GO MOUTH HERE MOUTH 県産品に会いたい
 題名を見ると、輸入品に文句があるように思われたかもしれません。違います。たぶん。
 私自身、輸入品をどう考えればよいのか、迷っています。


 今の三線を取り巻く状況を見てみましょう。
 水牛の角でできた爪は、輸入品です。外国であの形にされたものを輸入しているそうです。胴の枠も輸入品が多く使われています。棹の材料はほとんど間違いなく輸入品です。材木として輸入する他、棹の形にして輸入している業者もあります。国内(沖縄)で棹を作るより、木材の産出国で棹を作る方が絶対に有利です。輸入するときの重さが軽くなります(削ったあとですから、余計な部分は運ばないですみます)。それに、人件費も安くなりそうです。安い三線をつくるなら、この方法でしょう。

 2002年11月6日の琉球新報に、「三線の輸入が急増」という記事があり、そこには、「その他弦楽器」(三線が9割以上を占めるそうです)の輸入が2001年から急増。2002年も8月の時点で860万円=前年金額比8倍という伸びだそうです。記事には、2001年から県内の三線製造販売業者がベトナムで製造輸出を始めたことが書かれています。2001年の輸出国がベトナムだけだったのに対し、2002年は中国が13.6%を占めている点を考えると、先の業者だけでなく、別の業者も海外生産を開始したか、海外の製造会社から輸入を始めたと想像されます。
 「弦楽器の部分品および付属品」(8割以上が三線関連とみられているそうです)の輸入も2000年から年々増加しており、2002年8月までの輸入額は3200万円。先に書いた「その他の弦楽器」(製品となったもの)の輸入額の4倍近くあります。輸出国にはベトナム、中国、台湾、フィリピン、タイの名前が見られます。

 三線そのものを輸入した場合は、当然「外国製」と呼ぶわけですが、外国で部品を作り、それを沖縄で組み立てた場合はどうなのでしょうか。沖縄で皮を張ったら沖縄製?それとも、棹さえ沖縄で作れば、沖縄製?いや、すべてが沖縄製でなければ沖縄製とは呼べない?
 意見の分かれるところです。今のところ、製品として輸入している額はそれほど多くないようです。(これは、高級品は外国で作られていないという理由もあるでしょう)しかし、部品の海外生産額が急増している今、海外で本格的に三線を組み立てる準備はできあがっているといえないでしょうか。

 国外での三線作りに、疑問を投げかける人もいます。

三線作りは、沖縄の伝統文化です。これまで培ってきた三線作りの技術を、外国の人が簡単に真似られるはずがありません。真似られても真似でしかない。それは本物の三線ではないのです」

 と、この通りの言葉を言った人は知りませんが、輸入品を嫌う人の気持ちを代弁すると、こうなるのではないでしょうか。
 しかし、時代は変わっています。現代の工具や機械を使えば、木材を棹の形に削り出すことはそれほど難しくないと思います。(私にはできませんけれど)木工の心得があれば、沖縄製とそっくりなものを作ることは可能でしょう。それが「真似でしかない」と批判するのであれば、外国製品だけでなく、現在の沖縄の三味線店のいくつかも批判される対象になってしまうと考えるのは、私だけではないでしょう。

棹は、きちんと寝かせた木でないと使っているうちにねじれたり曲がったりするから、外国製はだめ」

 この声は、実際に聞きました。本当にそうでしょうか。外国製だから寝かせていない。とは言えないでしょう。過去に、本当にひどい三線を見たこともあります。それは外国製だと聞きました。粗悪品は使う人から見捨てられていきます。見捨てられては仕事になりませんから、質をよくしてきます。今では、たとえ安い三線でも「これは質が悪いから外国製だ」とすぐにわかるものは少ないと思います。逆に、沖縄製だからよいものだとも言えない。
 粗悪な外国製がある。といえても、外国製だから粗悪だということにはならないわけです。沖縄製の粗悪品もありえますし。

外国の安い製品に押されて、県内の業者が困る。沖縄で三線を作る人がいなくなってしまったら大変だ。伝統文化の崩壊だ」

 ありえる話です。こうなってはいけないと私も思います。
 だから外国製品に手を出すな。という結論ではありません。購入者としては、産地がどこであろうと、安くてよいものなら文句はありません。でも、やっぱり沖縄を贔屓(ひいき)したくなるわけです。

 では、外国との競争という厳しい状況の中で、三線作りが沖縄の文化であり続けるためには・・・

 沖縄県の三線作りの歴史はたいへん長い。外国製の歴史とは比較になりません。その長い歴史の中で、沖縄には多くの技術や知恵が蓄積されているはずです。私が三味線店を探訪して感じることは、三線を作っている店主の言葉の中に、いつも新しい発見があること。「そういう点に注意して作っているんだ」とか「そんな工夫もあったんだ」などなどなど、何度足を運んでも新しいことを学べるのです。それら技術と知恵のすべてが、外国に伝わっているはずはありません。ならば、沖縄の作り手による三線と、外国製品との間には確かな違いがあるはずです。たしかに沖縄製の方が優れている。そう言わせるような三線を作り続けることが大切だと思います。

