GO MOUTH HERE MOUTH うまさだけでは語れない
 古い話で、恐縮です。

 2003年3月30日。ライブを見ました。古典や民謡の発表会を見たことは何度かありますが、ライブというのはほとんど見たことがありません。インド料理の店内で開かれるライブは、客席もふだんのまま。私が座った席は、正しく座ると舞台に背を向ける格好になります。しかたなく、椅子を逆に向けて見ることにしました。
 出演者は女性1名男性3名計4名。みな知人で、県外の出身者です。
 県外出身者が沖縄を愛し、歌三線を楽しんでいるという話はめずらしくなくなってきましたが、ライブの内容は、八重山の歌だけで構成されています。しかも、2時間を4人で乗り切るのですから二度驚きです。
 構成は三部。一部は「鷲ぬ鳥節」などを4名全員で(一人は笛)聞かせてくれました。二部では独唱を。間にゲスト(こちらもプロではなく、個人で三線を楽しんでおられる方)が花を添え、三部はユンタや早弾きの曲。最後は弥勒節で締めくくるという、これまた「八重山伝統のスタイル」です。さらに、舞台で歌われた歌の中で、「波照間の島節」は波照間島の、「真栄節」は竹富島の、「小浜節」は小浜島の、それぞれ島の歌い方も披露してくれたのですから、三度驚き。世の中には、いろいろなグループがあるものです。

 グループをまとめていらっしゃる男性は、トークも歌も堂々としてすばらしかった。
 女性の歌声もすがすがしくて気持ちよかったです。
 笛を吹く男性は音程がしっかりしていて、歌をみごとにサポートしていました。笛が歌をサポートするのは当たり前だと思われるでしょうけれど、市販のCDには「歌を邪魔しているよなあ」とがっかりさせられる笛もあるんです。
 最後のお一人。舞台上手に立って三線を弾いておられた男性が、このページで話題にしたい人なのです。

 この男性は八重山の中でも竹富島が特に好きで、年に何度も通っておられます。2002年の種取祭は島で過ごされたそうで、しかも、「祭りを見に行く」というより、定宿にしている民宿で、祭りの裏方を手伝ってきたというようなお話もうかがいました。そうそう、「マンダラー」とよばれる長寿のお祝いも見てきたそうです。一度、この男性と私、そして私の友人(竹富島出身)の三名で立ち話をしたことがあるのですが、三名の立ち話が、いつの間にか二人の(もちろん、私以外の二人)竹富話になってしまって、私は三歩下がってうなづくばかりでした。

 さて、舞台では。
 失礼になることを承知で書きます。声の大きさや、音程の正確さ、レパートリーの広さ。どれも、他の三名には及ばないと思います。全員で歌っておられる時には、少し声が下がり気味になるところが気になりましたし、三線も弾き方が堅い。まあ、これは他の三名の技量がすばらしいということであって、この男性が特に劣っているというわけではないのですが。でも、二部では独唱をなさいます。私の心の中には、少し不安がありました。
 二部に入り、みなさんの独唱が始まります。リーダーの説明で、この男性が竹富島の民謡「真栄節」と「南作田ユンタ」を歌うことが告げられます。(竹富島では、この二曲をセットにした舞踊があります)男性が中央に進み出ます。
 歌持(=前奏)は、三線の勘所が決まりませんでしたが、歌に入ると音程も確かになり、声も落ち着いています。なにより、丁寧に歌っているところがすばらしい。二曲続けて最後まで(おそらく4分ほど)きっちりと歌いきりました。特に二曲目の「南作田ユンタ」では、お客さんの口から囃子がこぼれ出るほど、会場全体をよい雰囲気にしていました(リーダーがご自分で作られた歌詞集を、ライブの最初にお客さんに配っておいたことも功を奏しています)。歌い終わったときには、心の中の不安はどこへやら。「いい歌を聴かせて頂きました」という感謝の気持ちに変わっていました。

 これまた失礼になることを承知で書きます。独唱では、技量に勝る三名の歌より、この男性の歌の方が聴き応えがありました。

 「歌は心だ」とか「気持ちを込めて」などという言葉は、あまり好きではありません。これは、指導する人が、指導を避けている言葉だと思うのです。「心」を言う前に、指導者ならば指摘すべき点を的確に指摘し、指導すべき点をわかりやすく指導しなければいけません。声のできあがっていない人や音をしっかりつかめない人に、「心」をいくら説いても、歌がうまくなるはずがありませんから。
 でも、この日は少しだけ考えを改めさせられました。この歌が会場の私たちの心をつかんだのは、竹富島をこよなく愛するこの男性の心があったからにちがいありません。歌に気持ちがこもると、練習にも気持ちがこもるのでしょうね。心が技術を持ち上げた。と書けばわかりやすいかもしれません。技術も心も、「車の両輪」ってことでしょうか。

 結局最後は使い古された言葉で終わってしまいました。どうもすみません。



GO MOUTH HERE MOUTH 100年後も歌われていたい
 『イラヨイ月夜浜』が、八重山民謡と呼ばれる日は来るのか?

