化〜』には、3つの説が書かれていました。簡単にまとめますと、

1,原料として粟を使っていたから。
2,蒸留のとき、泡立つから。あるいは、度数を測るときに、酒の泡立ちを見て判断したから。
3,薩摩藩が、琉球の焼酎を他の地域の焼酎と区別し、商品価値を高めるために命名した。

 前に書きました「ユングトゥ」の言葉からすると、1番の「粟が原料だから」というのを支持したくなりますが、これだけで決めつけることはできません。定説もないのだそうです。

 お話を、歌とお酒に戻しましょう。こちらの歌は、「泡盛」だけです。

黒島美童ぬ いーやるや 泡盛酒どぅ いーやーる ・・・
『いーやる節(竹富島)』

 最初に書きました『カタカムリャー』とちがって、女性から男性へのプレゼントとして泡盛が登場しています。この泡盛の原料はわかりません。


○いろいろな酒(さき)

 泡盛という名前ではなくて、「酒(さき)」とか「神酒(みき)」という言葉の方が、民謡には多く見られるように思います。

捧ぎ残りや あまたありてぃ 酒(さき)や神酒(みき)とぅむ サンサ 造りとぅてぃ
『目出度節(八重山民謡)』

 「酒や神酒」としているのですから、この場合は酒と神酒とを区別しているのでしょうね。「酒」が「泡盛」を指すのかもしれません。


味噌こうずぃぬ むいるけ 酒花ぬ ばだるけ
『かどぅかれーユンタ(石垣島)』

 「味噌こうずぃ」と「酒花」を並べています。味噌も米や麦から作られるわけですから、「酒」と同様に、「作ることができる=豊作の喜び」と言えるでしょう。

 ここまでに、いろいろな酒の表現が出てきました。地方によって、島によって言葉が異なりますので、きっちりと定義づけするのは難しいのですけれど、さきほどの『あわもり〜その歴史と文化〜』を読んで、酒を表す言葉をまとめてみました。

さき 「酒」全般を指す。
神酒 奉納するための酒。噛み酒(だった)。「みす」「みしゅ」「みしゃぐ」「うみしゃぐ」「三日御酒(みかみしゅ)」などとも。
ぐし 泡盛を神酒として用いる場合に「ぐし」「うぐし」などと呼ぶ。「五水」と書くことも。
泡盛 蒸留酒。原料については、タイ米に定着するまでは、粟なども用いられていた。

 次は、泡盛についてもう少し。
○焼酎
 泡盛は、焼酎なんですよね。
 焼酎は蒸留酒。その蒸留の仕方によって、「乙類」「甲類」に分けられています。この「甲乙」というのが「甲乙を付けている」ようにみられて「乙類」にとってはおもしろくない。ということで、「乙類」を「本格焼酎」と表して良いことになったそうです。
 泡盛は、乙類です。本格焼酎ということになります。でも、なんだかしっくりこないですよね。そこで、泡盛だけは「泡盛」「本場泡盛」という表示が認められたのだそうです。

醸造酒 果汁や穀物を発酵させた酒 清酒 ワイン ビールなど
蒸留酒 醸造酒を蒸留した酒 ウイスキー ブランデー 焼酎
混成酒 醸造酒や蒸留酒を元に、薬草、くだもの、砂糖、香料などをまぜてつくった酒 梅酒 リキュール


焼酎乙類 焼酎甲類
単式蒸留機
アルコール分
45度以下
連続式蒸留機
アルコール分
36度未満

 黒麹菌で米こうじ100%であれば「泡盛」なのですが、なかでも、沖縄で生産されたものだけを「本場泡盛」と呼べるそうです。

○古酒
 古酒と書いて「くーす」と読む。と信じています。今でも。
 でも、私の知っている民謡には「くーす」という言葉は見えないようです。

 こんな歌がありました。

徳利古酒持ち寄してぃ 昔百合ぬ花 盃に
『越来節(沖縄民謡)』

 「徳利古酒」で「とぅっくいくーす」と読みたいのですが、「とぅっくいふるざき」と歌います。意味としては「古酒」そのものなのでしょうけれど、この歌では「くーす」とは発音していません。

 首里城には、古酒の蔵があったそうですが、庶民がそれを口にすることはまずあり得なかったのではないでしょうか。今でこそ店頭に「○年古酒」と書かれた泡盛がずらりと並んでいますが、私の記憶では、20年前なら専門店を別にすれば古酒を見ることはほとんどなかったでしょう。古酒を買い求めて飲む人もそれほどいなかったと思うのです。まあ、それは「古酒は買うものではなくて育てるもの」だからかもしれませんが。

