GO MOUTH HERE MOUTH それもエイサー?
 エイサーという言葉を聞くと、まず「どこの?」と考えます。有名な平敷屋とか、千原、呉屋、あまり詳しくないんで、これ以上書けませんが、とにかく、エイサーは地域のものです。

 沖縄にも、新興住宅地というのがあって、そこでエイサーが生まれることがあるそうです。「自治会を作るといっても、人は集まらないけれど、エイサーをやろうと言うと、けっこう集まってくれる」という話も聞きました。ここでも、エイサーは地域密着型。

 県外のエイサーグループにもいろいろあります。その地域名をつけたエイサーグループも多いようですね。
 大阪には、根っこが沖縄にあるエイサーグループもあります。エイサーを始めた理由が「自分の中の沖縄を見つめる」とか「取り戻す」というところにあるそうですから。これも、ある意味で地域=沖縄密着型と言えるでしょう。この他にも、平敷屋出身者とともに関西の人たちが「平敷屋エイサー」を演じています。「平敷屋守る会」という名称だったと思いますが、この名前からして、地域密着型ですよね。

 ですが、エイサーブームと言われる昨今。エイサーが好きな人たちが集まって、自分なりのエイサーを作り出し、楽しむことを目的としているグループもあるそうです。

 ある日、神奈川に住む友人から電話がありました。近況などを話し合ったあと、彼がエイサーの話を始めます。

以前、東京でエイサーを二度見たことがある。一度は、どこかのエイサーグループ。もう一度は、エイサーキャラバンで、呉屋青年会が来てやっていたものだった」

 一度目の方は、ガムをかみながら踊っている人がいたり、間違ってもニヤニヤ(にこにこ?)笑っていたりで、見るに堪えなかったとか。しかし、そのとき彼は考えたそうです。
 練習に練習を重ね、力一杯太鼓をたたき、足を上げて、汗をかいて、道ジュネーをするエイサー。彼はこれがエイサーだと思っていたのだけれど、もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない。ガムをかんでも、どれだけ間違えても、自分が楽しいから踊る。そういうエイサーもあるのかもしれない・・・・

 県外のエイサーグループがすべてこうだとは言いません。県内以上にすばらしいエイサーを演じているグループもあるかもしれません。彼がたまたまこんなグループを見たということですので。

 さて、彼の話の続きです。東京で、二度目に見たエイサー。これが呉屋青年会でした。
 沖縄に負けないくらいの、いえ、沖縄以上に蒸し暑い東京の炎天下。焼け付くアスファルトの上で、もてるエネルギーをすべて出し尽くすようなエイサー。笑顔はないけれど、見るものを圧倒し、感動させるエイサー。
 彼は思ったそうです。「やっぱり自分は間違えていなかった。エイサーは、これだ」と。私も、彼と同じ意見です。

 彼(私もですが)のような考えの人は、少ないかもしれません。エイサーを楽しみたいから集まって、グループができた。きっとそういう人たちは、沖縄ファンでもあると思います。沖縄ファンを大切にしたいという気持ちはあるのですけど、でもねえ。

 楽しむなとは言いませんけれど、もしも、いい加減なエイサーを楽しいエイサーだと思っているのなら、それは「エイサー」という名前じゃなくて、「新太鼓舞踊」とかなんとか、別の名前をつけてもらえませんかねえ。

 あ、反感をかったかもしれません。
 私の気持ちであって、人に押しつけようとおもっているわけじゃないので、許してくださいね。


GO MOUTH HERE MOUTH おもしろい古典
 昔の古典は、もっとおもしろかった。

 昔の古典=戦前に録音された古典音楽。今のような声楽譜附き工工四のなかった時代。歌い手によって、歌い方の違っていた時代。音質が悪くても、そのころの古典はおもしろかったと言うのです。私には、その人の言いたいことがわかります。わかるような気がします。

 全ての前置きや言い訳をとっぱらって、結論だけ書きますと、「古典の工工四が受験参考書になってしまった」ことがいけないと思います。少し書き足しますと、古典を学ぶ人の目的が受験(コンクール)になってしまったことがいけないのです。もう少し書きますと、舞台で歌う人たち(受験も終わって師匠とか先生と呼ばれるような人たち)までが、「参考書と違ってる!」と指摘されることを恐れていることがいけないのです。

 なぜ工工四通りがいけないのかと疑問に思いますか?工工四通りがいけないのではなくて、音楽の善し悪し、美しさというものを、工工四を基準に考えていることがいけない。あるいは、美しさというものを考えずに(感じずに)歌っているからいけないのです。
 このように書くと、「そうじゃない人もいる」と反論してくださると思いますし、そうあってほしいと私も願っています。と書いておきます。

 私は、本気で「古典ライブ」があればいいなと思っています。こんな事を書きますと、古典を知っている人ほど、「舞踊があったり、有名な人が独唱曲を聴かせてくれるならともかく、普通の人が古典を歌うだけでは、お客さんが眠ってしまう」と思うでしょう。でも、私は違うと思っています。歌い手が、コンクールを意識せずに、古典の音楽を本当に美しいと感じて、自分のものにして、自分の力で表現してくれて、そこにちょっと洒落た解説をいれてくれれば、お客さんを十分楽しませることのできるライブが完成するはずなんです。

 以前、知人のHPですばらしい文章を読みました。
 ある居酒屋でかぎやで風を歌って、居合わせた皆さんと楽しんだ。(これだけにまとめてしまってすみません。本当は、読み応えのある楽しい文章です)
 有名歌手でもない人が、三線一本でかぎやで風を歌って、周りの皆さんを幸せにできたのは、工工四通りだったからではなくて、歌い手の気持ちと聞き手の気持ちが響き合ったから。これこそライブです。

 だれか、古典のライブをやってください。そして、「古典はニーブイするなんて、とんでもない。若い人からお年寄りまで、みんなを虜にするすばらしい音楽なんだよ」って、証明してください。お願いします。