 この1曲について考えるわけではありません。新しい民謡がこの先「古典的民謡」とされるのだろうか。それを考えながら、八重山での歌の区分について考えてみます。
 アンケートをとったわけではありません。私の考えを書いたということで。

「古典的民謡」と「新しい民謡」

 クラッシック(クラシック)音楽と聞けば、「ああ、クラッシックね」と呟きながら、だれもが頭の上の方にポワンポワンと雲のような吹き出しを作って、音楽室で見た太めのバッハや夜になると目玉が動きそうなベートーベンを思い浮かべます。
 あの人たちが作曲していた時代には、クラッシックとは呼ばれなかったのでしょうね。でも、面白いのは、今の時代でもクラッシックの世界があって、新しい作品も生まれているのでしょう?
 つまり、クラッシックにはクラッシックらしさというのがあるわけです。定義?それは知りません。でも、定義が大切なのではなくて、クラッシックを演奏する人や聞く人たちがクラッシックであると思える曲であればクラッシックなのでしょう。

 民謡も、実はそういうものだろうと思うわけです。
 八重山の代表的な民謡といえば『とぅばらーま』『小浜節』『与那国しょんかねー節』といったところでしょうか。沖縄本島の人でも、民謡ファンなら、いやファンでなくても題名くらいは知っているでしょうし、聞き覚えもあるでしょう。
 ちょっと目先を変えて。
 『与那国小唄』『八重山育ち』『新川大漁節』も民謡として愛されていますよね。こちらも、沖縄本島の人でも聞き覚えのある歌だと思いますよ。
 前者3曲と後者3曲、どちらも八重山の民謡と言われますが、同列ではないですよね。

 『とぅばらーま』『小浜節』『与那国しょんかねー節』、そしてこれらと同列に考えられる曲に共通するのは、
(1)ほぼ、三線だけで歌として完成されている。
(2)言葉が八重山の方言。
(3)農業主体の時代。
 という点ではないでしょうか。
(1)は、民謡を民謡らしく作り上げている最も重要な要素です。
(2)は、民謡の身分証明のようなものです。八重山の民謡である証ですね。
(3)は、八重山の民謡の土壌だと思います。海が出てきたり異性への想いが主題であったりしても、その全てを支えているのは農業だと思うのです。
 このほかに、歌詞の描き出す世界だとか、メロディーのことも考えるべきかもしれませんが、『とぅばらーま』などと同列に考えられる民謡かどうかは、この3点で判断できると思います。
 この3点を基準に、あとの3曲『与那国小唄』『八重山育ち』『新川大漁節』を見てみると、製作年代が新しく、しかも共通語で歌われている点で、先の3曲とは同列にはなれないということがわかります。でも、ちゃんと民謡としての地位は確立していますよね。
 どうやら、八重山には『とぅばらーま』などのような「八重山の古典的民謡」と『与那国小唄』のような「八重山の新しい民謡」がある。と考えたほうがよさそうです。

 「八重山の新しい民謡」も、百年たてば古くなります。そのころには「八重山の古典的民謡」の仲間入りができるのか。先ほどの3つの観点からすれば、これらは永遠に仲間入りできないはずですね。でも・・・

 またクラッシックのお話です。
 「バッハ」のころと「チャイコフスキー」のころとでは、時代も曲も全然違いますよね。区別する人は、当然のように区別しているはずです。演奏する人はもちろん、聞く側でもきちんと区別する人がいて、それぞれが愛されているに違いない。が、私はよくわかりませんので「クラッシック」という同じ仲間にしてしまう。

 八重山の民謡も同じことだと思うわけです。最初に書いた「演奏する人と聞く人」の話。人々が古典的民謡に「時代」や「方言」や「楽器」の制約を感じなくなったとき。それは少し寂しいことのようにも思えますが、その時には『与那国小唄』も「八重山の古典的民謡」に仲間入りするのでしょう。仲間入りしても、区別する人は区別する。そういう時代にいつかはなってしまう。あるいは既になっているのかもしれません。