 そしてもう一つ大切なのは、その違いがわかるお客さんであること。そのためには、「外国製品だからだめ」というような基準を持ち出しては行けません。これは、自分自身の目と耳で判断することを放棄した言葉です。よい三線を自分の目と耳で探して、その結果が沖縄製の三線だった。というのが理想なのです。外国との競争によって、沖縄の三線がさらによくなってくれれば嬉しいのです。そう書きながら、それが大変難しいことだろうとも感じています。

 すでに、安い三線は作らないという店も出てきています。精魂込めて、高級品を作って、それをわかる人に売るという店は、沖縄の文化を守る三味線店の形かもしれません。高級品は沖縄製、普及品は外国製という時代が、そこまで来ていると言えそうです。


ご注意
 ここに書いた文章は、特定の三味線店を非難、あるいは擁護する意図で書かれたものではありません。 



GO MOUTH HERE MOUTH 蛇皮線も三線も嫌い
 公園。暖かい日差しが心地よい、春の昼下がりです。

 あなたは、ベンチに腰掛けて三線をつま弾いていました。一曲終えて、調弦を確かめているとき、遠くから子どもがはしゃいでいる楽しそうな声が聞こえてきました。若いお父さんと子どもでした。手を繋いで歩いてきます。お父さんの手をブランコのようにしながら、また楽しそうに笑いました。
 あなたは、そんな様子を見ながら、もう一度調弦を確かめるために女弦を弾きました。その音が聞こえたのでしょう。子どもの視線が、あなたの方に向きました。こちらを指さしながら、背の高いお父さんの方を向いて何か話しかけています。お父さんは、少しかがむようにして話を聞き、そして何か話しかけました。子どもは何度か頷くと、そのきらきら輝く無邪気な目をあなたの方へ向けながら、お父さんを引っ張ってこちらへ歩き始めます。今にも駆け出しそうになりながら。

 あなたは、子どもの気持ちを察して、次の曲を演奏し始めます。親子は、少し離れたところで立ち止まりました。演奏の邪魔をしないように気遣ってくれているのでしょう。やがて、子どもが楽しそうに手をたたきはじめました。

 演奏が終わりました。

 微笑みながらあなたに近づいてくる親子。あなたも微笑みを返します。
 お父さんが、あなたの三線をもう一度確認するように見てから、うれしそうに言いました。

 「それ、蛇皮線ですよね。沖縄の」


 さて、どうしますか?

1、 「いいえ、これはジャビセンじゃなくてサンシンと呼ぶんですよ」 
 と、毅然とした態度で訂正する。
2、 「よくご存じですね。そうです。これが沖縄の サ ン シ ン です」
 と、さりげなく三線であることを伝える。
3、 「は、はは、はい。そうです
 と、哀しそうな顔をして諦める。
4、 「そうです。ジャビセンですよ。ほら、ここが蛇の皮なんです。すごいでしょー」
 と、胸を張って蛇皮線という言葉を使う。

 「蛇皮線」という言葉に、「日本」からの「沖縄」に対する目というか意識というものを感じてしまう。その意識というのを説明するならば、異質なもの、妙なもの、あるいは蔑視にも似た意識かもしれない。蔑視とまでは言えなくても、「中央である日本」を基準にして「辺境の沖縄」にある楽器を説明しているという図式が見えるような気がする。沖縄(琉球)文化の独自性に憧れている私などには受容しがたいものではあります。
 先ほどの1〜3の番号を選んだ人は、対応の仕方は違っていても、「蛇皮線」に抵抗感があることは確かでしょう。

 ところが、「蛇皮線」という言葉を使っている人には「蔑視」などという気持ちはまったくなくて、ましてや「沖縄文化に対する憧れ」もないとなれば、ただ単に「蛇の皮が張ってあるから、蛇皮線、でしょう?」と無邪気に聞き返すだけなのです。物の名前というのは、説明的なほど理解されやすく記憶されやすく使われやすいのです。「蔑視」も「中央と辺境」という図式も、聞き手である「こちら側」の幻想だったのでしょう。

「蛇皮線」はどこから
 「蛇皮線」という呼び方。沖縄で話をするときには聞かれません。おそらく沖縄で作られた言葉ではなく、県外からの命名だろうと思います。
 しかし、その証拠は見つけていません。沖縄の人が、県外の人に説明するために「蛇皮線」という言葉を使い始めたという可能性も否定できないと思います。まあ、否定できないという程度であって、その可能性が高いとは思えませんが。

 「沖縄の人が使い始めた」可能性は低くても、県内でも「蛇皮線」を受け入れてしまっていたことは確かです。以前は、県外からの観光客に「これが蛇皮線です」と紹介していましたし、おみやげ物として並んでいたミニチュアには「蛇皮線」と書かれていました(県外生産かもしれませんが)。ほとんど見なくなったと思うのですけれど、今もあるのでしょうかね。
 おもちゃはともかく、三味線店の中で「蛇皮線店」という看板を上げているところはまずないと思うのですが、どうでしょうか。それに、会話の中で「三味線」という呼び方はしても、「蛇皮線」はまず出てきません。やはり「蛇皮線」は県外向けの説明に使われることはあっても、県民の間で使われることはまずなかったと考えてよいでしょう。

