芸能についてのお話です。すべて私見ですので、常識から少し外れているかもしれません。






GO MOUTH HERE MOUTH 歌わされたとは言わない
いやあ、昨日行った民謡酒場で、偶然教室の仲間に会っちゃって。ゆっくり飲みたかったのにさ、どうしても歌って聞かせろってもう・・・結局、3曲も歌わされちゃったよ」

 そういいながら、すこし嬉しそうな口元。本当は弾きたかったんじゃないですか?

 今(2003年)から7,8年前だったと思います。琉球大学八重山芸能研究会の部室(琉大キャンパスにあります)で後輩達とおしゃべりしていると、そこへ部員が一人、真っ昼間から三線を持って入ってきました。

 「あれ、今日はどこかで余興でもあったの?」
 「いえ、授業が終わったところです」
 「授業に三線?歌ってきたの?」
 「はい。夜の子守唄(月ぬかいしゃー)を」
 「あんたも、いろんなところで歌わされて、大変だねえ」
え?歌わされた・・・まあ、そうですね。歌わされたっていうことに・・・なりますかね」

 たったこれだけの会話だったのですけれど、私は彼の言葉と表情から、大切なことを勉強をさせてもらいました。
 彼は、八重山民謡の実力者。当時学生でしたが、そのころすでに八重山民謡の世界では教師になれる人でした。私など、足元にも及ばない。かといって、自己顕示欲が強いわけでなく、自分の実力を鼻にかけるようなこともない。後輩ながら尊敬できる人物です。
 そんな彼との会話に、「歌わされた」とか「歌ってあげた」というような言葉や態度を感じないのです。まるで、授業の中で歌うことを楽しんできたような言い方、そう「歌わせてもらってきました」というような表情。
 そのとき、彼がとても大きく見えました。こういう姿勢で生きていこう(ちょっと大げさ)と思いました。

いやあ、昨日行った民謡酒場で、偶然教室の仲間に会っちゃって。飲みながら、あの曲が好きだとか、あれも味があるとか盛り上がって、結局3曲も歌わせてもらったんだよ。やっぱり、歌える仲間がいるって、楽しいよね」

 この方がいいでしょう。

 とはいえ、どこでも出て行って歌うというわけではありませんし、断るべきところはきちんと断ろうと思っています。

 あ、その前に、歌ってくれと言われることがあるかどうか・・・・



GO MOUTH HERE MOUTH 古典と民謡は仲がよい
 「三線弾ちゃーは、アシバーさあ」

 仕事をせずに三線を弾いている=アシバー
 アシバーというのは、「遊んでいる人」ということですが、それよりも「不良」という言葉の方がふさわしいかも。
 毛遊び盛んな頃は、三線を弾いて民謡を歌っている人は夜な夜な悪い遊びばかりしていると思われたということでしょう。
 でも、三線の世界にはもう一つ、尊敬されるジャンルがあります。古典です。
 民謡と古典、どちらも沖縄の音楽ですが、沖縄の人たちのそれぞれの音楽に対する意識の違いは大きかったと思います。

 古典をやっている人は「趣味があるね」と言われ、
 民謡しかやらない人は「アシバー」と見下げられる。

古典は教養。民謡は遊び。という考え方でしょうか。

 女性が民謡に興味をもつと、さらにこんな話がついてきます。
 「おまえは、ジュリになるつもりね!」
 妻の母(城辺町出身)も言われたそうですし、他の人からも聞いたことがあります。
教養としての三線は、あくまでも男の場合であり、女性が三線を弾くのは、それは芸を売るという意味になる。ということでしょう。

 さらに、古典と民謡のお話。
君たちが今から私のようになることはムリだが、私がきみたちのようにすることは簡単だ」

 何のことかわからないでしょう。この「君たち」は古典の人。「私」は、有名な民謡歌手。「君たち」は返す言葉が無かったそうです。
 民謡の歌い手は、いつでも古典を勉強することができる。あるいは、古典のいくつかを演奏することができる。でも、古典をやっている人が、民謡(の早弾きなど)をすぐにマスターできるか?いや、できないはずだ。と言いたいのでしょう。
 この言葉の裏には「古典の人は民謡をばかにしている」という風潮があって、「ばかにされてたまるか!」という意識があるわけですが、今では、このような意識は薄くなっているのではないでしょうか。念のために書いておきますが、 「古典をやっている人は、だれも早弾きができない」なんてことはありませんので。

