GO MOUTH HERE MOUTH 第一回 泡盛コンクール   〜 出会い 〜
 引っ越しをしたのは、阪神大震災の翌年だった。と言っても、被災したわけではない。
 新しい家は、収納にこだわった・・・わけではないのだけれど、押し入れの数だけは多くしておいた。引っ越し荷物を全部片づけても、まだまだ押し入れは空間がいっぱい。なのに、今はどうしてこんなに片づかないのだろう。という話は、泡盛には関係ない。

 子どもが生まれたら、泡盛の甕を床下に埋めて、子どもが二十歳になったときに開ける。それが古い習慣だと聞いたことはあるけれど、昔の人で、本当にそんなことができた人はほとんどいないと思う。そもそも、古酒にするというのはほんの一部の粋人のお遊びで、一般庶民は酒を甕に満たすことすらままならなかっただろう。せいぜい、三合ビンの栓を開けたいのを我慢して、押し入れの隅に置いておくとか、お墓の中に入れておくとかいったところだったに違いない。

 私は、甕を買うことにした。
 新しい家に移って、少し気が大きくなっていたのかも知れない。この先、引っ越しをすることもないだろうという気持ちのせいかもしれない。押し入れに甕を置く余裕があったからというのが、一番の理由かもしれない。とにかく、買うことに決めた。
 まだインターネットを利用していない頃だったので、電話で五升の甕(酒が入ったもの)を二つ注文。数ヶ月後には一斗甕(酒が入ったもの)も購入。これで、仕次ぎを楽しめる。
 さらに、三升の甕(酒入り)を二つ購入。ここまでは、酒造会社が酒をいれて販売しているものばかりだったのだが、いわゆる「壷屋焼き」の甕もほしくなった。そこで、壷屋へ行って五升の甕を購入。この時驚いたのは、それまでに購入した五升甕(酒入り)よりも、この甕だけの値段の方が高かったことだ。これはつまり、酒造会社が酒を入れて売っている甕の質はあまり期待できないと言うことかもしれない。ちなみに、その甕には60度の酒を入れてある。

 押し入れに並ぶ甕。見ているだけで楽しいものだ。眺めながら、そうだ、あの有名な銘柄も買っておこう。あの島の酒もはずせないから、などと考える。いろんな理由を付けて甕は増えていった。さすがに、一銘柄につき三つの甕を買うほど裕福ではない。最初の一銘柄だけは甕三つ。あとは、甕を一つずつ購入して、仕次ぎは一升ビンからということにすればよい。一升ビンに入った古酒が売られているのだから。


☆本来は、このように年数の違う泡盛(甕)を並べて番号順に仕次ぎを行う。
  ただし、酒を足してから飲むという意見(番号を逆にする)もある。



☆一つの甕でも、古酒を購入して仕次ぎをするならこれで良しとする。
 古酒を育てるとは、仕次ぎをすることだと言ってもよいだろう。これが私にとっては問題なのだ。

 仕次ぎの仕方は、酒造会社のパンフレットや沖縄ファン向けの雑誌などに書かれているように、減ったら継ぎ足す。あるいは、一定期間保存して、一定量を汲み出して、新しい酒を注ぎ足す。ということで良いはずだ。難しいことではない。気をつけることと言えば、せいぜい「仕次ぎの間隔と量」くらいだろう。私は「毎年1月に、甕の5〜10%」を汲み出し、仕次ぎをすると決めた。今でもそれを忠実に守っている。

 何が問題なのか?

 私にとって問題なのは、汲み出した酒の処理だ。
 私は飲まない。だから、例えば三合汲み出して、新しい酒を三合入れると、汲み出した三合が残る。いつまでも残っている。次の仕次ぎまで残っているのだ。
 一つの銘柄の甕を3つ並べれば、順々に仕次ぎをするので、甕が三つでも汲み出して残る酒は三合だけ。しかし、銘柄を増やすと、それぞれの銘柄の酒が三合ずつ残ってしまう。調子に乗っていくつもの銘柄を揃えてしまった私は、毎年一升以上の酒が残る。大問題である。

 知人にその話をすると、「ならば、自分が助けてやる」と言う。つまり、飲んでやろうというわけだ。
 「これが、我が家の泡盛です」
 そう言って差し出す。旨い旨いとたいそう喜んでくれた。私もうれしい。が、待てよ。我が家の泡盛を私の前で飲んでいるこの人は、たとえ不味いと思っても旨いとしか言えないではないか。そこで、考えた。同じ銘柄の、市販品と我が家の甕の泡盛とを飲み比べてもらうのだ。そして、こう尋ねる。

 「どちらが旨いですか?」

 我が家のものだと言ってくださる。お世辞だとは思うが、これがうれしい。「私は泡盛を育てている」という、確かな手応えを感じることができるのだ。
 それからは、人に飲ませるのが喜びになった。

 あるとき、お客様に「どちらが我が家のものか、目隠しをしてもわかるものですかねえ」と尋ねた。飲まない私は、泡盛の味の違いなどというものは、味の違い以上に心持ちの違いの方が大きいのではないかと思っていた。つまり、おいしいと言われた酒はおいしいと思うし、貴重な酒だと言われればありがたい味に感じてしまうに違いない。

 泡盛というのは米と黒麹でできている。黒麹といっても、たった一種類の麹菌ではないそうだが、実は、ほとんどの泡盛の酒造所が、同じ会社の種麹を仕入れて使っているのだそうだ。つまり、いくつもの酒造所があるけれど、その材料はほとんど同じなのだ。