抵抗感はどこから
 先ほども書きましたように、「蛇皮線」被害の当事者とでも言うべき県民のみなさんはというと、「蛇皮線」に特別な抵抗感などを抱く人はほとんどなかった。比較的強い「抵抗感」をもっている人は、沖縄文化に憧れる県外の三線愛好家に多いのではないか。そんな気がしています。

 当の沖縄県民に、さほど抵抗感がないのなら、県外の私たちが「蛇皮線」を敵視する必要はないはずですよね。それでもなお、「蛇皮線」という言葉を放置しがたいという感情をぬぐい去れない理由は、「三線の方が元祖なんだぞ」という意識にあるのかもしれません。

 中国から渡ってきた三線の原型が、沖縄で三線となり、北上して「日本」に上陸し、形を変えて今の三味線になった。とすれば、本家である三線を「蛇皮線」などと呼ぶのではなく、三味線を「猫皮線」と呼ぶべきじゃないか!そこまで言わなくても、沖縄の文化を沖縄の言葉で表現してほしいという気持ちは、「蛇皮線」を容認する県民にも理解できるはずです。

 さらに、「蛇皮線」を許し難い気分にさせてくれるものがあります。
 先ほど書きました「沖縄県民が、蛇皮線に対してさほど抵抗感をもっていないらしい」という点です。それは沖縄県民自身が沖縄を「日本の辺境」と認識し、「方言撲滅」だの「本土に追いつけ」だのと「日本人」として進むべき道をひた走っていたころの名残なのかもしれません。
 三線愛好家の中には、そういうことを明確に、あるいはおぼろげに感じてしまうことで、「蛇皮線に対する抵抗感」を増幅させているのかもしれない。つまり「沖縄県民が、抵抗感を表さないこと」が、県外の三線愛好家が感じる「蛇皮線」に対する「抵抗感」の一因とも言えるわけです。などと書きますと、まるで「沖縄が悪い」と聞こえるかもしれませんが、これをもう少し掘り下げて考えれば、その「蛇皮線」に無抵抗な県民を作り上げたのが、琉球処分以降の日本政府だったことは間違いないでしょうし、県外の三線愛好家が「日本側に生まれてしまった」という罪悪感にも似たものを感じて(決して生まれた場所について罪悪感を感じる必要はないのですけれど)、それが蛇皮線に対する怒りとなって噴出しているのかもしれません。

 ずいぶん歴史をさかのぼる話になってしまいましたが、今の沖縄を見てみれば、県民みずからも「沖縄の文化」を独自のものと考え「日本」と切り離して語るようになり、少なくとも音楽文化の面では日本を追いかける必要を感じなくなっていると言ってよいでしょう。県外の人から「それ、蛇皮線?」と言われたときに、「え?三線のこと?」と、首をかしげる県民も増えてきている。そんな想像をしています。

 などと、力をいれて書いているわけですが、実は、私自身には「蛇皮線」への抵抗感が薄れつつあるのです。「諦め」なのかもしれませんが、それよりはもう少し前向きです。でも「蛇皮線を認める」といえるほどではありません。いやはや、なんとも曖昧なこの気持ち。というお話を次に。
「蛇皮線」をどうする
 中央である日本が、辺境の沖縄を見るという形で「蛇皮線」という言葉がある。これは、県内で「蛇皮線」という言葉を使わないという点からも正しいと言えるでしょう。
 「広辞苑」を調べますと、項目に「蛇皮線」はあります。その「蛇皮線」の説明に「沖縄の三線(さんしん)の俗称」と書かれているのに、肝心の「三線」は項目として載っていないのです。まるで、「蛇皮線」の方が共通語だと言わんばかりです。日本の中の沖縄(奄美)の楽器である三線は、方言と考えられなくもないですけれど、それにしても「蛇皮線」という項目しかないという点にはひっかかりますよね。

 沖縄の立場に立って沖縄の文化を伝えようとするなら、沖縄は辺境ではなく中央であるという考えに立つべきです。ならば、「蛇皮線」ではなく「三線」という表現をすべきですよね。なのに、「蛇皮線」が共通語でその方言が「三線」だと考えられているとしたら、なんだか気分がよろしくない。

 ですが、この「よろしくない気分」の中身は、「沖縄文化として沖縄は中央である」けれども、「日本文化の中で沖縄は辺境である」ということを認めていることになりはしないか。と思えるのです。つまり、「辺境の沖縄文化を、中央の日本にも認めて欲しい」といった図式を、知らず知らずのうちに作ってしまっているような気がするのです。
 いっそのこと、日本文化と沖縄文化を別の物として考えてしまってはどうでしょう。つまり、沖縄から見た日本を(文化という点で)「外国」扱いしてしまうのです。「日本」を「ジャパン」と呼ぶ国があっても、特に腹立たしく思わないのと同じように、「三線」を「ジャビセン」と呼ぶ国があってもいいかな。なんて気にもなれるわけです。どうです?