 普通は「古酒(くーす)」と呼びます。先ほどの歌詞では「古酒(ふるざき)」です。この二つ、「音読み」と「訓読み」の違いですよね?「こしゅ→くーす」でしょうから。
 で、この「くーす」という言葉なんですけれど、今でこそ県外でもある程度知られている言葉ですが、少し前までは沖縄県内でもあまり使われていなかったと思うのです。
 あるとき、飲食店で「くーすありますか?」と聞いたらコーレーグースーが出てきたことがありました。もし、このときに「こしゅありますか?」と聞いていたら、こんな間違いはなかったと思います。
 「くーす」は「こしゅ」の方言読みなのでしょうけれど、「こしゅ」の方が沖縄県内で通りがよかったように思えます。
 これはつまり、「古酒」がそれほど飲まれていなかったことの証ではないかと。と同時に、「古い酒はうまい」ということは知られていて、「ふるざき」というわかりやすい言葉の方が、先ほどの民謡が流行っていた頃、流行っていた地域では普通だったのかもしれません。
○古酒を育てる
 私も育ててますよー。
 三年以上寝かせた泡盛を古酒として販売しているそうですね。かの新井白石の『南島志』には「七年」と書いてあるようです。贅沢です。

 今年(2004年)に入ってから、私の知人が4名も「古酒甕」を購入しました。
 古酒を育てるのに大切なことは、まず「甕選び」と「酒選び」なのは当然です。そして、次に大切なのが「酒甕」をどう管理していくかですよね。だんだん歌三線とはかけ離れていくような気がしますが、そのうち、また戻ってくるはずです。

(1)育てる泡盛
 宮古島には、一升ビンに入った泡盛で「8度」というのがあります。おそらく、沖縄一度数の低い泡盛でしょう。
 与那国島には「60度」の泡盛があります。市販されている泡盛では、一番度数が高いと思われます。「花酒(はなざけ)」とも呼ばれますが、どうやら「はな」は「花」の意味ではなく、「最初」という意味のようです。「はなからお見通しでい!」というのは、「最初からわかっている」という意味です。「初っ端(しょっぱな)」という言葉もありますよね。蒸留すると、最初は度数が高く、その後だんだんと下がっていくのだそうです。「花酒」は、蒸留の最初の方に出てくる酒という意味だそうです。
 一升ビンの泡盛は、普通30度でした。古酒は40〜43度。なぜ43度なのか。焼酎乙類は、45度以下で販売することになっているそうでして、そのために43度(45度でもよさそうですが、余裕をもたせてある?)なのだろうと思われます。60度の泡盛は、原料用ということになっているみたいです。まあ、特別なんでしょう。
 古酒にするなら、どの度数がよいのでしょうか。
 私は、「できるだけ度数の高いもの」と考えています。
 根拠は、以前、酒造メーカーの人から聞いた話です。

お墓の中に入れてあった酒甕を出す機会がありまして。で、うちの会社の泡盛だということで、会社からも数名がその席に呼ばれて行ったんです。出てきた甕を見て、会社の先輩は「そうそう、昔はこういう形の甕だったなあ」って、懐かしがっていましたよ。30年前のものでしたからね。集まった人たちに、そのお酒が回ってきたんです。私もいただきましたよ。味ですか?うーん。そうですね。ちょっと泡盛とは別のものみたいな感じでしたよ。度数もずいぶん低くなっているようでした。おいしいかどうか。そうですね、人それぞれでしょうね。

 古酒になって、まろやかさがまして、度数が低く感じられる。という理解もできますが、いえ、この場合は本当に度数が下がっているたのだろうと思います。
 という、私の勝手な解釈から、「できるだけ度数の高いもの」と決めているんです。
 できるだけ高くといっても、60度の銘柄は少ない(たぶん、3つ)です。そこで、選択肢を広げるためにも「40度程度」ということにしています。
 じゃあ、私も40度以上の酒にしよう。と思ってインターネットで調べると、出るわでるわ、たくさんの銘柄。どれがいいのか迷ってしまいます。ここで、「これが一番」と言えればいいのですが、飲まない私にはわかりません。好きな島の泡盛だとか、名前が気に入ったとか、友だちがうまいと言ったとか、いえ、一番よいのは、ご自身で飲んでみて、一番よいと思った酒でしょうね。

(2)育てる甕
 私が書籍などを読んだところでは、「荒焼き」という焼き物の甕がよいということです。
 沖縄では「上焼き(じょうやち)」と「荒焼き(あらやち)」というのがあって、「上焼き」は、整形した土の上から釉薬をかけて焼いたもの。「荒焼き」は、表面が焼き締められた土そのものというわけです。

 なぜ、「荒焼き」がよいのか。
 「荒焼き」は釉薬がかかっていないので、わずかに外の空気と中の空気が入れ替わる。あるいは、泡盛が土の成分に直接触れるので熟成が促される。などと聞いています。「上焼き」では、釉薬によって保護されてしまっていますので、甕の中の泡盛はビンに詰められた状態と変わりないというのです。
 まあ、ビンの中でも熟成すると言われていますので、「上焼き」の甕でも悪くはないはずです。ですから、甕についてはそれほど神経質にならなくてもいいのではないか。とも思えるのですけれど、「ビンではなくて、甕に入れている」という育て親の気持ちとしては、甕にいれた効果が出てほしい。つまり、釉薬によってビンと同じ状態になっているのでは意味がないわけですよね。というわけで、私も「荒焼き」の甕を購入しています。
 あ、そうそう。外側は「荒焼き」のように見えて、実は内側が塗られているという甕もありますので、購入されるときにはご注意を。
 大きさも考えるべき問題ですが、それについては後ほど。