小浜島出身の先輩から、
「古典やってもだめだよー。民謡だよー。うちのおやじなんて、古典しかやらないから、みんなで集まっても何もできんわけ。民謡やっていたら、みんなで遊べるから、民謡がいいんだよー」
と聞かされたことがあります。
 古典は高尚な趣味ではありますが、実生活ではあまり役にたたない。民謡よりも古典を上と位置づけておきながら、人を喜ばせるのは、民謡だというのが世間一般の考え方であったようです。

 同じように、古典舞踊や組踊りについては「高尚なもの」と考え、沖縄芝居や村芝居については「低俗」という意識もあったようです。
 20年以上も前(1970年代)のお話ですが。
 ホテルのレストランで、沖縄芝居の格好をした二人が食事をしていました。ホテルで余興でもあったのでしょうか。それを見た40代の女性客が、
「まあ、このホテルも落ちたものね」
とつぶやきました。民謡や沖縄芝居に対する偏見は、強かったのです。まあ、舞台化粧のままレストランで食事というのも、いかがなものかとは思いますけど。

 ともあれ、現在では三線にせよ舞台芸能にせよ、「古典が上」というような意識も薄らいできているようで、むしろジャンルにとらわれずに沖縄の音楽を楽しもうという人が多いようです。
 古典の教室でも民謡を取り入れてみたり、民謡の教室でも、「上り口説き(ぬぶいくどぅち)」や「かぎやで風(かじゃでぃふう)」ぐらいはやっているところもあるでしょうね。

 これからも、古典と民謡はどんどん仲良くなることでしょう。



GO MOUTH HERE MOUTH お客さんから学びたい
 まだ20世紀だった頃の話ですが。といいましても、100年も前じゃないんですよ。
 与那国出身の友人(当時東京在住)が大阪へ来たとき、一緒に「民謡酒場」へ行きました。
 そのころ、その民謡酒場では宮里榮弘さんがステージに立っておられました。榮弘さんのステージは、歌と踊りはもちろん、空手や獅子舞と、一回のステージで沖縄の芸能を堪能できるすばらしいものでした。沖縄から来た他の友人も、その店に連れて行くと、「え?宮里榮弘さんが大阪に!」と驚き、舞台を見て二度驚いたものです。(2008年現在、沖縄に戻られています)

 さて、その友人と榮弘さんのステージを見ていたときのことです。
 歌や踊りのあと、榮弘さんは鎌を取り出します。二本の鎌の握りの部分を長い紐で結びつけた武具です。ご想像のとおり、紐を持って鎌を振り回します。しかも、その振り回している勢いで、紐の部分を自分の胴体に巻き付けたり、首に巻き付けたり、見ているこちらの方が汗をかいてしまうすさまじい演技なのです。あ、もちろん、鎌は本物。演技の前に、大根をスッパリ切ってくれました。

 演技の要所要所で、キメのポーズが入ります。あるいは、特に力のはいった腕の振りだとか、蹴りだとか、そういう部分というのがあるわけです。想像していただけますよね。
 友人は、そのキメのところで、「イヨ!」「ウリ!」「シタイ!」などと、声をかけるのです。その声のかけどころが、ピタッ、ピタッ、と決まるのです。見ている私の気持ちも、演技とその声とに同調して、緊張感と楽しさが倍増します。おそらく、演じている榮弘さんも気持ちいいでしょうね。舞台と客席の一体感というのは、こういうものかもしれません。

 民謡の舞台でも、いいところでかけ声がかかることって、ありますよね。「シターイ」とか。声ではなくて、拍手の場合もあります。歌や演技の最後に拍手するのは当然ですが、そうじゃなくて、途中でもいいところで声がかかったり拍手が起こったりすると、それもまた舞台効果の一つになってくれますよね。