 それでも、沖縄は日本ですよね。しかも、私は「日本人」です。上の考えは、「日本人の私」が日本を切り捨てているようにも見えます。そのことが「日本の責任」を切り捨て、私が「日本人」であることに目をつぶらなくてもよいように言いつくろっているようにも見えます。いえ、もっと考えるならば、「日本の責任」だとか「蛇皮線を許せない」などと書き立てていること自体が、「オレは『何も知らない日本人たち』とは違うのだぞ」という優越感に浸ろうとしている浅ましい心の表れであったり、自らに免罪符を持たせようという行為なのかもしれません。
 だとすれば、無邪気に「蛇皮線」と口に出して近寄ってくるお父さんの、三線に対する純粋な興味の方が、すでに逃げ道を作ろうとしてしまっている自分よりも、よほど沖縄を愛するにふさわしいではないか。
 そこまで自虐的にならなくても、と、肩をぽんとたたかれるような気もしますけどね。

 沖縄を「日本であり」「日本と一緒にされたくない」という私の中の二つの感情と、そのことを「日本人」として考えるべきなのかという不安がますますややこしくしてくれます。おそらく、一人の人間の中でもいろいろな考えがあるでしょうし、三線を練習している間に、考え方が変わってくることもあるでしょう。
 ともあれ、「蛇皮線」という言葉を使うことには抵抗感を持っても、使っている人に対しては、寛容になれます。少なくとも「蛇皮線」ということばすら使えない人よりも、沖縄を意識してくれているに違いないからです。

 話を「蛇皮線」という言葉そのものに戻しましょう。

「蛇皮線」はどこへ

 「にがうり」から「ゴーヤー」になった。

 ご存じですか?沖縄県以外で収穫され、販売されているゴーヤー。つまり、共通語的にいえば「にがうり」が、市場では「ゴーヤー」という名前で売られていることを。
 ゴーヤーは、沖縄でよく食べられている野菜ですけれど、決して「沖縄独自のもの」ではありません。県外でも普通に食べているところがあるんです。そこでは「にがうり」などと呼ばれている(いた)はずです。
 ですから、県外で生産されるゴーヤーが県外で消費されるにあたっては、「にがうり」として店頭に並ぶべきなのですけれど、「長寿と健康の邦、沖縄」がもてはやされて、ゴーヤーがその代表格のごとく宣伝されたおかげで、県外でも「ゴーヤー」という呼び方が知れ渡りました。「にがうり」と呼ぶと、ただの「にがうり」なんですけれど、「ゴーヤー」なら「沖縄の長寿を支えているゴーヤー」となるわけです。消費者へのアピール度が断然違ってくるわけです。
 その結果、店頭でも、産地は沖縄ではないと明記しながら、商品名はゴーヤーという、不思議な現象が起こっています。沖縄産ではない「にがうり」にまで「ゴーヤー」の名前が使われるようになったことは、つまり、「ゴーヤー」の方が共通語としての力をつけてしまったといえるのでしょう。

 蛇皮線も、どうぞ蛇皮線と呼びたい人は呼んでください。そのうち、沖縄の音楽がもっともっと注目されて、沖縄ファンでない人からも、あの楽器は沖縄の楽器。沖縄では「三線」と呼ぶということが周知徹底して、ついには「昔は蛇皮線という言葉もあったらしいね」となってくれるような気がしています。そう、蛇皮線は古語になってしまうのではないでしょうか。そのときには「三線」が広辞苑に、「蛇皮線」は古語辞典に載せられるにちがいありません。
「三線」しかないのか
 蛇皮線を古語にしてしまうためにも、「沖縄では蛇皮線とは言いませんよ」という正しい知識を伝えたい。これはほとんどすべての三線愛好家が胸に秘めていることでしょう。毅然とした態度で言い切るか、やんわりと伝えるかの違いはあっても。私もそうです。 だったら、「蛇皮線とは言いません」じゃなくて、

「三線(サンシン)という正しい呼び方を広めよう」の方がいいのでは?

 こう考える人もいるでしょうね。あるいは、

蛇皮線じゃなければ、三線だよね。当然だよね。でしょ?