 で、次は育て方。仕次ぎについてです。
(3)甕の大きさ
 普通、酒類の販売店で見られる「酒甕」は、一斗(10升)までです。フタを開けずに、ずーっとそのまま置いておくのでしたら一斗もいいのですけれど、時々フタを開けるということを考えると、5升までにするほうがいいと思います。一斗の甕で古酒を育てるとすると、これがたいへんなんですよ。押し入れに一斗の甕を入れてあると思ってください。さあ、甕のフタを開けよう。押入の中では作業ができませんから、外にだしますよね。蓋を開けた。酒を飲んだ。さあ、押入の中に戻そう・・・腰に悪いです。酔っていると、甕を割るかもしれませんし。
 というわけで、家で古酒を育てるのなら、5升か3升というのが一般的でしょう。あまり飲まないとか、いろんな銘柄をいっぱいやってみたいという場合は、「鬼の腕(手)」と呼ばれる一升程度の縦長の容器でもいいと思っています。5合の甕もあるにはありますが、これは小さすぎて「仕次ぎ」には向かないですよね。


(4)育て方
 甕の置き場所は、押し入れの中というのが多いでしょうね。私もそうです。家の中の、どの押し入れにしようか迷ったのですが、結局、夏場もあまり高温にならない押入を選びました。冷暗所とまではいきませんが、この押し入れの外側の壁には直射日光が当たらないようになっていますので、泡盛にはよい環境かなと。
 場所が決まったら、あとは置いておくだけ?時々振動させてやるといいとか、歌を聴かせるとうまく育つとか、いろんなことを言う人がいます。本当かどうかわかりません。まあ、置いておくだけでも良いのでしょうけれど、私は、次に書きます「仕次ぎ」はやるべきだと思っています。

 仕次ぎとは、甕をいくつか並べておいて、順番に継ぎ足しながら古い酒をいつまでも飲み続けられるという方法です。と書いても知らない人には何のことかわからないですね。説明します。
 たとえば、泡盛の入った甕(同じ銘柄、同じ度数)が3つあるとします。

 甕Aは10年もの(親酒)
 甕Bは5年もの(二番手)
 甕Cは3年もの(三番手)
 それに、新酒(甕の酒と同じ度数で)

 飲むのは、甕Aの10年ものです。1合飲んだとします。飲むと減ってしまいます。減った分を、Bから汲み出してAに注ぎ足す。Bには、Cから汲み出して注ぎ足す。Cには、新しい酒を注ぎ足しておく。
 こうすることによって、10年ものの甕Aも、BもCも、いつも満たされている。あなたの心も満たされる。

 何のために仕次ぎをするのかといいますと、
1,飲むため
2,新しい力を与えるため
3,酒の様子を確認するため
4,量を補うため
 といった理由が考えられます。

 1,飲むため。これは一番大切な理由かもしれません。酒好きの人に、「飲まずに、ずーっと置いておけ」なんて、これほど残酷な仕打ちはありませんものね。それに、「じゃあ、いつまで置いておけばいいんだよ!」と、いつか甕を割ってしまわないともかぎりません。「うちの子どもが、成人するまではぜったいに開けないんだ」なんていうのはちょっとかわいくて好きですけどね。
 2,新しい力を与えるというのは、甕の中で熟成しながら変化していくための成分を補うという意味なのでしょう。
 3、の様子を確認するというのは、文字通り点検のためです。ときどき味を見てみなければ、うまく育っているかどうかわかりませんものね。でも、「あれ、うまく育っていないな?」と思ったときにはどうするんでしょうか。私は知りません。いつかおいしくなるはずだと、結局フタをしてその日を待つしかないのかもしれません。
 4,については「飲まなければ減らないんだから、補う必要もないだろう」と思われるでしょうけれど、違うんですよ。特に「荒焼き」の場合は揮発しやすいと聞きます。
 ウイスキーは樽で寝かせるんだそうですね。この場合は仕次ぎをしませんので、徐々に減っていくそうですね。その減った分を「天使の分け前」と呼ぶ。なんていうCMを覚えている人は、私よりも年上です。

 とまあ、こういう理由で仕次ぎをしているわけです。
 でも、みなさん。「もっと収納スペースを増やしておけばよかった」と押入から溢れた思い出の品々の置き場所に困っている私たちが、いくつもの甕を並べておける場所を簡単に確保できるとは限りませんよね。
 仮に、数個の甕を並べる場所を確保できたとしても、先ほど書いたような仕次ぎの方法ですと、同じ銘柄の甕を3つも並べて、飲めるのは「A」の甕だけ。あとの甕は補充用ってことになります。できることなら、いろんな銘柄の甕を置いて、いろいろ試したいという気持ちになるでしょう?。
 実は、先ほど書きました仕次ぎの方法。あれには一つだけ問題があるんですよ。
 甕の古酒は普通43度。甕Cに入れる新酒も43度でなければなりません。43度の新酒って、なかなかないんです。結局、「一升ビンに入れて売られている古酒」を使うことになります。
 そこで、こういう方法はどうでしょう。
 もし、3つの甕を置く場所があるのでしたら、一銘柄につき、甕は一つ。つまり、3種類の銘柄の甕を並べておきます。