 と、ここまで書いても、まだ『イラヨイ月夜浜』が八重山民謡と呼ばれるかという話には届きません。

 つづく・・・

補足
 琉球古典の場合、琉球古典の工工四に載っているかどうかが「古典かどうか」の判断材料になります。八重山民謡の場合は、工工四に載っているかどうかでは判断できません。つまり、「八重山古典民謡工工四」は、多くの八重山民謡ファンが参考にしている工工四ですが、これに載っているからといって「八重山の古典的民謡である」とは言いにくいと思います。
 「八重山古謡」というのは、三線を使わない古い歌という意味になります。これらも民謡に含まれるので「古民謡」と呼んでもよいはずですが、そのような呼び方は聞きません。
 「八重山古謡」といえば、主にユンタ、ジラバ、アヨウ指します。一方、三線伴奏を伴う歌は「節歌(ふしうた)」と呼ばれます。節歌の中にはユンタを基に改作したものもあります(「鷲ユンタ」→「鷲ぬ鳥節」など)。その題名に「節」と付けられているのが普通です。しかし、『安里屋ユンタ」など、ユンタに三線伴奏をつけ、題名もそのまま「ユンタ」とされている工工四もあり、その境界はあいまいになるばかり。かの『とぅばらーま』も、もともとユンタやジラバのような古謡の中に入れるべきものですが、今では三線伴奏があたりまえになってしまって、古謡扱いされなくなっていると思います。
 古謡には、このほかに祭祀で歌われるものも含まれます。
 「あんたが歌うと、何でも民謡に聞こえるよ」
 と言われて、ちょっと嬉しいあなたは、「変」です。
 でも、その気持ちはわかります。

誰の歌か

 沖縄民謡の世界には「新唄(みーうた)」という言葉があります。新しい民謡のことです。沖縄のラジオ局が主催して毎年「新唄大賞」を決めています。コンクールが開けるほど毎年新しい民謡が生まれているのですね。
 で、これらの歌は生まれたときから民謡なんですね。
 『与那国小唄』は、生まれたときから民謡だったと思います。『イラヨイ月夜浜』はどうです?民謡?ちょっと違います?

 生まれたときから民謡なのと、そうでないのとは、どこが違うか。
 歌のもつ雰囲気。メロディーや歌詞や楽器や声。それらが大切であることはよくわかります。でも、もっとわかりやすいところで、「民謡歌手」の手によるかどうかの違いだと言ってしまいましょう。「民謡歌手」の存在の大きさが、民謡を支え、広げてきたといってもよいでしょう。
 『与那国小唄』は作者が民謡として作り、民謡を歌う人が歌ってきたから、生まれたときから民謡なんです。『イラヨイ月夜浜』が、民謡かと聞かれて首をかしげてしまうのは、歌い手が民謡歌手として扱われているかどうかだと思うのです。もし、嘉手苅林昌氏が歌っていたら、すぐに民謡としての地位を確立していたに違いありません。

 では、『イラヨイ月夜浜』はこのまま民謡にはなれないのか!
 作者が「民謡にしたい」と思っているかどうか(思っていないと思いますけど)は別にして、縁もゆかりもない私が民謡になるかどうかを考えるのも変な話ですけれど、とにかく話を続けます。

 ここで、新しい歌が民謡になるかどうかには、二つのルートがあると考えます。
 一つは、先ほど書いた「新唄」。つまり、民謡歌手の手によって生み出された、あるいは民謡歌手によって広められた生粋の民謡。
 もう一つは、生まれたときには「民謡」という意識はなくても、後に民謡となっていった歌。
 この「後に民謡となる」とは、いったいどういうことなのか。

民謡になる

 繰り返しになりますが、民謡として受け入れられるときに、歌のもつ雰囲気などが大切なのは当然のこととして、それ以外の面を考えていますのでお間違いなく。

 『島唄』は、民謡でしょうか。
 すでに工工四になっていますし、民謡歌手も堂々と歌っているようです。でも、まだ「民謡」とは呼びにくいですか?