 沖縄出身の人なら、演じ手としてよりも、観客としてのキャリアの方が長いでしょうね。生まれてからずっと、好き嫌いは別にして歌や踊りを見る機会は多かったと思います。そのときに、舞台だけでなく、無意識のうちに観客からも学んでいるのでしょう。友人は、歌三線や太鼓をこなしますが、観客としても年季が入っているし、一流なのだと思いました。
 県外出身の私たちは、歌や踊りは自分で練習できますが、お客さんとしての勉強がなかなかできません。うまく歌えるようになるよりも、よい観客になる方が、むずかしいのかもしれませんね。同時に、よい観客になれなければ、本当にいい演じ手にはなれないのかもしれない。と思ったのでした。




GO MOUTH HERE MOUTH おもしろいと言われたい
 最高の賛辞は「おもしろい」でした。

 八重芸の部員だったころ、八重山の島々へ行って歌や踊りを教えていただくとき、こちらからも歌や踊りを披露させていただくことがありました。「教えていただいて、ありがとうございました」というお礼の気持ちだったり、「これだけの技術を持っていますので、どうか教えてください」というお願いだったり「どうだ、すごいだろう」という自己顕示欲だったり。とにかく、島の人の前で歌ったり踊ったりすることがありました。

 取材先です。つまり、相手は私たちに歌や踊りを教えてくださる(あるいは、こちらが教えてほしいと思っている)人です。芸能に興味がないはずがありません。歌や踊りを見てくださったあとには、いろんな反応があるわけです。

 「へー、めずらしいねえ」

 と言われることが一番多かったでしょうか。当時は、若い(二十歳前後)人が芸能をやるというのがめずらしかったのです。それと、「めずらしい」には「すごい」という意味も少しは含まれていることがありました。言われて、悪い気はしません。
 こうして、一つ二つ歌ったり踊ったりすることで、さらに会話がはずみ、取材がうまくいくということもあるわけです。

 舞台の後ですと「おもしろい」とか「おもしろかった」と言われるのが普通ですが、取材先で、つまり、相手のご自宅やその庭先で歌ったり踊ったりして「おもしろい」とは、なかなか言われませんでした。こちらの腕前の問題もあるでしょうし、衣装も何もなしでお見せしているということもあるでしょう。それでも、何度かは「おもしろいねえ。ちょっとまってね。となりのおばあさんも呼んでこようね」なんて言ってくださった人もおられました。

 「めずらしい」「うまい」「すごい」というのは、技術を評価してもらっているような気がします。よい評価ですから、嬉しくないわけではありません。でも、楽しかったのかどうか。いえ、それは考えすぎで、うまいと言っていただけるのですから楽しんでもいただけたのでしょうけれど、なんだか楽しむ前に一つクッションをおいているような気がします。たとえば腕組みしながら、批評している人を想像するわけです。
 「おもしろい」は、心から直接出てくる言葉のような気がします。見ていただいた踊りが、相手の心に直接届いて、心の底から楽しんでくださった。満面の笑み、手拍子、口を開けて笑い、ときには「シタイ」などと声がかかる。

 人前で演奏することはめったにありませんが、演奏するなら「おもしろい」と思われたい。そんなときは、演奏していてもおもしろいに違いありません。




GO MOUTH HERE MOUTH 民謡酒場は客しだい
 今、大阪で八重山民謡の笛を吹かせたら、おそらく5本の指に入るであろうと思われる知人から、メールをいただきました。(一部抜粋変更あり)

今日は、大阪のとある民謡酒場へいって、小浜節を歌ってきましたが、店主にいろいろご指摘を受けました。
聴いてもらえる人がいて、タイミングがよければご指摘までいただける。
飛び入りの沖縄民謡もきけるし、お酒も飲める。
発表をする場でもあり、他の人の唄や芸をみる事が出来る。
「民謡酒場」って、民謡をする人にはいい場所だなー、と改めておもいました。

 メールをくださった方は、大阪出身。とおっしゃってますけれど、この文章からは沖縄、あるいは八重山の人っぽい部分がたくさん。
 まず、『小浜節』ってところです。「民謡酒場で小浜節」って、さらりと言えるところがすごい。
 それから「沖縄民謡」という言葉。八重山と区別してます。
 さらに、「民謡をする人」という言い回し。これも沖縄の人でないとあまり使わない言葉です。

 といった分析はともかく、「民謡をする人」から見た民謡酒場の楽しさをみごとにまとめてくださいました。このページは、これでおしまいにしてもよいのですけれど、人のメールをコピーしておしまいでは「手抜き!」とお叱りをうけかねませんので、もう少し続けます。

 私の勝手なイメージですけれど、入口が狭く、中が薄暗く、舞台があって、ちょっとケバケバシイ。夜遅くから盛り上がって、「このおばあさん、こんな時間まで家をあけていてご家族が心配しないのかな」と横を見ると、なぜか小さな子どもがいたりして。舞台で演奏する人は、女性は琉装なのに男性は演歌歌手みたい。少し歌ったとおもったら、なぜかお客さんを舞台に呼んで、一回のステージの、半分以上はお客さんの歌だったりする。で、お会計はけっこう安い。というのが民謡酒場。どうです?