 と思っている人が大半なのではないでしょうか。
 三線(サンシン)が正しいという考えには賛同できても、それ以外にないと言われると困ってしまいます。はっきり言って、「サンシンと呼ぼう!」というかけ声には、「抵抗感」があります。この「抵抗感」は、前に書きました「蛇皮線」の場合と共通するものです。と書くと驚く人が多いでしょうね。

 「蛇皮線」に対する抵抗感を説明した「日本」と「沖縄」という図式を、「三線(サンシン)」では「琉球」と「八重山」、あるいは「琉球」と「宮古」という図式に置き換えて考えて下さい。

 「三線(サンシン)」が沖縄の言葉であるということには疑いをもっていません。ですが、県内でも呼び方はいろいろなんです。私は「三線」を沖縄県内の(あるいは、琉球文化圏の)「共通語」であると考えています。奄美には奄美の呼び方がある(もちろん、サンシンもその一つ)でしょうし、宮古島にも、八重山にも、それぞれの地域で「普通の呼び方」があるはずです。つまり、三線を演奏する地域には方言があるわけです。
 そこへ「サンシンに統一しよう」という呼びかけは、迷惑な話だと思うわけです。結局は「中央から辺境を」見ていることになりはしないでしょうか。押しつけにはならないでしょうか。
 今まで「サンシン」と呼んでいなかった人が、今まで使っていた言葉を捨てて「サンシン」に換えてしまっているとしたら、しかもそれを押しつけともなんとも感じていなかったとしたら、と思うと、私の「サンシンに対する抵抗感」はさらに増幅されてしまうのです。

「サンシン」という呼び方が本当の呼び方で、
それが変化して奄美や宮古の呼び方が生まれたのだから、
本来の「サンシン」に戻して何が悪い?

 という意見があったとしたら、それこそ「方言への蔑視」ですよね。

 白状してしまえば、私は「シャミセン」と呼んでいます。これは、先輩方がみなさんそう呼んでいたからで、私自身も三線を手にしてからずっと「シャミセン」と呼び続けています。

「シャミセン」は日本語だろう。
それこそ「中央」からの押しつけを容認しているようなものだ。

 「シャミセン」は、おそらく「サンシン」の変化したものでしょう。その変化が、日本だったかどうかという点、つまりサンシン=沖縄語、シャミセン=日本語という理解でよいのかについては、後ほど考えたいと思います。
 もう一つ付け加えさせていただきます。これは「蛇皮線」の場合との大きな違いなのですけれど。
 「蛇皮線」は、基本的に県内では使われない言葉だと言ってよいでしょう。なのに県外の人が「蛇皮線」と呼んでいることに対して「沖縄の文化なのですから、沖縄で呼ばれている呼び方でお願いしたい」と主張することは当然と考えています。
 「シャミセン」という言葉も「蛇皮線」と同じか?ちがうでしょう。少なくとも「シャミセン」「サミシン」「サムシン」など、県内での呼び方の一つとして定着しています。「三線」を表現する一つの言葉として考えるべきでしょう。

「シャミセン」と呼んでしまうと、「邦楽の三味線」と混同してしまって不都合だし。

 県外ではそういうことも起こりますけれど、沖縄にいる限り、まったく困ることはありませんでした。「邦楽の三味線とまぎらわしいからサンシンにしよう」なんて言われたら、私の「抵抗感」はますます強まるばかりです。だって「日本でシャミセンという言葉を使っているから、こちらはサンシンに」ということですよね。なんでそんな気をつかう必要が?

 と言いながら、HPでは「三線」を使っているわけですけれど。

 とにかく、私の「サンシン」に対する抵抗感は、こういうわけでして。
 次は「三弦」「三線」「三味線」という言葉について考えていきます。
中国語の三弦
 中国の三弦といいましても、いくつか種類があるようです。私が読んだ本では、大中小の3種類があり、「大三弦」「中三弦」「小三弦」と書いてありました。どれも蛇皮が張られていて、天の形も、糸巻きの付き方(向かって右側に二本、左側に一本)も同じです。大中小の「小」が一番三線に近いと感じます。棹の鳩胸あたりは、「南風原型」や「久葉ぬ骨型」ににていて、チマグがはっきりしていません。南風原型は最も古い型と言われていますが、それと中国三弦とが似ているというのは興味深いですね。

 沖縄県浦添市に、「国立劇場おきなわ」という立派な施設ができました。
 2004年1月23日から、「開場記念公演」が行われました(私は見ていません)。その中の『【第6週】アジア・太平洋地域の芸能「アジア・本土の三絃類と沖縄の三線」〜アジア・太平洋地域にみられる関連芸能を通して、沖縄伝統芸能の源流とその広がりを探る〜』では、ベトナムの楽器で「ダンタム」というものが登場したそうです。このダンタム、写真を見ますと蛇皮張りの三本弦の楽器で、三弦や三線とよく似ているんですよ。

 HPで調べますと、中国(広東省)には「秦琴(しんきん)」と呼ばれる板張りの三弦の楽器があるそうです。おそらく、中国にはいろいろな「三本弦の楽器」があるのでしょう。
 世界に目を向け、「三弦」という文字が使われない楽器も含めれば、「三弦ファミリー」はそうとう広い範囲に及んでいるのでしょうね。
 ちなみに、「秦琴」も「ダンタム」も、演奏を録音したCDが日本で販売されているようです。

 さて、中国の三弦に戻ります。
 私たち日本人は、「三弦(絃)」とかいて「さんげん」と読みますよね。この文字は、邦楽の三味線を表すときにも使われます。ところで、中国ではどのように発音されているのでしょうか。