 甕Aは、A社の泡盛
 甕Bは、B社の泡盛
 甕Cは、C社の泡盛
 それに、A、B、C各社の一升ビン古酒

 年に一回それぞれの銘柄を楽しみます(中から5%〜10%程度の量を汲み出して飲みます)。その甕に一升ビンで売られているのと同じ銘柄の古酒を継ぎ足すという方法なんです。いかがです?
 どうせ、新酒の43度はなかなか見つからない。43度の古酒が一升ビンで売られている。だったら、仕次ぎ用の二番手、三番手の甕を省略して、酒造所から売られている一升ビン古酒を利用しようというわけです。 これですと、甕3つと一升ビン3本あれば、3種類の古酒を育てながら飲めるというわけです。先ほどの、「43度の新酒がない」と「甕を並べるなら、いろんな銘柄を楽しみたい」という、二つの問題点を同時に解決。すばらしい。私はいくつかの銘柄をそのようにして育てています。

 先ほど、仕次ぎをする理由の一つに「量を補う」と書きました。天使の分け前の話も。本当に、甕の中の酒は減っていくのでしょうか。減るとして、いったいどれくらい減るのでしょうか。
 一年間でどれくらい減るのか、実験してみました。正確には11ヶ月程度ですけど。

 甕はとても重たいために、料理用の計量器を使うことはできません。そこで、体重計を使いました。あまり細かい数字は出ませんでしたが、結果はこうなりました。私のやることですから、正確な数字だとは思わないで、お遊び程度に考えてくださいね。

度数と容量 銘柄 2001年2月8日
の重さ(s)
2002年1月3日
の重さ(s)
減った量
(s)
60度6升 どなん 22,5 22,4 0,1
43度5升 忠孝(含木箱) 18,7 18,4 0,3
43度一斗 瑞泉 32,0 31,5 0,5
43度5升 瑞泉 16,1 16,1 0,0
43度5升 瑞泉 16,7 16,6 0,1
43度5升 請福 15,5 15,1 0,4
60度5升 舞富名 15,4 15,1 0,3
40度3升 久米仙 10,2 10,2 0,0
40度3升 久米仙 10,7 10,5 0,2
(特定の銘柄を宣伝する意図はありません)

 私のフタの仕方の問題か、あるいは甕の質の問題か、よくわかりませんが、減り方もさまざまですね。数字上、減っていない甕もあるにはありますが、これは「測定範囲外」だったのかもしれません。「甕の中の酒は、減っていく」と思った方がよさそうですね。

 さてと。そろそろ、話を歌に結びつけなくては・・・
 私は、酒についての科学的な知識はまったく持ち合わせておりませんが。
 しかも、私自身まったく飲めないのですが。
 飲んで歌うお話です。

○飲んで歌う
 「飲むと歌えない・・・」
 こんなふうに嘆く人がいるそうです。

 きちんと手(三線の演奏)を覚えたし、歌も3番まで歌える。なのに、飲み会で歌うとどうしても途中で間違えてしまう。三線仲間と飲むときには、必ず一曲歌うことになっているから、飲む前に、まず一曲歌って義務を果たし、それから飲むことにしているんだ。飲んだ後は、三線を持たないつもりさ

 ここで、飲酒運転の危険性、つまり、飲酒という行為が、運転中の危険を正確に認知するための判断力や、認知してからできるだけ早く的確な回避行動をとるための運動能力に、少なからざる影響を及ぼすという事を力説しなくても、みなさんご存じの通りなんですけれど、三線を弾くのも同じことなんでしょうね。
 三線を弾いて歌うという行為は、研鑽を積み、技能を習得した上で成り立つものです。そして、技能の習得をなしえたとしても、心身共にその技能を発揮できる健全な状態でなければ、十分な結果を生み出すことはできません。飲酒運転ならぬ飲酒演奏は、本来発揮できるはずの能力に少なからざる影響を及ぼすのです。「飲むと歌えない」理由は、これでしょうね。

 では、歌うときには飲むべきではないのでしょうか。

 そうは思いません。飲まない私でも、「飲んで歌って、いいんじゃないの」と思います。
 運転と違って、普通は歌うことで自分の命が危なくなったり、周りの人を危険にさらすことはないから、飲んで歌っても問題なし。というのも理由ですが、もう少し積極的に、飲酒が歌に及ぼす「良い効果」を考えています。
 歌うという行為は、自分を表現することですので、そこには必ず「恥ずかしさ」が伴います。おもいっきり表現するというのはむずかしいですね。でも、飲むと気が大きくなるとか、心が解放されるという人がいるように、この「恥ずかしさ」がお酒によって軽減されるはずなのです。
 「恥ずかしさ」を軽減する力は、歌っている人だけでなく、聞いている方にもよい効果を発揮します。楽しい宴席では、歌い手になったり聞き手になったり、さらには踊り手になることもあるわけです。どうせ歌うなら、みんなが歌を楽しみ、踊ってくれるくらいの方がいいですよね。人前で歌ったことのある人は必ず感じているはずです。演奏は、演奏者の力だけでなく、聞き手の力でよいものになっていくのだということを。
 自分が演奏しているときに、眉根にしわを寄せて聞いている人ばかりだったらどうです。考えただけでも歌うのがいやになってしまいますよね。