 民謡酒場と一つに括ってしまいますけれど、民謡酒場という名前ではなくて、民謡スナックとかライブハウスとか、呼ばれ方もいろいろあれば、店構えも舞台の内容もいろいろですよね。
 有名な歌手がいつも舞台に立ってくれていたり、なぜか、別の店の歌手が客席にいたり、そんな場面に出会えると、得した気分です。

 ステージの合間は、出演者の休憩時間ではありますが、その休憩時間に客席を回って話し相手をしてくださる店もありますね。いや、ありますねじゃなくて、それが普通なのかも。とにかく、出演者とお客さんの距離がとっても近いのが民謡酒場だと思うのです。

 このHPをご覧の皆さんは、先ほどのメールをくださったかたのように、三線を弾いておられるか、民謡に興味のあるかただと思いますので、民謡酒場に行ったとき、ご自分がステージに立つこともあるでしょうね。家で練習して、民謡酒場で発表。正しい民謡の楽しみ方だと思います。

 民謡酒場で気をつけなければならないことは?と聞かれたら。
 飲み過ぎに注意とか、他のお客さんと仲良くとか、いつもにこにこ現金払いというのも、もちろん大切なのですが、民謡ファンの私たちが気をつけなければならないことの一つに、出演者の得意なジャンルを考慮するということをあげておきたいと思うのです。
 沖縄、宮古、八重山、どこの歌でもどんとこい!という歌い手もいるかもしれませんが、それは特別だと思ってください。たいていの歌手は、どれか得意なジャンルがあり、自分がそのジャンルの歌い手であるというプライドをもっておられると思います。
 八重山民謡の歌手に『揚古見ぬ浦節』が聞きたい、と言えば「お客さん。民謡やってるの?八重山の人?」なんて話になって、喜んで演奏してくれるかもしれませんが、沖縄民謡の歌手に『揚古見ぬ浦』と言っても「アギクンヌ・・・何?どこの歌?」ってことになりかねません。歌手にとっても、リクエストされた歌が歌えないというのは屈辱的(?)です。仮に沖縄民謡の歌手が「あ、八重山の歌ね。じゃあ、歌いましょう」と言って歌ってくれたとしても、八重山民謡ファンを納得させる歌が歌えるかどうか。

 同じ民謡酒場に行っても、すごく満足できる日と、ちょっと不満の残る日があるそうです。「プロなんだから、いつでもすべてのお客さんが満足できる立派なステージにするべきです」という意見もわかりますけれど、私は、よいお客さんが集まっている日に行けば、お客さんも出演者も楽しい。民謡酒場は客しだい。って思うんですけど。どうです?

 そうそう。昔、こんな話がありました。

石垣島の民謡酒場へ行ったんだけど、沖縄民謡ばかりで八重山民謡が聴けなかった」

 民謡酒場の主流は「沖縄民謡」です。宮古や八重山へ行っても、民謡酒場では沖縄民謡ばかり。という時代もありました。最近は、八重山出身の民謡歌手もがんばっておられますので、石垣島へ行けば有名な八重山民謡の歌い手がステージに立っている「八重山民謡の民謡酒場」もあるそうです。ついでに書きますと、八重山民謡をステージで歌う人なら、沖縄民謡もある程度できますね。これはちょうど、「方言を使える人は、方言と共通語がわかる」のと同じ。方言=八重山、共通語=沖縄というわけです。

