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艦砲ぬ喰ぇーぬくさー4(沖縄)    
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 まず、沖縄を好きになってもらいたい。そのあとで、戦争のこと、平和のことを考えてもらいたい。

 私としては、「好きになって」の部分だけを担当させていただいて、「平和」の部分は、学校にお任せしたいのです。逃げてる?はい。その通りです。

 戦後生まれで沖縄出身でもない私が、沖縄戦のことを伝えることができるのか。だから逃げたい。と言えば、「(大阪の)学校の職員だって、たいていの場合は戦後生まれで沖縄県出身ではないわけだし、学校に押しつけずに、おまえが担当しろ」と言われそうです。その通りです。でもね、私だってこう言えますよね。

 「だったら、私に押しつけずに、学校職員が努力して調べて、それを子どもたちに伝えてください」

 三線を弾いたりスライドを見せたり、思い出話を聞かせたりするのは、多少なりとも三線などの経験のある私の方が良いでしょうけれど、悲惨な戦争を伝えたいというだけならば、私も学校職員も同じ立場でしょう。

 それでも、私に「平和教育」に関わる話をさせたいと言われれば、民謡にからめたくなるわけです。ある学校から依頼されたときに、この『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー』を取り上げることにしました。

 歌詞を全て書くことは避けますが、中に、このような言葉が出てきます。


着るむん喰ぇーむん むるねーらん
スーティーチャー 喰でぃ 暮らちゃんや
 着るものも食べるものもないという、艦砲射撃を受けた戦争中の様子を知ることができます。スーティーチャー(ソテツ)を食べて暮らしたという話は、ソテツには毒があって、飢饉のときにはソテツに助けられたという話がある、といったことにも広げることができるでしょう。ただし、ソテツについては、地域によっては、飢饉でなくても行事の料理としてソテツのでんぷんを使ったものがあったとも聞いています。

畑や金網 銭ならん
 戦後、畑が金網の中にあって、お金にならない。つまりは、米軍に、土地をとられて基地になってしまったわけです。戦争が過去の歴史の一部であるのに対して、基地の問題は沖縄へ行けば目の前に広がる今の問題です。過去の戦争と今とを結びつけて考えることができます。

笑い声聞ち 肝とぅめてぃ
 子どもの笑い声を聞いて、心を取り戻す。この表現を子どもたちがどう感じるのでしょうか。こんなところで親心を考える必要はないかもしれませんが、戦後の復興が、家や畑や建物だけでなく、家族を作り上げることでもあったということは、多くの犠牲者を出した沖縄県民にとってはとてもよくわかる話なのでしょう。

夜ぬ ゆながた 目くふぁゆさ
 「くふぁゆさ」は、「かたくなる」という意味です。「目がかたくなる」、つまり、眠れなくなる。なぜ眠れなくなるのかを、子どもたちと考えてみるとよいでしょう。

子孫末代 遺言さな
 この歌の、主旨といってよいでしょう。

 小学校で、この歌を歌ったときには、歌を聴いてもらって、「この部分を先生といっしょに考えてください」と伝えるだけにしました。担任の先生には、私が書いた歌詞と解説を手渡しておきました。
 その解説を、子どもたちに配るも良し、先生が読み上げるも良し。あとは、子どもの実態に合わせて、先生が考えてくださいということにしたのです。

 8月には、中学校の「平和学習登校日」に呼ばれています。そこでも、「楽しい沖縄」と『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー』の話をするつもりです。中学生は、どんな反応を示してくれるのでしょうか。

 というところで、この記事はおしまいです。


2004,7
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