 では、飲むと歌えないという人はどうすればよいのでしょうか。
1,飲む量を考える
 「考えながら、酒が飲めますかってんだい!」と、少し舌が回らなくなってきたら、飲むのも歌うのもやめておいた方がいいかもしれません。
2,選曲を考える
 飲んでも歌える曲を考えましょう。先に他の人に歌われてしまったら、諦めましょう。
3,飲まずに歌う
 あるいは、飲む前に歌ってしまう。
4,歌わずに飲む
 解決になってませんね。こういう時って、飲み過ぎるんでしょうね。

 私の学生時代は「飲まないから上手くならないんだ」なんて言われることがありました。酒の席には三線がつきもの。無理に飲ませたり、人に迷惑のかかるような飲み方はもってのほかですが、楽しく飲み、楽しく歌うのは正しい人間のありかただと思います。八重山の神行事には、必ずと言ってよいくらい酒が出てきます。同時に、歌も歌われます。歌と酒とは切っても切れないのです。

 全国の「飲んだら歌えない」みなさん。私には解決策が思いつきません。
 でも、これだけは言えます。みなさんは、健全です。
 「飲まないと歌えない」という人よりは。

 飲んで歌うことには、大賛成。でも、飲んで歌うと、喉の疲れを忘れてしまうことがあるそうです。どんなに気持ちよく歌っていても、翌日、喉がガラガラになっていたり、ヒリヒリするなんてことがあっては、せっかくの楽しい宴席の思い出も、後悔と嫌悪感で台無し。なんてことにならないように、歌いすぎに注意しましょう。




GO MOUTH HERE MOUTH 占領下の酒
 1972年の復帰後も、沖縄では洋酒が(その他の輸入品も)安く買えました。「観光戻し税制度」という名前だったと思います。酒を飲まない私には関係ないと思っていたのですが、万年筆も安く買えることがわかって、一本買ったことがあります。というところまで書いて、そういえば、あの万年筆はどこに行ったかと探してみました。ありました。これです。

 インクカートリッジではなくて、インクのビンから吸い上げるタイプです。そこが気に入って、買ってしまったのでした。卒論を書いたのも、この万年筆でし・・・いや、あれはダメになったので、同じのを後から買ったのでした。とにかく、思い出の万年筆です。

 さて、酒の話です。

甘い物ならなんでもいい。スポイルをもらってきて、それをドラム缶に放り込んだりしたんだ」

 三味線店では、三線とはまったく関係のない話を聞くこともあります。これは、敗戦直後の酒造りの話。

 ドラム缶に、甘い物を放り込んでおけば、適当に発酵して酒ができたそうです。芋もよかったとか。しかし、戦後すぐの食料のない時代に、普通に食べられるものを酒にするのは無理な話です。いや、酒好きならば、食べるより飲む!と言ってやらかしたかもしれませんが。とにかく、三味線店の店主の話はこうでした。
 占領下で、明日を迎えられるかどうかわからないような生活をしていた沖縄の人たちに比べ、米軍の基地内には比較的食料も豊富にあったそうです。ゴミ置き場へ行くと、缶詰のへこんだ物なんかが捨てられていることがありました。それをスポイルと呼んだんだそうです。今では日本人でも「スポイルする」という言葉を使いますが、同じ意味でしょう。そういった、捨てられた食品が酒の材料になったというのです。

 先の店主の話には続きがあります。調達してきた材料をドラム缶に放り込み、発酵させた酒は、そのまま飲むのではなく、蒸留したんですって。これは私の想像ですが、おそらくこのようにして、雑多なもので作った酒は、そのまま飲むには適さなかったのでしょう。たしか、葡萄酒の出来の悪いのを蒸留することでブランデーができた、なんて話を聞きましたが、同じような理由なのでしょうか。
 さて、蒸留するためには蒸留する道具が必要です。当時は、これまた米軍から調達してきた金属製の管やらなにやらを組み合わせて、蒸留装置を作り上げ、そのドラム缶を直接火で暖めて、その装置を通して蒸留酒を造ったそうです。すごい知恵と努力です。

ときどきかきまぜてやらないといけないんだよ。これが大切だ。でないと、焦がしてしまうからね。少しでも焦げたら、クサくて飲めない酒になってしまう。味?ハハハ、まあ、おいしかったよ」