 でも、私は民謡酒場へはめったに行きません。飲めませんので・・・・



GO MOUTH HERE MOUTH 琉球古典は美しい
 歌や踊りを楽しんだとき、「おもしろい」という言葉をよく使います。
 心から楽しめるもの。わたしはそう解釈しています。歌や踊りを見ていただいて、「おもしろい」と言っていただけることは幸せです。でも、本当はその前に自分自身が「これ、おもしろい歌だなあ」と思えるようでなければいけない。はずなのです。

 自分で好きな曲を練習している人は、最初の練習曲が一番すきな曲だったかもしれません。教室に通っている人はどうでしょう。最初に練習する曲を「ああ、いい曲だなあ」と思えました?教室の先生から与えられた課題曲だったでしょうから、好き嫌いを言っていられないですし「へー、最初はこれから始めるのかあ。ふーん」と思うだけで「上手になったら、島唄も弾けるかな」などと考えていたのではありませんか。

 私の場合、最初に教えてもらったのが『鷲ぬ鳥節』でした。これを覚えなければならないのだという義務感で覚えました。歌を味わうということはありませんでした。次の曲は、舞台で歌うからという理由で『赤馬節』。八重山民謡を習っている人ですと、「二曲目にもう赤馬?」と驚くかもしれません。でも、発表会の幕開けはこれです。やらねばならぬ。と懸命に覚えました。

 学生のころ、与那国出身の友人が工工四を開いて、私に見せながら「この歌がいいんだよな。ここ、この高く上がるところなんか、最高だよ。おもしろいよ」なんて、よく解説してくれたものです。友人の口からは、「いいんだよな」とか「おもしろい」がよく出てきましたので、聞く側の私も「なるほどお」と、いつも通りの返事。でも、友人は本当におもしろい歌だと思っているんです。いえ、歌のおもしろさをわかっていたと書くべきなのでしょうね。

 古典や民謡の教室では『安波(あは)節』を入門曲としているところが多いと聞きます。大阪の知人から聞いたところ、大阪の教室でも『安波節』からだったそうです。知人は、その後『かぎやで風節』に進み、そこで古典の美しさに触れます。つまり、「おもしろい」と思えたわけです。この人もすごいです。

 沖縄から大阪へ来て2年間ほどは、全くと言ってよいくらい三線に触れませんでした。そんなとき、沖縄の友人から言われて、石垣島の「赤馬の碑」の前で『赤馬節』を弾いたのです。なんと、途中で止まりました。これほど歌い慣れた曲でも、ずっと歌わずにいると忘れてしまうのですねえ。なんて今だから落ち着いていられますが、その時は本当にショックで、「よし!これから三線にさわろう」と心に誓ったのでした。
 こうしてまた、三線を弾くようになりました。めでたしめでたし。ではないのです。
 先ほど書きました友人や知人の話。彼らはみな歌三線をおもしろいと思っています。私はどうなんでしょう。決心したのは「弾けなくなって恥ずかしいから」です。あるいは「弾けてたのに、もったいないから」かも。これはちょっと、どうなんでしょうねえ。

 あれからずいぶん月日が流れましたが、民謡をやっていて、ふと友人の言葉を思い出し「なるほど、たしかにいいなあ」と思えるときがあります。同時に、あのころから民謡を「おもしろい」と思えた友人の感性のすごさを感じています。

 いつか、友人や知人たちの域まで達したいと思っています。



GO MOUTH HERE MOUTH 公園デビューは楽しい
 「オレ、今度、ライブをやるんです。まだまだ未熟なオレっすけど、見に来てください」

 一度でいいから、こんな台詞を言ってみたい。でしょ?

 三線を始めた頃は、音が鳴るだけでうれしい。曲になれば夢中。歌って最高。ですが、この先が難しいですよね。研究所に通っていたり同じ趣味の仲間がいて、発表会やライブができる人はいいですが、独学で仲間も見つからない場合はどうしましょう。

 私がメールでお世話になっている「ナベ」さんは、まさに「独学で仲間無し」の状態でした。
 「ナベ」さんの三線は独学ですが、今までにいろんな楽器を経験してこられて、音楽的な基礎がしっかりしてらっしゃるようで、歌三線のレパートリーを順調に増やしてこられました。が、仲間の方はなんともしがたいようです。
 ある日、「ナベ」さんから『はじめての「外」三線』という件名のメールが届きました。その一部分を紹介します。(以下、枠で囲んである部分は「ナベ」さんからのメールです。部分的に変更している場合もあります)