 歌には、作詞者作曲者がいて、歌った人がいる。あるいは流行させた人がいるはずです。
 『りんご追分け』なら美空ひばりさん。口を少し曲げて斜めに構えた姿を思い出すでしょう。
 『17才』といえば南沙織さん。全国デビューの前に、沖縄のテレビで人気者でした。
 『大きなのっぽの古時計』なら平井堅?
 まあ、とにかく歌を思い浮かべると必ず歌っているその人を連想しますよね。

 民謡の場合はどうでしょう。先に書いた「新唄」の場合ははっきりと歌い手と結びついているものがあります。

 「古典的民謡」の場合は違います。
 古典的民謡にも作者がいて、歌い始めた人がいたはずです。誰がどこで歌い始めたかなんて、研究者にとっては大切なことであっても、愛好家にとってはあまり気にならないことだと思うのです。作った人?そんなことわからないよ!という歌も多いですし。
 民謡という言葉に、私たちは少なからず古い歌というイメージを持っています。それは、長い年月の間に誰の物でもなくなった歌だからではないでしょうか。私たちが愛する民謡は、そうして歌い継がれてきたみんなのすばらしい財産だと思うわけです。
 先の「新唄」にしても、作者以外の人たちが好んで歌うようになり、多くの人に受け入れられるようになったときに、「新唄」という卵の殻を脱ぎ捨てることができるのではないか。などと思っています。

 『島唄』は、多くの人に歌われていますけれど、まだ歌手との結びつきが強すぎるから「民謡」と呼びづらいのかもしれません。『イラヨイ月夜浜』も、誰の歌かということがはっきりしすぎていて民謡とは呼びにくい。と私は考えています。もっとも、どちらも民謡のつもりで作られた歌ではないので、民謡になりたがっているわけではないはずですけどね。
 でも、民謡の世界は懐が深いです。これらの歌がずっとずっと歌い継がれていく間に、誰の歌でもなく誰の歌でもあるとみんなが感じた頃には、すっかり民謡になりきっている。と考えるのですが、いかがでしょうか。



GO MOUTH HERE MOUTH 思い入れがわからない
 「思い入れ(うむいいり)」「歌情け(うたなさき)」「肝入れ(ちむいり、くぃむいり)」「歌たのーる」・・・

 ただ歌うだけではなくて、ここに書いたようなものが歌になければ「味がない」と言われます。

 こんなメールをいただきました。
 どんなに気持ちを込めて歌っても、やっぱり「味がない」と言われる。どうすればよいのでしょうか。
 『つぃんだら節』を歌うのですが、私は別離の悲しみを経験したことがありません。気持ちを込めることができないんです。

 どうすれば、気持ちを込めることができるのでしょうか。
 まず、問題なく歌える(途中で止まらない。思い出そうと努力をしなくても最後まで歌える)ところまでは、練習を積んでいるとしましょう。さて、そこから先は。

1,情景を思い浮かべる。
 方言のわからない人ならば、歌詞を調べてわからない単語の意味を知ることが必要です。つまり歌の意味を理解して歌うということです。というところまではだれだって考えることです。言葉の意味がわかったら、理解だけで終わらずに、一度歌全体を見渡すようにして、歌の世界を自分の頭の中で映像にするのもいいと思います。歌の内容にもよりますが、意味を考えながら歌うよりも、思い浮かべた映像を前に(映像の中で)気持ちよく歌う方がよい場合もあると思います。

2,主人公になる。
 なれません。と言ってしまうとその先へ進めなくなります。「だって、私は女。主人公は男なのよ」とか「オレは、そんな昔の沖縄を知らない」とか「島へ行ったこともない」という人もいるでしょうけれど、それは自分の想像でいいと思うのです。「もし男だったら」「昔はきっと」「島って、こんなところなんだろうな」という想像をして、その中で主人公になってしまいましょう。お芝居だと思えばいいのかもしれません。なりきるのも、楽しいものですよ。

3,歌を好きになる。
 「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。なんて書きますと「へたの横好き」ってのもあるぜ!と言われそうですが。
 ほとんどの人は「誰かの歌」を聞いて、その曲を好きになるわけですよね。つまり工工四を見て「この曲なかなかいいねえ」じゃなくて、誰かの声で歌われたその歌を好きになっているわけなんです。最初は漠然と「いい歌だなあ」と思っていたのが、その人のその曲を何度も聞いて、そして自分で歌い始めるようになると、「ここ、ここ。この上がり方がかっこいい」とか「この歌手は、この部分をぐっと押さえるように歌っているんだよね。いいよね」なんていう部分が必ずあると思います。そういう部分を真似るというのも大切ではないか、ということをふまえて、次の話へと移ります。