 それにしても、酒を飲む人って、酒のためにはいかなる苦労も惜しまないんでしょうねえ。





GO MOUTH HERE MOUTH 泡盛の香り
 古酒には、古酒の香りがあります。「うーひーじゃーかじゃ(雄山羊の匂い)」とかバニラ臭とかカラメル香とか。いろいろな表現があるようですが、山羊を除けば「甘い香り」なのだろうと想像がつきます。
 たしかに、家で泡盛を飲んでおりますと(正確には、飲んでいただいておりますと)、甘い香りがただようことがあります。でも、はっきりとはわかりませんでした。

 2007年の4月、大阪府堺市にある酒店へ行きました。その時、公開していた日記を転載します。

 以前に一度、泡盛を買うために行ったことのある大阪府堺市の酒店。店主から泡盛についていろいろ教えていただいて、「今度、うちの泡盛を持ってきますから飲んでみてください」などとお話をしたのでした。月曜日、知人と一緒にその店へ行きました。 店の隅に置かれた丸いテーブルに、店主がガラスの小さなグラスを用意してくれました。知人も一緒にそのグラスで味見です。
 店主はグラスに泡盛を注いで、それを持ったままなかなか飲もうとしません。知人が尋ねます。

 「どうして、そういう持ち方をしているのですが?」

 店主は、グラスを両手で包むように持っています。香りを確かめているようです。

 「こうして温めると香りが出てくるのです。あ、きたきた」

 知人は半信半疑のようでしたが、真似てみることにしたようです。しばらくすると、

 「本当だ。ほら、これ」

 と、今度は私にグラスを差し出してくれました。なるほど、そんな気もします。店主が言います。

長い間寝かせてあったものですから、起こしてやるにも時間がかかるんですよ」

 おもしろいことをおっしゃる。もう一度、さきほどのグラスの香りをたしかめました。うん。たしかに、少しずつ香りが変わってきているような気がします。カラメルのような香りが強くなっているように感じます。

 今まで、古酒の銘柄だとか育て方ばかりを気にしていましたが、本当に大切なのは、飲み方なのかもしれません。

 古酒ファンのみなさん。薄手のガラスの器に古酒を注ぎ、掌(たなごころ)でゆっくりと時間をかけて温めて、香りと共に味わう。騙されたと思って、試してみてください。

 結果、「やっぱり騙された」としても、それはそれでいいですよね。

 日記には書いていませんでしたが、この香りは、グラスに鼻を近づけるとやっと分かるといった弱いものではありませんでした。テーブルの高さは腰よりも低いのですが、そこに置かれたグラスから、横に立っている私の鼻まで香りが届くほど強いのです。

 数日後、上の日記をご覧になった岐阜の知人から、メールが届きました。そのメールを元に私が書いた日記を転載します。

 泡盛の古酒は、カラメルの香り。
 バニラの香りとも聞きますが、とにかく甘い香りがします。でも、この香りを経験した人は、泡盛ファンの12%弱です。というのは嘘です。嘘ですけれど、本当に知っている人は少ないかもしれません。

 岐阜の知人からメールをいただきました。件名が「ふしぎですね」。何がふしぎなのでしょうか。

 それは「二つの会合の掛け持ちで、帰宅が遅くなった夜」のことだそうです。(枠内は知人のメールより抜粋)

小さめのグラスにいれて、手で暖めて古酒香を楽しむ・・・を、試してみよう!

 知人は、私が日記に書いた「手で温めるとカラメルの香り」というのを試そうと、グラスと泡盛を用意しました。泡盛は、市販されている古酒です。

カラメルの香りが・・と聞いていても、瓶の口から匂いを嗅ぐだけで、それは充分感じるので、暖めたものは、それが、強くなったものだろうと思っていました。

 私も、酒店で経験する前は、そう思っていました。

注ぎます。
プ〜ンとそそられる香りがします。
飲まずに我慢します。
暖めます。
アルコールの匂いが強くなります。
さらに暖めます。
アルコールの匂いがどんどん強くなります。
どんどんどんどん強くなります。
うわっ!まるで、消毒を思わせるようなアルコール臭です。
注射されるみたい。

この古酒には、カラメルの匂いがないんだろうか・・・?

 温めても、カラメルの香りは出てきません。それどころか、アルコール臭が強くなるばかりでがっかりされたようです。知人が考えたのは、「この銘柄はだめなのかも」でした。そこで、別の古酒を用意します。その泡盛、実は我が家で育てたのを数ヶ月前にプレゼントしたものでして。知人は「この古酒だったらぜったいに(カラメルの香りが)するはず」と期待に胸を膨らませますが。

同じように、小さめのグラスにいれて、暖めてみたのですが、やはり、結果は同じでした。

う〜〜〜〜ん・・・・。うちで育っている間に、変質した?

 どうやら、私の泡盛も知人の期待を裏切ってしまったようです。このまま、知人はカラメルの香りを知らずに眠りについてしまうのでしょうか。

 その時救世主が。

(ここで5分ほど時間が経過しました)

主人がやってきました。私が、

ねぇ、『いちにの三線』でさ〜、古酒を手で温めるとカラメルのにおいがする、っていってたでしょ?でもさ〜・・・・・

と、いいかけたら、話を最後まで聞かない主人が、


あ〜これがそうなの?どれどれ、うわ〜〜すごい〜〜本当にプリンみたいや〜〜」

ええぇ!!??うそ〜〜?