 おもしろいもので、こうやって外で三線を弾いていると、かなりの人が興味津々で、
 「あの楽器はなんだ?」とか
 「あ、三線だ」とか
 まるで言葉が聞こえてきそうな視線を送ってきます。
 特にご年配の方などは話し掛けてくださる人が多かったです。
 「何か弾いて歌ってみて」
 などといろいろなご年配の方に言われまして恥ずかしがりながらも何曲か披露させていただいたわけですが、なぜか「西武門節」が一番人気でした。みなさんご存知無いそうでしたが…。
 「安里屋ユンタ」などはご年配の方はどなたもご存知でおられてびっくりしました。

 広いところでおもいっきり練習するのが目的だったのが、いつしか、人が集まり、集まった人たちを意識して演奏するようになる。これはもう、ライブですよね。
 そんな「ナベ」さんに、「公園ライブ」のコツを尋ねましたところ、経験者でなければ気づかない「配慮のしどころ」をたいへんわかりやすく、しかも丁寧に教えてくださいましたので、みなさんに紹介させていただきます。

1、どんな公園でもいいの?
 公園にもいろいろありますよね。小さな団地の、四角い建物の間に挟まれたような小さな公園もあれば、公園の中に競技場があったり、お城がそびえ立っているところもあるでしょう。
 基本的に、狭くて近くに民家があるような公園は三線練習に向いていないでしょうね。できるだけ広い方が好都合です。その意味では、公園という名前でなくても、河川敷や海岸なども候補地といえそうです。

 「ナベ」さんは、こう書いておられます。
@キャッチボールやバドミントンをやっている人達が多い場所、
A愛犬家達の溜り場的な場所、
B芝生などが生えていて人々が敷物を敷いてくつろいでいるような場所
  (その中でも歩道などから近い方が人が通るので私は好きですが。)
C人が全くいない場所(例えば木々が生えているようなあまり日光が当たらない場所)

 その色々ある中で、とりあえず「安全な」「場違いにならないような」場所を私は選びます。そういう視点から考えますと、まず@とAはパスします。ちょっと目を離した隙に三線が・・・。なんていうことにならないようにします。

 そこでBとCなわけです。
 Cは公園デビュー向きです。私はとりあえず最初はこういう場所でやってみました。ただ、大体こういう場所は寂しいですし、なにより不便です(トイレ・自販機から遠い等)。
 Bの場所は一番安全で理想的ですが、なかなか難しい部分もあります。
 三線だけに限らず、楽器類に対して理解のある人ばかりが公園に来ているわけではありません。「うるさい。他所でやってくれ」などと言われてしまう場合もあります。理想的なのはBの場所で、弾いている自分と人々との距離が「心地よい距離」であるということです。「みんなに対してうるさくなく、自分もあまり他人の事が気にならないような」距離であることです。

 三線弾きながら、ボールをかわしたり、犬に追いかけられるというのは困るでしょう。かといって、あまり寂しい場所はトイレや自販機がないので不便。なるほど、ゆっくり時間をとって練習したいとなれば、これは欠かせないと言えそうです。経験者ならではの視点ですよね。
 そして、私が一番注目したいのが「距離」です。その理想的な距離の作り方ってあるのでしょうか。
 文中にもありますように、公園にはいろんな人が来るわけです。目的もいろいろでしょうし、音楽の好みなんてわかりっこない。しかも、それぞれ自分の都合で好きな場所にいるわけでしょう。そんな人たちの中で、どうやって理想の距離=理想的な位置を見つけ出せばいいのでしょう。「そりゃ、無理でしょう」と私の心の中で声がしたのですけれど、この後の文章を読んで、目から鱗が落ちました。大切なのは、「いつ、公園へ行くか」だったのです。

2,よい距離を確保するために
 みんなの公園です。その場の雰囲気を考えなければなりません。そして、先ほど書きましたとおり「他人との理想的な距離」を作りだすのです。
 その方法とは?
 公園に行く時間帯を工夫すれば自分の理想的な場所を確保できます。私の場合ですと、大体休日には朝10時前に公園に着くようにしています。人通りがそこそこあって樹木が少しあって(直射日光防止のため)トイレや自販機なんかも近かったりする理想の場所で気分良く演奏できます。弁当を作って持っていけば、昼も問題ないです。