4,心では、解決しない。
 いろいろ書いておきながら、最後にこれらを全部否定してしまうようなことを書きますが、否定しているわけではありません。歌われている情景を思い浮かべて、その中に入り込み、歌を好きになる。これだけではだめだという話です。
 「思い入れ」は、確かに情感を込めることではあるのですけれど、それだけでは完成しません。テクニックが必要である。ということです。「味がない」と人から指摘されたときに、もっと心を込めよう、恋をしてみよう、島へ行ってみよう、などと感情移入ばかりに気を取られていると、気持ちだけが空回りしてしまって、いつまでも歌が進歩しないかもしれませんよ。
 「味のある歌」のためには、声の強弱や上げ下げを工夫し、小節なども入れながら、ときには上手い人のマネをして、上手く聞こえるように技術を磨かなければなりません。
 とくれば「味のある歌を歌いたければ、必要なのは心ではない。テクニックだ。技術を磨きなさい」と言い切りたくなるのですけれど、実際はその技術を磨く過程に心が大きく関わってくるのでしょう。つまり、心を込めて歌おうという気持ちがなければ、真剣に技術を磨こうとしないでしょうし、歌を丁寧に歌うこともできない。1〜3をふまえた上で、同時に、テクニックを磨かなければ気持ちを込めようとしても「気持ちのこもった歌に聞こえない」ということを知っておくべきでしょう。




GO MOUTH HERE MOUTH 歌三線が楽しめない
 歌三線を、楽しんでおられますか?

 歌三線を始めたときは、自分以外のすべての人がうまく見えました。自分もいつか、あんなふうになりたいと思っていながら、なれないかもしれないって思っていたりする。でも、その頃は、うまくなれるかなれないかは問題じゃないですよね。

 三線を初めて手にしたとき、どれくらいの時間さわっていました?10分?1時間?3時間?食事やお風呂以外、一日中ずーっと!なんていう人もおられるでしょう。
 で、結果は「安里屋ゆんた」の歌持を、なんとかひっかかりながら弾けたくらいじゃないですか?歌持全部は無理で、半分だけだったかも。
 おそろしく集中して時間をかけて、努力して達成したものが「安里屋ゆんたの歌持」って、今考えると「それで喜んでいたんだから、かわいかったねー」でしょ?

 練習を続けると、上達します。1つの課題を成し遂げると「達成感」とか「成就感」とかを味わいます。それが次の課題へのエネルギーになるわけです。
 難しいことはわかりませんが、この「達成感」というやつは不思議なものですね。

 「より困難な課題、あるいはより高い目標を克服したり達成できたときに、大きな達成感が味わえる」

 だれだって、そう思うでしょう。でも私は違うと思っています。私の考えは、こうです。

ある目標に対して、より多くの努力、あるいはより多くの失敗を味わって(と感じて)達成できたときに、大きな達成感が味わえる」

 先ほど私が書いた「より多くの努力、失敗」があったから、安里屋ゆんたの歌持でも達成感が味わえたのだろうと思うのですよ。

 達成感が、次へのエネルギーになると書きました。翌日も、もっと三線をさわっていたい。でも、仕事があるからしかたがない。
 で、仕事から帰ってきて、また三線に没頭。気がついたら日付が変わっている。翌日は眠い目を擦りながら仕事へ。ああ、早く次の休みが来ないかなあ。

 数日で、やっと「安里屋ゆんた」の全体が弾けるようになり、歌も少し入れられるようになる。楽しい。もっと弾きたい。でも、あなたを見ている家族は「よくあれだけがんばれるねー。うまくもないのに」って思っていたかもしれません。

 多くの努力=大きな達成感=努力へのエネルギー・・・という循環がとぎれなければよいのですが、いつか切れるんです。いつでしょう。

 もう一度最初に戻ります。初めて三線にさわったとき。このときにはクリアすべき課題がはっきりしていました。安里屋ゆんたを弾く!ただただ、これだけ。そして、努力したことのすべてがこの一点に集約されて、結果が出ました。
 練習を続け、いくつかの曲が演奏できるようになると「うまくなる」という目標になります。この目標が一番むずかしい。そもそも「うまく」がわかりにくいです。
 練習をすれば、うまくなるんです。でも、最初の「安里屋ゆんたが弾ける」はわかりやすい。弾けないところが弾けるようになったとか、引っかからずに最後まで通せたとか、実感しやすいんです。
 ところが「うまく」はわからない。今日1時間練習したけれど、うまくなったのだろうか。自分でもわからないんです。いえ、下手になっているはずはないんですよ。でも、どううまくなったかがわからないんです。つまり、目標が達成できたという気持ちになれないわけです。

 そのうち、三線を弾く時間が減っていきます。達成感が味わえなくなると、とたんにエネルギーが失せていくのです。それでも、強い精神力で「1時間は演奏しよう」と自分に言い聞かせ、続ける人もいます。もはや、楽しさはどこへやら・・・・

 こんなときには、「わかりやすい目標」をもちましょう。
  • この歌詞を覚えて、間違えずに弾く。
  • 早弾きの曲を、タイムを計って目標のスピードに達する。
  • レパートリーをあと3曲増やして、自分でMDに録音する。