 中日辞典で、「三弦」の発音を調べました。辞典は現代の普通話(共通語の意味)で、北京語(ちょうど、日本語の共通語がおおよそ東京の言葉であるのに似ています)となるはずです。中国には多くの方言がありますし、琉球と深い関わりがあったのは福州だったとも聞きます。なのに、辞書は北京語、調べたのが私。あまり信用しない方がいいかもしれませんが、とにかく調べてみました。

 「絃」は「弦」の繁体字で、発音も意味も同じになります。区別する必要はないでしょう。
 発音は、「三弦」=「san xian」となるようです。
 アルファベットは、中国の「ピンイン」と呼ばれる発音表記です。カタカナで書くなら「サン シァン」ではなく「サン シェン」となります。「サンシン」に似てますよね。
(「シェン」と書くべきか「シエン」の方がよいか、迷うところです。外国語は難しいです)

 中国語(北京語)は、四声(しせい)と呼ばれる「4つの抑揚の形」によって、意味が違ってきます。
 日本語の「橋を使う」と「箸を使う」は、どちらのふりがなも同じ「ハシ」ですが、声を出して言えば抑揚が違いますよね。中国語の四声もそれに似ています。ただ、中国語の場合は、全ての言葉(漢字)一つ一つに「4つの抑揚の形」のうちの一つが当てはめられるようです。
 よく引き合いに出されるのは「マーマーマー」という言葉。これで、「母が馬を叱る」という意味になります。中国語を知らない人がただ「マーマーマー」と言っても意味をなさないのですけれど、きちんと抑揚をつけて言えば、「母(媽)」や「馬」や「叱る(罵)」(語順は「媽罵馬」)という意味になるのだそうです。
(中国語を学習している人に言わせれば、軽声というのがあったり、前後につく言葉で四声が変化する場合もあるそうです。また、地方によっては、種類が4つより多いところもあるそうですが、今は見逃してください)

中国の三線
 沖縄の三線と中国の三弦。深いつながりがあるというのはわかります。「サンシン」という言葉も、中国から入ってきたと聞きますよね。じゃあ、中国では「三弦」も「三線」も両方使われているのでしょうか。

 同じ辞典で「三線」を調べました。しかし、載っていません。しかたないので、「」の発音を・・・これまた見つかりません。
 もう少し頑張ってみました。「銭」の金偏を糸偏にした文字があります。それが「線」と意味も発音も同じになるようです。ピンインは「xian」で、カタカナで表せば「弦」と同じ「シェン」となります。でも、さきほど書きました抑揚が違うわけです。だから耳で聞けば(中国語のわかる人には)「弦」と「線」は、はっきりと違う言葉に聞こえるはずです。つまり「三絃」と「三線」を混同することは考えにくい。しかも、辞書に「三線」はない。

 とすると、そもそも「三線」なんていう言葉が、中国にあったのかどうか。
「三線」はどこから

 沖縄県立博物館編集の『特別展「三線のひろがりと可能性展」(1999年)』には、「三線の来た路」という文章が載せられています。著者は池宮正治氏(琉球大学教授)です。
 そこには、三線伝来の道筋とその呼称、制作者や名器についての考察が、文献を基にして丁寧に書かれています。三線愛好家には格好の参考書です。その中から伝来と呼称についてだけをまとめてみますと、
(1)三線は、中国→琉球→日本と伝わっていったことは、県外の研究者を含めほぼ定着している。
(2)「サンシン」という呼称は、三線の福州での発音「サム(m)シエン」が変化したものであろう。
(3)三線の呼称が古く、三弦と書かれるようになったのは後のことであろう。
 ということになりそうです。
 (1)については、何も言うことはありません。
 (2)(3)について、池宮氏の文章をもう少し詳しく紹介します。

 三線の来た路を記憶しているのが「三線」そのものである。中国では現在「三絃」に統一しているが、古くは「三線」であったに相違ない。江戸上りの中国楽器は「二線」「三線」「四線」といった。他の楽器を見ても琉球側が付けた名前とは思えない。明清楽の習得の地だった福州でそのように呼んでいたからであろう。現在の沖縄のサンシンはこの「三線」の福州での発音サム(m)シエンの変化したものと考えられる。

 さらに、池宮氏は『上井覚兼日記』(1757)と『言経卿記』(1487)という書物に「三線」の記述があることに触れ、

古い資料には「三線」の表記ばかりがあり、「三絃」はないのである。上の「しゃひせん」はこの三線を読んだものと思え、「しゃびせん」と言ったであろう。この時期『御湯殿上日記』1580(天正8)年2月16日の条にも、川原者の山しろなるものが「しやみせん」を引いている。上の「語彙稿」には鹿児島県日置郡や名瀬では「サンセン」とよんでいて、これは「三線」をそのまま日本語で読んでいるのであろう。だとすればなぜ「しゃみせん」「しやひせん」なのか。ここの「み」や「び」は三線の故郷の「サmシエン」の「m」をかたくなに保存した結果だと推考される。「三絃」から出たとする説が通行しているが、こうした理由でとらない。

