『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー』は、1ページで終わる予定でしたが、書き足したいことがありまして。
突然ですが、『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー2』の登場です。
『歩く・みる・考える沖縄』と『新歩く・みる・考える沖縄』の二冊を購入しました。
『新〜』の方には、『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー』は載っていませんでした。『歩く〜』の方にも、歌詞と五線譜が載っているだけで、詳しい解説などはありませんでした。ちょっと残念。
2004年7月5日、大阪市内の小学校で、授業をしてきました。「講師」というのか「ゲストティーチャー」と呼ぶのか、よくわかりませんが、最近の小中学校では、教職員以外の人を呼んで授業をしてもらうということが、めずらしくないそうです。いや、まだめずらしいかもしれませんが。とにかく、私は呼ばれました。
小学校6年生に、沖縄のお話をします。内容は私に任されました。といっても、実は要請をしてくださった担任の先生は、よく知っているかたで、私がどんな話をするかをご存じなんです。ただ一つ、「平和教育につなげたい」という点だけが学校からの要望でした。
さて、沖縄=平和教育。ときますと、「第二次世界大戦」その後の「アメリカ支配」そして「復帰」という時代の流れに、基地問題を含めて考えることになるわけです。全てを私が伝えるということではなくて、学ぼうとするきっかけになるような話が、担任の先生の希望なのです。
毎年、いくつかの学校から「沖縄のお話」をして欲しいという要請をいただきます。請われれば、「講師」として学校へ行きます。でも、戦争の話というのは、苦手なのです。
「そこでためらってどうする!事実は伝えなければならないんだよ」
というお叱りの声も聞こえてきそうです。そして、そのように叱ってくださる人のことを、私はすばらしい人だと思います。
私が沖縄県民ではないとか、戦争経験者ではないとか、そういうことを言い訳にしているのではありません。私自身、過去の戦争について、子どもたちに伝えなければならないという思いは、人一倍強いつもりです。でも、小学生が沖縄の話を聞く、それが、もしかすると沖縄との初めての出会いかもしれないというとき、その話題が「戦争」からというのでは良くないと思っているのです。そんな話からでは、子どもたちが沖縄のことを好きになってくれないのではないかと思うからです。
「沖縄のことを好きになってもらうのが、おまえの役目ではあるまいに」
というお叱りもあるかもしれません。学校という教育の場で話しをするならば、子どもたちが沖縄を好きになるかどうかではなくて、子どもたちに伝えるべき事を伝える。それが役目だろうと。
その通りです。一番大切なのは、「伝えるべき事を伝える」という点なんです。だからこそ、「戦争」からではだめだと思うのです。私の考えはこうです。
沖縄との最初の出会いが「戦争」では、伝えたいことが伝わらない(かも) |
さて、またまた話が長くなりそうな予感。
つづく。
2004,7 |