 などなど、なんでもいいです。とにかく、できるだけ具体的な、わかりやすい目標をもちましょう。きっと効果があります。エネルギーが少し戻ってくるはずですよ。

 それでも、自分の中から湧き出すエネルギーが不足している。という場合は、他人に頼りましょう

 目標のなかでも一番わかりやすいのは、発表の場をもつことです。
「5月25日は、娘の保育所で三線を聞かせるんだ。絶対失敗はできない。がんばるぞー」
なんて、最高です。
 どうして最高か。発表の場をもつと、その発表が目標になるんです。わかりやすい目標です。しかも、発表を終えたときに必ず達成感が味わえるのです。(よほどの失敗をしない限りは)確実に満足できます。そして、発表の場をもつことの最大の効果は「他人の目」にあります。自分の上達は自分が一番よくわかっている。でしょうけれど、それでも人から言葉を掛けられると、いえ、言葉でなくても拍手でも視線でもなんでも、とにかく人の目に触れることで達成感は10倍にも100倍にもなります。しかも、あなたの達成感を充足させるための発表が、他人を楽しませることにもなるんですよ。こんなにうまい話、めったにありません。やらなきゃ損です。

 さて、ちょっと楽しさを忘れかけているみなさん。
 発表会なんて、そんな大げさなことは無理。でしたら、ご家族でも、友人でも、とにかく人の前で演奏してみてください。
「いやあ、まだそんな腕じゃないから」
「2曲しか弾けないし・・・」
って思っているのはあなただけ。あなたにとって当たり前の曲が、聞く人にとっては「へー、すごいねー。きれいな曲だね。」なんて、感動を与えるすばらしい曲かもしれませんから。




GO MOUTH HERE MOUTH 琉球古典は美しい
 三線人口が増加している。県外でも、多くの人が三線を楽しんでいる。

 さて、いつごろからでしょうね。インターネットの普及と同時期か、とも思っているのですが。

 「三線をやってみよう」と思ったとき、みなさんは「琉球古典」と「民謡」を区別しておられましたか?県外の出身者なら、大部分の方が区別していなかった、あるいは知らなかったと思います。そして、どちらかというと「民謡」の方に目が向いているのではないでしょうか。
 ポップス系と言うのでしょうか、新しい曲から始める人も多いようです。でも、曲数がそれほど多くありませんから、三線とのつきあいが長くなるにつれ、民謡もレパートリーに取り入れているという人が多いのでは、と思っています。

 大阪在住の知人は、三線をほとんど独学で始められましたが、更なる飛躍を求めて教室に通うことにしたのだそうです。登川誠仁さんに憧れているということで、目指すは「登川流」の教室です。
 幸い大阪は他府県に比べると三線教室とか研究所と呼ばれるところが多い土地柄です。インターネットで調べて、「登川流」の教室を調べ、入門を決断。電話で問い合わせ、早速教室へ行って第一回目の練習を開始。と、目の前に出された工工四には「野村流」の文字。なんと、「登川流」と「野村流」とを間違えていたというのです。・・・・「の」しか、合っていません。

 私が最初にこの話を聞いたときは、「お笑いのネタ」だと思ったほどです。民謡と古典では世界が違いすぎます。普通なら、ここで「失礼しましたー」と教室を去っていくと思うのですが、知人の偉いところは、そこで頭を切り換えたことです。「よし、やってみよう」と思った、のだそうです。

 古典の教室に通い始めてから、二度お話をする機会がありました。
 一度目は、師匠から学ぶということの大切さとおもしろさを語ってくれました。
 時には不条理を感じることもあったそうですが、知らない世界を知る、教えてもらえるということの楽しさを感じるようになったというような話を聞いたときに、私は知人が「古典の教室に通うことの楽しさ」を感じているのだなあと思いました。好きな歌を歌うということではなく、また歌って楽しいというのでもなく、課題曲を工工四通りに歌うというような古典の世界での楽しみ方、それをつかんだ知人が、少しうらやましかったです。
 二度目には、「美しい」という言葉を聞きました。
 「安波節」から始まって、現在「かぎやで風節」を完成させるために練習を続けているそうです。
 三線と歌。切っても切れない間柄ですが、ときには歌と三線が別の音を出すときがあります。といっても、まったく無意味な音ではなくて、その別々の音、あるいは、別々の音の流れが曲として成り立っているわけです。私たちは、違った音が合わさるというと、西洋音楽の「ハーモニー(和音)」を想像しますが、古典のそれは違っていると思います。ハーモニーという言葉が「溶け合う」ようなイメージであるのに対して、古典のそれは「絡み合う」とでもいいましょうか。音楽理論を知らない私が解説してもわからなくなるだけですから、これくらいにして知人の話に戻りましょう。
 あいかわらず、師匠からは「ダメ出し」の嵐。だそうですが、師匠が最近変わってきたとか。「だめ、ちゃんと覚えてきなさい」だったのが「ここが、こうなってはいけない」とか「このように歌いなさい」といった具体的な指導になってきたのだそうです。細かい点を指摘してくれるようになったということですね。知人の上達ぶりがうかがえるというものです。そして、私が感動した言葉が知人の口から出ました。

