すべての人が、すべての人を同じように大切に想うことができれば一番よいのですが、残念ながらそうではないでしょう。私も含めて、多くの人は「愛する人のことを大切に想う」ことができても、「愛する人以外の人」に対しては「そこそこ大切に想う」ことしかできないような。まあ、そこそこでもよろしい。憎み合うよりはずっといいです。そして、人を愛するための第一歩は、その人を知ること。沖縄を愛することで、沖縄の人を愛するきっかけになるはずです。いろんな地域、国のことを学んでいけば、それだけ愛する人が増えていく。戦争をなくす方法の一つだろうと思うのですが。などと書いても「それほど単純じゃないよ」と笑われてしまいますか。
話がそれてしまいました。子どもたちと沖縄の話に戻しましょう。
子どもたちが沖縄に出会う。その最初(濃厚な出会いという意味で)が、戦争だったら。という話。子どもは素直です。素直にこう思ってくれるでしょう。
「『沖縄』っていう場所で戦争があって、大勢の人が死んだんだって。かわいそうに」
悪くはない。「かわいそう」という、同情する心。優しい気持ちの表れです。しかし、なんだか「よそごと」ですよね。その先まで考えてくれないような気がするんです。
子どもたちに戦争の話をしますと、ほとんど間違いなく「戦争はいやだ」「戦争を起こしてはいけない」という結論になります。その通りです。感想文に「戦争はいやです」と書いた子どもには「よくお話を聞いて、考えたねえ」と誉めてあげたい。
ただ、それで伝えたいことが伝わったのかというと、疑問です。戦争の怖さは伝わったかもしれないけれど、戦争に対する怒りとか、これから先、戦争を起こしてはいけないという決意とか、そういった強い気持ちにつながっているかどうか。
もし、沖縄を(良い意味で)利用して、平和を望む強い気持ちを育てたければ、まず沖縄を好きになってもらうべきだ。というのが私の考えなのです。
最初に出会った沖縄が、美しい自然とすばらしい文化だったら。そんな沖縄のことを、子どもたちが目を輝かせて「行ってみたい!泳ぎたい!三線を弾いてみたい」なんて想ってくれたら。そして、その上で戦争のことを伝えることができたら。
「え!あの沖縄で、そんな戦争があったの?なんで?ひどい。え!今も基地が?許せない」
という気持ちになってくれそうな気がするのです。大好きな沖縄の美しい自然を汚す戦争。大好きな沖縄の人を殺してしまう戦争。大好きな沖縄の人が、大切にしてきた文化を破壊してしまう戦争。こう考えてくれれば、ただ「かわいそう」という感想をもつ以上の何かが心の中に芽生えてくれそうな気がする。つまり、私たちが子どもたちに伝えたいことというのは、そういうことなんじゃないかなどと私は思っているわけです。そんなふうに感じてくれた子どもたちは、過去の戦争だけでなく、今の基地の問題も、これから先のことも、ずっと考えてくれそうな気がします。
それでも、私のこのような考えに対して疑問を持つ人もいるはずです。
このままでは、「好きな沖縄での戦争や基地に対して」の憤りでしかない。戦争そのものを憎み、普遍的な平和を希求する子どもたちに育てることになっているのだろうか。まだだめでしょうね。
でも、漠然とした「戦争は怖い」よりも、「好きな沖縄」の方がずっと心に残ると思います。その気持ちを、沖縄以外の戦争にも広げることができると思います。まあ、それは私のような「講師」の役目ではなくて、これから先、ずっと子どもたちと一緒に学習をすすめていく担任の先生の力によるわけですけれど。と、逃げさせてください。
このHPをご覧のみなさんは、既に沖縄好きでいらっしゃる。そして、私のこの主張を、ある程度理解してくださると思います。でも、思っているでしょうね。
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で、おまえは授業に呼ばれて、どんなことをしているんだ?本当に、子どもたちを沖縄好きにさせているのか?」 |
そのつもりではありますが。もし、どんなことをやっているか、興味のある方はメールをください。
つづく。
2004,7 |