 単純に「早い者勝ち!」ということです。自分が一番先に理想的な場所にいられれば、後から自分の周りに来る人達は自ずと「三線は気にならない」とか「いいBGMじゃないの〜」なんて言ってくれたりとかいうありがたい人達だけということになります。
 私のお勧めは休日の朝〜午後3時くらいまでですね。
 夕方もいいですが、寒い季節は手がかじかんで、やるつもりも無いのに掛音が勝手に入ります(笑)。

 「早い者勝ち」という言葉に、「みんなの公園なのに、身勝手では?」という印象をもたれたかもしれません。でも、けっして強引に場所取りをしてそこから動かないという意味ではないのです。
 まず、早めに行って、適当な場所を探す。それは、トイレや自販機という自分にとって都合のよい場所であることも大切ですが、ここでいう場所探しは、人の流れや集まる場所を考え憩いの場所としての公園の機能を邪魔しない場所を見極めることなのです。
 「砂場に子どもたちが集まる」「木陰にお年寄りがたたずむ」「噴水の横のベンチで恋人同士が語り合う」「芝生の上でお弁当を広げる」といった公園のポイントの一つに「三線を弾く人のまわりで、沖縄を感じる」というポイントを一つ作ると思えばよいでしょう。
 先に場所を確保しておくことで、あとから来た人たちがポイントを「選択できる」わけです。無理に聞かせるのではなく、聞きたい人が集まれる。そういう場所を先に確保しておくという意味なのですね。離れたい人は離れ、寄りたい人は寄る。話しかけてくる人もいれば、踊り出す人もいる。そういう理想的な距離は、つまり、こちらから作るのではなく、まわりのみなさんが作り出してくれるわけです。
 それでもなお、みんなの公園で場所を確保するということに躊躇いを感じるのでしたら、それはその公園の広さや環境の問題でしょう。できそうにないところでは、やるべきではない。それは当然ですよね。ちなみに、「ナベ」さんが練習している公演は野球場よりもずっと広いみたいですよ。

 さらに、「ナベ」さんのメールはこう続けています。
 いくら周りに「楽器の音が気にならない人達」「三線に好意的な人」ばかりが集まったとしても、同じ曲を延々と聴かされるのは辛いと思います。
 レパートリーに気を配ります。なるべく多く家で練習しておきます。その日その日で弾く曲を考えたり、その場その場で考えたりします。自分の場合は
 「あ、おばあさん達が歩いてくるぞ。それっ、安里屋ユンタだ…」とか
 「子供がこっち見てるなぁ、早弾きしたら踊ってくれるかも…」
 とか思いながらやっていたりします。ただ、基本的には「練習しに」行ってますので周りに気を配りながらも自分の好きな曲をやっています。

 人にもよるとは思いますが、たいていの人は歌は最初はなかなか歌えないと思います。(私は恥ずかしくて歌えませんでした。今は堂々と周りを気にせず歌っています)
 ですが、周りの反応を見ていますと三線だけ弾いていても
「あれ?沖縄の三味線だよね。歌は無いのかな〜?」
 なんていう不思議な目で見てくる人もいたりしますし
 「ちょっと一曲やってみてよ」
 などと言ってもらえた時のためにも、最初から歌ってたほうが早く慣れるでしょうね。
 やはり三線と唄はセットが周りの人達はしっくりくるようです。

 何回か公園でやってみると、一緒に歌ってくれる人もいます。多くは「安里屋ユンタ」や「十九の春」「芭蕉布」「島唄」などですが。

 これですよね。これがライブですよね。最高の練習ですよね。人が楽しんでくれて、自分が楽しい。だから、もっと練習しようと思う。この「よい循環」を続けていきたいものです。

 そして、
 今日はなんと、初めて「沖縄出身の人」に出会いました。「めでたい節」を一緒に歌いました。楽しかったです。
 その後、私の三線で「唐船ドーイ」を弾いてくれました。やっぱり上手いですね。高校の時までエイサーの地謡をやっていらっしゃったそうです。
「懐かしいなぁ〜。こんなところで三線弾いてる人と会うなんてね〜」
と言ってくださいました。

 だから、三線は楽しい。

 最後に、メールをくださった「ナベ」さんに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。