それで、私も嗅いでみたら、
アレ〜〜???不思議!
どちらの泡盛も、ものすごく強い甘いカスタードプディングの匂いになっています。

へ〜〜〜、おもしろ〜い。

どうやら、カラメル香は、最初に余分な(?)アルコールが揮発して、そのあと、たちのぼってくるもののようです。

グラスの厚みがありすぎたのか、
私の手が冷たかったからか、
ちょっと時間がかかりましたが、
一度、カラメル香がでてくると、グラスが冷めてもずっと香り続けるというのが、不思議でした。

この香りは、瓶を開栓したときの香りとはかなり違いますね。
そして、二つの泡盛を比べると、
味はまったく違うのに、
カラメル香は味の差ほどは大きく違わないようです。

また、泡盛の奥深さを一つ知ることができました。
ありがとうございました。

 いやいや、ほっとしました。

 ところが、この後私も知人も、もう一度あの香りを経験しようとがんばったのですが、うまくいきません。湿度か、気温か、気のせいか?

 あの、酒とは思えないようなカラメル香。泡盛ファンなら、本当のカラメル香を一度は経験していただきたいものです。




GO MOUTH HERE MOUTH 出荷量減少
 2006年の、沖縄の新聞社のHPに、『泡盛、14年ぶり出荷減 県外は11%落ち込む』という記事がありました。その中に、「泡盛の製造、出荷量の推移」というグラフがあります。
 記事は、2005年の出荷量が前年より減ったことを話題にしているのですが、私が驚いたのは、それまでの増加のしかたです。
 1989年から2005年までの17年間がグラフで表されています。1989年におよそ12000キロリットルだった製造量が、2005年には倍以上のおよそ26000キロリットルになっているのです。(グラフですので、正確な数字を読み取ることはできませんが)

 海外出荷が増えているとはいえ、全体からすればまだまだわずかです。製造量を倍にしたのは、国内での消費が増えたからにちがいありません。この間、日本の人口はそれほど増えていません。一人当たりの、飲酒量がそれほど増えたとも思えません。とすれば、泡盛が増えた分だけ、何かが減っているのでしょうね。

 まあ、日本で消費される酒類の中で、泡盛の締める割合はそれほど大きくないでしょうから、泡盛の出荷(消費)が倍になったからといって、他の酒類、たとえばビールの消費が半分になった、なんてことはないでしょうけれど。

 いや、待てよ。泡盛の県外出荷が増えているとはいえ、まだ大半は県内で消費されているはず。とすると、県内での「泡盛以外の酒類の消費」は、ずいぶん減っているとも考えられますね。どうなんでしょう。

 ひょっとすると、泡盛を買うだけ買って飲まない人がいたりするのでしょうか。そんな人、いませんよねえ。

 あ、一人いる・・・


 さて、その後。
 2007年にも、沖縄の新聞で「県酒造組合連合会が泡盛の2006年上半期出荷状況を発表した」と報道されています。

 泡盛出荷量は前年同期比2・7%減
 うち県外向けは9・4%減

 琉球新報では

県酒連は、04年6月から貯蔵年数などの品質表示基準を厳格化したことに伴う一時的な古酒の出荷減などが影響したとしているが、「全国での泡盛ブームに陰りが見え始めているのも事実」と話している。

 とありました。出荷量の減少(製造量も0・6%減)の原因の一つに、表示の厳格化を挙げていますが、それよりも、泡盛ブームの陰りというのが大きいと思います。また、「沖縄ブーム」が下火になっていることの影響も否定できないとも言っているそうです。

 大阪難波にある焼酎のお店。初めて店に入った時は、泡盛の品数が多くて驚かされました。その後、だんだんと泡盛の陳列範囲が狭くなっているようです。

 ブームの去ったあとの泡盛業界は、どうなっていくのでしょう。




GO MOUTH HERE MOUTH 天使の分け前?
 ウイスキーの樽を何年も寝かせておきますと、中のウイスキーが少しずつ減っていく。それを「天使の分け前」と呼ぶそうです。天使は子どもだと思っていたのですけれど。

 2006年の泡盛コンクールの参加者のお一人から、ひと夏で甕の中の泡盛が半分になってしまったという話を聞きました。私の場合はきちんと仕次ぎをしているから大丈夫。押し入れの中の泡盛たちはみんな元気さ。と安心していましたが、昨日思い出してしまいました。これ以外ににも泡盛があったことを。

 年にたった2〜3度ですけれど、小中学校から、沖縄についての話をしてほしいという講演依頼があります。そのときには、展示用の品物やスライド映写機などが入った段ボール箱2個と三線やクバ笠などを車に積んで出かけるわけですが、その段ボール箱の中に、泡盛の入った陶器=シーサー、小さな壺、抱瓶(だちびん)の三つがあったのでした。
 展示用に用意したものですから、中の泡盛などまったく気にしていませんでした。中を確かめたこともありませんし、もちろん仕次ぎもしたことがありません。

