おもしろい古典 | |
昔の古典は、もっとおもしろかった。 昔の古典=戦前に録音された古典音楽。今のような声楽譜附き工工四のなかった時代。歌い手によって、歌い方の違っていた時代。音質が悪くても、そのころの古典はおもしろかったと言うのです。私には、その人の言いたいことがわかります。わかるような気がします。 全ての前置きや言い訳をとっぱらって、結論だけ書きますと、「古典の工工四が受験参考書になってしまった」ことがいけないと思います。少し書き足しますと、古典を学ぶ人の目的が受験(コンクール)になってしまったことがいけないのです。もう少し書きますと、舞台で歌う人たち(受験も終わって師匠とか先生と呼ばれるような人たち)までが、「参考書と違ってる!」と指摘されることを恐れていることがいけないのです。 なぜ工工四通りがいけないのかと疑問に思いますか?工工四通りがいけないのではなくて、音楽の善し悪し、美しさというものを、工工四を基準に考えていることがいけない。あるいは、美しさというものを考えずに(感じずに)歌っているからいけないのです。 このように書くと、「そうじゃない人もいる」と反論してくださると思いますし、そうあってほしいと私も願っています。と書いておきます。 私は、本気で「古典ライブ」があればいいなと思っています。こんな事を書きますと、古典を知っている人ほど、「舞踊があったり、有名な人が独唱曲を聴かせてくれるならともかく、普通の人が古典を歌うだけでは、お客さんが眠ってしまう」と思うでしょう。でも、私は違うと思っています。歌い手が、コンクールを意識せずに、古典の音楽を本当に美しいと感じて、自分のものにして、自分の力で表現してくれて、そこにちょっと洒落た解説をいれてくれれば、お客さんを十分楽しませることのできるライブが完成するはずなんです。 以前、知人のHPですばらしい文章を読みました。 ある居酒屋でかぎやで風を歌って、居合わせた皆さんと楽しんだ。(これだけにまとめてしまってすみません。本当は、読み応えのある楽しい文章です) 有名歌手でもない人が、三線一本でかぎやで風を歌って、周りの皆さんを幸せにできたのは、工工四通りだったからではなくて、歌い手の気持ちと聞き手の気持ちが響き合ったから。これこそライブです。 だれか、古典のライブをやってください。そして、「古典はニーブイするなんて、とんでもない。若い人からお年寄りまで、みんなを虜にするすばらしい音楽なんだよ」って、証明してください。お願いします。 |