 「かじゃでぃ風は、美しいんですよ」

 先ほど書きました、歌と三線の絡み合い。特に古典では、「三線の音はここで上がるのに、歌は少し後で上がる」とか「三線は音が上がったり下がったりしているのに、歌はまっすぐのまま」ということがよくあります。この部分がけっこうむずかしい。歌が三線に引っ張られてしまって、うまく歌えません。「歌と同じように三線を弾けばいいんじゃないのー」と文句の一つも言いたくなるというものです。民謡にもありますが、古典に比べると民謡は自由度が高い。そのため、自分のやりやすい方法に「逃げる」ことができてしまうことが多いのです。古典は、何度も言うように「工工四通り」を求められるので、逃げ場がありません。

 「それができたときに、美しいなあと思ったのです」

 知人のこの言葉は、私の胸を打ちました。それそれ、そうですよね。歌っていて、美しいと感じるときがある。楽しいとかおもしろいとか達成感とか、どれでもなくて、どれでもある、その上の「美しさ」を感じるときって、ありますよねえ。

 「で、美しいかじゃでぃ風を、自分勝手に変えて歌ってはいけないと」

 これはもう、古典がなぜ古典であるか。という本質をとらえた言葉だと思います。

 この日、私は知人から教えられました。これが「古典」なのでしょうね。




GO MOUTH HERE MOUTH 笛名人は芸に厳しい
 「どう思います。夏合宿で棒ですよ」
 「与那国で与那国の棒をやるんだから、いいことじゃないの?」
 「今から練習するんですよ」
うん。まだ手を付けていないらしいね。でも、与那国町の教育委員会に連絡してビデオを見せてもらうとか言っていたし、事前に準備はするんでしょう
そりゃあそうでしょう。与那国へ行ってから始めたんじゃあ間に合わない」
合宿が始まる前から、棒のメンバーは先に与那国へ行って教えてもらおうかって話もあるらしいし、中途半端なままで舞台にあげるつもりはないだろう」
そこが問題なんですよ。覚えればいいというものじゃあない。本当に見せられるレベルにもっていけるかどうか」

 友人=笛名人と私の会話です。
 今年の八重芸は、与那国島で夏合宿を行います。合宿はおよそ一週間。文字通り、部員が寝食を共にして、芸能漬けの合宿です。
 今年は、与那国島の棒踊りを教えていただき、それを舞台に乗せたいと考えているようです。

 女性が演じる舞踊(八重芸は、基本的に舞踊は女性)の場合、新しい舞踊でも一週間あればほぼ完成させられます。それは、他の舞踊を身につけているので、素地がある=基本ができているからです。男性の歌も同様。新しい歌でも、一週間あればなんとかなるものです。
 ところが、男が演じる民俗芸能はちがいます。ほとんどの場合、やったことのない、あるいは見たこともない芸能を教えられるわけですし、そもそも基本が身に付いていません。今回の「棒踊り」、短い期間で完成させるのは無理だという笛名人の心配はよくわかります。

部長たちも、それがわかっているから一生懸命準備しているんだろう。もう、夏合宿のしおりができてるよ。棒踊りもプログラムに入っていた」
週末に練習を見に行こうと思っているんですけど、そのときに言ってやらないと。だって、無理だと思いませんか?」
最初から無理だと思っていたらできないよ。棒は、時間がかかるっていうのはわかるよ。でも、島でその島の芸能が発表できれば、これは一番すばらしいことじゃないの。島の人も喜んでくれるだろうし、何より部員たちの自信になる。いい思い出にもなるよ」
いいものを発表できればいいですよ。ヘタな棒なんて、見せない方がいいです」

 ヘタな棒。
 棒は、緊迫感、緊張感が売り物です。それだけに、途中でちょっとしたミスがあると、その緊張感がとぎれてしまい、笑いになることが多いのです。棒を演じていて笑われるというのは、演じ手にとっては屈辱です。「狂言棒(きょんぎんぼう=道化的な棒)みたいだ」なんて、言われてしまいます。