 押し入れの一番上から段ボール箱を下ろし、中から三つの陶器を取りだし、並べてみました。
 小さな壺のラベルは40度の久米仙。振ってみます。チャプチャプと音がします。入っていることはまちがいありません。ひもを解いて赤い紙をとってみると、セロハンがかぶせられていました。その下はやはりセロハンにつつまれたコルク栓でした。それを抜くと・・・入っていました。でも、半分近くに減っているようです。香りはすばらしい、と思いますが飲まない私にはわかりません。
 抱瓶は30度の請福でした。中を見ますと、こちらは半分以下になっています。香りは・・・うーん。先に久米仙の香りをかいでしまったし、すでに部屋中泡盛の香りが充満していますので、あまりよくわかりません。
 シーサーは30度の瑞穂。振ってみると、音はしますけれどずいぶん少ないようです。中を確かめようと思ったのですけれど、かぶせられている紙をとると、その下の栓があまりにもきちんとされていたので、開ける気にならず。

 さて、どうしましょう。仕次ぎをするべきかどうか。
 久米仙の40度は古酒があります。請福も瑞穂もありますけれど、30度というのは持っていません。まあ、43度を仕次ぎしても問題ないか。と、まずは請福の一升びんを押し入れから出してきました。この一升びん、中身は我が家の「請福の甕」から仕次ぎの時に汲み出した泡盛なのです。
 一升びんの栓を抜いて、香りを・・・え?おかしい。なんだかおかしい。
 この時、私の脳裏に「G」という文字が浮かびました。

 あの泡盛コンクールのとき、持ち寄った古酒の一つに「ゴムの臭い」が移っていて、持ち主は落胆、「G臭」とか「Gショック」とか言って、参加者は喜ん、いえ、驚いたのでした。

 目の前にある請福の臭いは、ゴムではなくて蝋(ろう)のようでした。ごく普通の一升びんに、その一升びんに使われていた栓をしてあるだけ。置いてある場所も他の泡盛と同じ押し入れ。念のため他の一升びんの栓を開けて香りを確かめましたが、この請福だけがおかしい。もしかして、気のせい?

 飲まない私には確かめられません。結局仕次ぎを諦めて、3つの陶器の泡盛は、また段ボール箱へと戻ったのでした。

 蝋の臭い。私の気のせいなら良いのですが。いつかお客様がいらしたときに、飲んで確かめてもらいましょう。




GO MOUTH HERE MOUTH ありがたみ
 ものの値段が適正かどうか。それは、売る人と買う人の双方が納得できるかどうかにかかっているのでしょう。言い換えれば、売る人と買う人が納得できれば、(そこに嘘がなければ)何をいくらで売っても問題ないのかもしれません。

 インターネットで泡盛を見ていますと、とんでもない値段が付けられたものを見つけることがあります。
 たとえば、人気の商品でなかなか手に入れることができず、値段がつり上がっているもの。本来の価格がわかっているにもかかわらず、堂々と数倍、十数倍といった値段で売られているのを見ると驚くばかり。ですが「あの味を楽しめるなら、これくらいのお金をだしてもいい」と思うなら、あるいは「あの銘柄を是非手元に置きたい。そのためならこのお金を使ってよい」と考えるなら、それはそれでいいのでしょうね。
 普通のビン入りの泡盛が、何年(何十年)も前のものだから値段が高いというのもあるようです。泡盛は、古くなるほどおいしくなる。ビンの中でも熟成する。だから、普通のビン入りの泡盛でも、古くなれば高い値段で売れる。泡盛ファンなら、納得。でしょうか。でも、ビンの中の泡盛が、どの程度おいしくなっているか、開けてみるまでわかりません。見方を変えれば、ただの売れ残りじゃないですか?そんなものに驚くほどのお金を出すなんて、無茶だと思うのですが。いえ、これもまた「希少品」に違いないですし、最初に書きましたように双方が納得できれば、何も問題ないわけでしょうね。

 子どもの頃、ある楽器の演奏者から、こんな話を聞きました。

管楽器には、リードを使うものがある。リードというのは竹でできていて、それを振動させて音を鳴らすんだ。まだサキソフォンを覚えたての頃、リードを薄く削るほど良いと人から言われて、一生懸命削ったんだ。もっと薄く、もう少し薄くと削り続けると、最後には欠けてしまう。欠けたら使えないんだよ。ものごとは、ほどほどにってことさ」

 古くて、飲めなくなってしまった泡盛って、存在しないのでしょうか。

 もし、古くなって味が落ちた泡盛があっても、甕からうやうやしく汲み出されたりすると、口にした人は「さすがは古酒」と褒めてしまうのでしょうね。「まずい」なんて正直に言う人がいたら、「お前には古酒の味がわからないんだ」なんて叱られたりして。

 こういう泡盛には、きっと「ありがた味」というのがあるのでしょうね。