 さて、件のお客様は、当然わかるとおっしゃる。失礼とは思いつつも、試させていただいた。見事に当ててくださった。さらに、家にあった他の酒も飲んでもらった。「これは、最初にガツンとくるけれど、すぐに退いていく」「こっちは飲んだ後で、また鼻に戻ってくる感じだね」「うん、これは古酒らしい香りだ」一つ一つの酒に、いろいろなコメントをしてくださる。おもしろい。どうやら、泡盛というやつは、どれも米と黒麹でできた酒なのに、一つとして同じものはないようだ。

 それから、酒の飲めるお客様には必ず数種類の泡盛を飲んでいただき、コメントを聞かせてもらうことにした。おもしろいことに、何人ものコメントをきいているうちに、「この酒はこんな味なのだ」というイメージが飲まない私の中にできてくる。やがて、この酒を飲んだお客様はこんなコメントをしてくれるだろうと予想できるようになってくる。こちらの予想を裏切るコメントを言うお客様もいらっしゃるけれど、それもまた楽しい。

 お客さんとの話の中で、「あの酒がうまかった」といった話が出れば、それを購入するし、古酒と新酒を比べてみたくなって両方揃えるということをしたり、インターネットでめずらしい泡盛を見つけるとつい買ってみたくなったりと、泡盛は増え続ける。そのうえ、お客様が手みやげに泡盛を持ってきてくださる。今、我が家の押し入れには、お客様からいただいた泡盛だけで、30本近くになっている。ちなみに、どのお客様も、私が飲まないということを知っておいでだ。

 こうして、我が家の押し入れは、泡盛であふれだした。
 「いちにの三線」を公開して、大阪に知人も増えた。知人のHPを拝見すると、やはりそこにも泡盛の話。その中でも一番驚いたのは、B氏のHPである。

 B氏のHPは「いちにの三線」より前から公開されている。【三線】【陶芸】【料理】そして【泡盛】と、ご自身の趣味を生かした楽しい記事が満載だ。
 【料理】のコーナーには沖縄料理だけで20種以上。その他の料理も40種近くが掲載されていて、しかも、どこかのレシピを写したものではなく、ご自身で調理しておられるし写真も自前だ。大阪の「ふぐ取り扱い登録者」=いわゆるフグを調理する免許を所持したということからも、その力の入れようが伺える。
 【泡盛】のコーナーは、様々な銘柄とその味を独自の表現で評価してあって、飲まない私にも楽しめる。
 【料理】と【泡盛】この二つが並ぶことは必然と言ってもよいだろう。そう、うまい泡盛にはうまい料理が欠かせない。B氏はここに、美食の世界を完結させていると言っても過言ではない。しかし、私が驚いたのは、そこに【陶芸】が関わってくる点である。
 「料理を並べる器や酒器も作るわけだね」と二度頷いたあなたは、甘い。B氏が作り上げたのは甕。泡盛を寝かせる甕なのである。

 焼き物については詳しくないけれど、水を入れる容器などは、表面に釉薬を塗ってコーティングするのが普通らしい。しかし、泡盛を熟成させる甕は、できれば泡盛と土が接触できる状態、つまりコーティングされていないのが良いと言う。コーティングなしの焼き締めたままの状態で水(酒)が漏れないように仕上げるのは、ずいぶんと難しいのだそうだ。
 B氏はそれに挑戦し、成功させてしまった。HPの「甕造りからはじめる古酒造り」は、B氏の泡盛と陶芸に傾ける情熱の集大成なのだ。その甕に泡盛が注ぎ込まれたのは2004年の10月。まもなく二度目の仕次ぎを迎えるそうだ。

 あるとき、B氏が我が家へいらした。我が家の押し入れに並んだ泡盛を見ていただく。私は小鼻を少しふくらませながら、甕の中身などを説明する。これは、我が家のお客様が必ず通過しなければならない「儀礼」である。
 普通は、この後で泡盛を飲んでいただき、味についてのコメントを聞いて楽しむわけだが、この日は違っていた。B氏は押し入れに頭を突っ込むようにして、甕を見回す。そして、中の一つに手を触れて、恍惚の表情で「これはいいですねえ」とおっしゃるのだ。それは「酒の入った甕よりも値段が高かった壷屋の甕」である。その甕に触れた手は、まるで甕のぬくもりを確かめているかのようだった。体温よりも甕の温度の方が低いはずだけれど。
 B氏は焼き物の「専門家」なのだ。しばらく甕の感触を楽しんでいただいたあと、私は小さな徳利をB氏の前に置いた。20年古酒と書かれた市販の泡盛である。この酒造所は自前で甕や徳利を焼いているのだそうだ。焼き物は、炎で焼くと表面に模様=窯変(ようへん)と呼ぶそうだ=が現れることがある。この会社は電気窯で作っているのに、窯変がある。「めずらしいでしょう?」と言うと、「ああ、たぶん塩を使っているのでしょう」と即答。電気窯でも窯変を起こす方法として、塩を使う技法があるらしい。さすがは専門家である。

 B氏が自前の甕で育てた泡盛。いったいどのような味になっているのだろう。飲まない私も気になるところだ。

 どうなっているのだろう・・・気になる・・・じっと待っていれば、B氏がHPで「こんな味でした」という記事を書いてくれるにちがいない。しかし、それを待つのもいかがなものか。仮に、明日その記事を読めたとしても、私は満足できそうにない。やはり、その酒を目の前に置いて、それを飲む人の口から直接言葉を聞きたい。B氏も、自分一人で飲んで感想を書くだけで納得できるだろうか。いや、できるはずがない。他所の古酒と比較して、人にも飲ませて、自分も飲んで、味を確かめたいに違いないのだ。

 ある日、私はB氏にこう言った。

 「いつか、自前で育てた泡盛を持ち寄って、味比べをしたいですね」
 「いいですねえ。やりましょうよ」

 こうして『泡盛コンクール』が企画されたのだ。

2006,10