夏は練習だけにして、舞台にのせるのは冬の発表会までがまんするほうがいいと思うんです。あれはすごく難しいんですから。夏までの練習では無理ですよ」
そうだなあ。今度練習を見に行ったときに、あんたの考えを言ってあげたらいいよ。あんたの言葉で、部員たちの意志がぐらつくようなら、夏の舞台に上げるのはやめた方がいいかもしれないねえ。でも、あんたから言われて、それでもがんばりますっていうなら、できると思うんだけどなあ」

 笛名人と私。まったく意見が違っているように見えるかもしれませんけれど、そうではありません。二人とも、棒をやってくれることを心から喜んでいるんです。

 「あ、そうそう。オレ、もう笛吹くのやめましたから」
 「え?なんで?」
 「だって、名人じゃないのに、名人とか書くから」

 八重芸の後輩達が、笛を教えてほしいって、手ぐすね引いて待ってるよー、名人!




GO MOUTH HERE MOUTH 歌持ちもあなどれない
この歌はお祝いのときに歌うから、もっとしっかり弾かないといけない。あんたのは歌持が軽い。歌を軽く見ているように聞こえる」

 宮古島のある三味線店で、「とうがにあやぐ」を歌ったときに、店主からいただいた言葉です。

 学生のころ、先輩がこんなことを言いました。

内地(県外)で三線弾くのは、うまいとか、へたとか、関係ないよ。内地で生活している沖縄出身の人たちは、三線の、最初のテンを聞くだけで、涙が出るって」

 この二つのお話は、歌持の大切さを教えてくれました。

 歌持は、これから歌が始まりますよ。という合図です。でも、聞き手に伝えているのは、「開始の合図」だけではありません。

 人が話をするときに、「えー」とか「あのー」というように、最初に特に意味のない言葉を発することがよくあります。これは、話し手が喉の調子を確かめたり、話のリズムをつかむためだったり、聞き手の意識を話し手に向けるために発するわけです。
 「えー」は、聞き手にとっても重要で、この「えー」一言で、これから話をする人の声の質や高さといった情報を得ることができるのです。これによって、次に発せられる言葉を受け取る準備ができる。つまり、言葉をより確実に聞き取ることができるのです。
 「そんなことはない。えー、なんて、言わない方がいいに決まっている」
 たしかに、多すぎるのは聞きづらいですけれど、私が説明した「えー」の存在価値は間違っていないと思いますよ。疑っている人は、「えー」を一切言わずに会話してみてください。相手の方の「え?」が増えるかも。

 話を歌持に戻します。
 「えー」の一言ですら、いろいろな情報を聞き手に伝えることができるわけです。歌持ならば、もっと多くの情報を発していると考えてよいでしょう。特に、聞き手に準備を促すという点では、会話以上に大切なのが、歌の世界です。

 上手な人の演奏は、歌持から人を惹きつけます。「上手な人の演奏だから」と、聞き手が身構えることも理由の一つでしょうけれど、それだけではないでしょう。上手な人は、歌持を「聞かせ」ますよね。丁寧に弾きますし、速さ、音量、微妙な音程、目の前で演奏してくれる場合には、そのときの表情までが「歌持の味」だと思います。歌持を聞いている段階で、すでに歌を聴いている気分なのです。

 歌持は、歌の世界への導入。というのが、一番よいのかもしれません。

 そもそも、歌の世界は私たちが生活している現実の世界とは違っています。古典や民謡などに歌われている世界は、時代も生活も、物事の考え方も違っていると思います。そんな歌の世界に、突然放り込むのではなくて、歌持で、徐々に引き込んでいく。これが歌持の役割なのだろうと思います。

 お祝いのときに歌うから。
 歌持を弾くことで、聞き手はこの場が特別な席であることをあらためて感じる。今始まったのは、みんなで祝い、喜びを分かち合う歌である。という気持ちになれるのでしょう。
 最初のテンで涙が。
 ふるさとを遠く離れた人々が、歌持を聞くことによって、生まれ育った島、家、空、光、匂い、音を思い出す。遠く離れていながら、歌持が聞き手をふるさとに連れて行ってくれる。時間すらさかのぼらせてくれるのでしょう。

 歌持のことを、ただなんとなく「前置き」程度にしか考えていなかった頃は、決められた音を決められたスピードで弾けばよいと思っていました。しかし、弾いて、歌えるようになったときに、もう一度歌持を考えてみることも大切だと思いました。