 としておられます。つまり、

中国 沖縄・日本
14〜5世紀頃 三線 三線
三絃 サンシン・シャミセンなど

 中国で「三線」という文字が使われていて、それが沖縄へ伝わり、「サンシン」になった。「三弦」は、琉球に三線が伝わった後に中国で統一された呼び名だと結論づけておられるわけです。

 福州は、琉球から大陸へ渡るときの拠点となったところで、「琉球館」があった場所だそうです。ですから、沖縄へ伝わった大陸文化の多くはここを経由しているだろう。沖縄に伝わった中国語を考えるときも、福州の言葉で考えるべきだ。なるほど。
 福州の発音「サ(m) シエン」の(m)が、「しゃみせん」「しゃびせん」という言葉にも「両唇音(上下の唇を閉じて出す音)」として残っている。これすなわち、「三絃」より「三線」が古く、沖縄の「サンシン」の出所である証拠。さすがです。
 私ならば、ここに「宮古のサ(m)シン」も並べて、説を補強したくなるところです。

 福州の「三線」「三絃」の発音を調べてみようと思いました。そこで、インターネットでしらべたのですけれど、どうしても「福州語」は調べられません。ある辞書で、台湾も福州も「ビン方言」に属するということがわかりましたので、やむなく台湾語を並べてみることにしました。二種類表示されたものは、二種類とも書いておきます。

弦(絃)
北京語 san xian xian
台湾語 sam
san
sian
soaN
hian
 まず、「三」の「m」について。池宮氏の書いていらした「m」音は確かにあります。
 台湾語では、「線」と「弦」では、抑揚だけでなく、音そのものが違ってくるようです。
(=sianとhian)

 池宮氏の考えを、図にしてみました。もう一度見てみましょう。

(1)「m」音
 さきほど書きました「m」音が沖縄に見られるという点。これが北京語「san」ではなく福州の言葉「sam」が伝わったのだという理由です。

沖縄・日本に「m」音がある → 北京語には「m」がない 沖縄に来たのは
福州語には「m」がある 福州語だ

(2)「シン」と「シエン」
 そして、福州語が伝わったのであれば、(ここでは台湾語ですが)「三絃(sam hian」は沖縄の「サンシン」にはなりにくそうです。「三線(sam sian)」ならば「サンシン」に結びつけられそうです。

× 福州の三絃(sam hian ←似ていない→ 沖縄の「サンシン
福州の三線(sam sian ←似ている→

 だから福州から入ってきた言葉は「三絃(sam hian)」ではなく「三線(sam sian」で、それが沖縄の「サンシン」「三線」そして「シャミセン」「三味線」になったと池宮氏は考えておられるのでしょう。文中にあります『「三絃」から出たとする説が通行しているが、こうした理由でとらない』とは、このことです。

 中国福州の発音、「しゃみせん」という呼び方、文献に登場する言葉。多くの資料と考察(おそらく、現地調査もしておられるのでしょう)によって導き出された結論には、説得力があります。これを通説とすることに、異論はありません。

 「三線」の原型である「三弦」という楽器が中国から渡来したことは間違いない。これはわかります。
 私の「中国に三線という言葉があったのか」という疑問に対しては、池宮氏の説では、「三弦より前に三線という文字(言葉)が中国にあった」と書いておられる。つまり、「三線は中国語だ」と言ってくれているわけです。その理由の骨格が『沖縄・日本に「m」音があるから』なんですけど。それでいいのでしょうか。まだすっきりしません。
三線と三絃
 『特別展三線のひろがりと可能性展』には、「三線関連略年表」というページがあり、そこに「三線」「三弦」などの言葉が現れた文献について、短くまとめられた表があります。

三線関連略年表
西暦 琉球 日本 事 項
1392 察度43 明徳3 ビン人三十六姓が帰化。「始メテ音楽ヲ節シ礼法ヲ制ス」
(ビン人の「ビン」は門構えに虫と書く漢字ですが、パソコンで表せなかったのでカタカナにしました)

 ここから始まっています。年号もきちんと3種類記してあったり、引用文も長いところがありますけれど、この先はごく一部を、ごく簡単に紹介します。(青や赤に色づけしたのは私です)

1534年、『使琉球録』 絃歌ヲ用フ
1572年、『利家夜話』 三味線を高々と小歌にのせてひかれ候て
1575年、『上井覚兼日記』 「しやんせん
1579年、『使琉球録』 絃歌ヲ用フ
1580年、『御湯殿上日記』 「しゃみせんひかせらるる」
1587年、『言経卿記』 「平家上るり等三線等引之・・・」
1606年、『使琉球録』 三絃等ノ楽アルモ、但々不善ノ作多シ。嘗テ吾が随従者ヲ借リテ之ヲ教フ。
1610年、『喜安日記』 三絃の秘曲
1612年、『球陽』 三線
1710年、『球陽』 三絃有り ・・・ 三絃を製す
1721年、『中山伝信録』 ・・・楽器ヲ持ツ。三絃二・提琴一。

