『歩く・みる・考える沖縄』(沖縄県高教組南部支部平和教育研究委員会編/沖縄時事出版)という本があります。出版は1986年となっています。
この本は、画期的でした。と、私は思っています。
ルーズリーフと呼ぶんですよね。ページを抜き差しできる形。だから、正確には本と呼べないのかもしれませんが、いえ、やっぱり本ですよね。ちゃんと書店で売られていましたし。
平和について学習するために、沖縄を歩こうというのがこの本の主旨なんです。「戦跡巡り」と書きますと、なんだか押しつけられた観光コースのような感じですけれど、この本に書かれた「モデルコース」は、見るべき所と学ぶべき事が本当によく考えられていて、よく調べられていて、とてもよい資料でした。実際に沖縄へ行けなくても、この本を一冊持っているだけで、平和についての考察は十分できるのではないかと思えるほどでした。おそらく、唯一の欠点といえば、「行かなくてもわかった気になれてしまう」という部分だったでしょうね。
この本の中に、『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー』が紹介されていました。
さてと、どんな解説が書かれていたかな。たしか五線譜も書かれていたような。えーっと・・・あら?本がない!
本が見つかりません。情けない・・・
まあ、本がなくても記事は書けます。続けましょう。
「艦砲」は、艦砲射撃のことです。空爆とどう違うの?
空爆は、遠くから飛行機が飛んできて、爆弾を落す。ですから、敵の本拠地はまだ遠くにある。ところが、艦砲射撃が始まったと言うことは、たくさんの船が陸地に迫っている。敵の上陸も近いということなんです。
鉄の暴風。
地形が変わるほど攻撃された。
船の上を歩いて、向こうの島まで渡れると思ったよ。
爆弾の跡が、たくさんの水たまりになってね。
そんな戦場を生き抜いた人が、自分のことをこう呼ぶんです。
「うんじゅん わんにん やーん わんにん 艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」
「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」=艦砲射撃の食べ残し
大勢の人間が、艦砲射撃の餌食になってしまった。今生きている私もあなたも、艦砲射撃の食べ残しなんだよ。
なんて哀しい表現なんでしょう。
でも、歌は明るいんです。自嘲気味に聞こえるかもしれませんが(実際、ユーモアと見ても許されるでしょうけれど)諦めているのでも、投げやりになっているのでもなく、悲惨な戦争から立ち上がって、子どもを育てて、という前向きな歌詞なんです。弾むようなリズムも、そのせいでしょうか。
この記事を書いている今日は、2004年6月23日。慰霊の日です。この歌の、最後の歌詞を書いておきます。
我親喰ゎたる あぬ戦争
我島喰ゎたる あぬ艦砲
生まり変わてぃん 忘らりゆみ
誰があぬ様 強いんじゃちゃら
恨でぃん悔でぃん 飽きじゃらん
子孫末代 遺言さな
うんじゅん わんにん
やーん わんにん
艦砲ぬ喰ぇーぬくさー |
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追記
『新 歩く・みる・考える沖縄』(沖縄平和ネットワーク編/ 沖縄時事出版)が1997年に出版されています。こちらは、読んだことがありません。すみません。
2004,6 |