 たしかに、池宮氏の書かれている通り、古い文献に「三線」の文字が見られます。しかし、「三線」が書かれているのは琉球と日本の文献でして、しかも、この表で見る限り「三味線」の方が先に出てきています。中国の冊封使が記した『使琉球録』『中山伝信録』には「三線」ではなく「絃歌」や「三絃」という言葉が見られるのです。

 『中国と琉球の三弦音楽(王 耀華)』(第一書房)にも、「シャミセン」などの「m」音を含む言葉と福建省南部方言の「三弦(sam hian)」とは何らかの関係があると書かれています。王氏は「三線(sam sian)」ではなく「三弦(sam hian)」と比較しているのです。また、同書では沖縄の言葉「サンシン」は、北京語「三弦(san xian)」と何らかの関係があるとしています。この考えのもとは、『琉球学の視角(小島瓔禮)』(柏書房)にあるようです。
 福建省南部方言も北京語も、両方が沖縄の「サンシン」に影響していると考えるのは大胆ではあります。それはともかく、福州市で芸能研究をしておられるという著者が「三線」という文字を持ち出さないで、「三弦」だけで説明していることを考えると、やはり「三線」は中国にはない言葉ではないかと思ってしまいます。

 もう一度、中日辞典で「三線」を探しました。今度は大きな中日辞典です。ありました。それを読んでびっくり。北京語ですけれど、「三線」という文字は文化大革命のときに、ある地域を表す言葉として使われたそうです。楽器を想像させないのです。
 文化大革命の方が、「三線」の来琉よりもずっと新しいことは承知していますが、中国で「三線」が楽器を想起させる言葉だったとしたら、地方を表す言葉に同じ「三線」を持ってくるでしょうか。ちなみに、「一線」「二線」も地域を表す言葉として書かれていました。
 また、仮に『中国で「三線」という言葉が楽器を表していた』としたら、それを「三弦」に統一する必要があったでしょうか。

 前に説明した抑揚の問題。同じ抑揚であれば、漢字が入れ替わることもあり得ます(中国ではよくあるようです)が、抑揚の違う漢字は意味が違うと考えられますので、「三弦」を「三線」と書き換えることは考えにくいわけです。同じ意味で、「三線」だったのが「三弦」になることもむずかしいと思うのです。
 どうしても中国から「三線」という文字が入ってきたと考えたいのならば、北京語の「三絃(san xian)」を、福州の人が「三線(sam sian)」と聞き間違えて、「三線」になった。というのはどうでしょう。ちょっと苦しいですよね。

 素直に考えれば、「日本(沖縄)の書物には、三線も三絃もある」のに「中国には三絃しか見あたらない」という点が不思議です。今まで、「三線」「三弦」ともに中国からの言葉だと思っていましたが、「三線」については、沖縄か日本で作られた言葉なのかもしれないと思うのが普通でしょう。
 北京語の辞書と、インターネットで調べることしかできない私の意見ですので、説得力に欠けるかもしれませんけれど、私は本気でそう思っています。

中国の蛇皮線?
 さて、もう一つ気になるのは「蛇皮線」という言葉。これが中国でも通用するのかどうか。調べてみたいところです。
 ギターのことを「六弦琴」と表した辞書がありました。「六弦琴」も「三弦」も、「弦」の数を表しています。「蛇皮線」は、「胴に張られた蛇皮」を表して、最後に「線」をつけている。どうも中国語とは雰囲気がちがいます。しっかり調べたわけではありませんが、三絃にも胡弓にも蛇皮を張る中国(沖縄もですけど)で、ことさら三絃だけに「蛇皮線」という言葉を使うことはなさそうです。

 池宮氏は、先ほどの文章の中で、中国の三絃の種類を簡単に紹介しながら、

琉球と関係が深い福州あたりで見聞した三絃も琉球の三線に極めて類似し、ニシキヘビの皮を張り(この皮を蟒〔マン・うみへび〕とする。そのためもあってか、本土では海蛇の皮を張る「蛇皮線」が琉球三線の呼称のように言われる)、(以下略)

 と「蛇皮線」にも触れています。でも、私には内容をしっかりと読み取ることができませんでした。本土とは「県外」の意味でしょうか。海蛇の皮を張る「蛇皮線」とはどんなものか。「蛇皮線」という呼称は、中国のものか。残念ですが、蛇皮線についてはこれ以上読み取れませんでした。

 私には、日本で「シャミセン」という言葉をもじって「蛇の皮の三味線だから蛇皮線」という言葉ができたような気がしていたのですけれど、どうなのでしょう。
 もし、「蛇皮線」が中国でも使われている言葉だとしたら、つまり「線」という文字が弦楽器に使われるのであれば、池宮氏の「福州の三線」という説はぐっと信憑性を増し、私の文章は戯言となってしまうわけですが、今のところ、私は中国語の中に「蛇皮線」を見つけられずにいます。
三線と三味線
 「さんしん」と「しゃみせん」
 この言葉の違いで特徴的なのは、「み」の有無です。「み(mi)」は、上下の唇を一度閉じなければ出せない音です。これが、福州の三線(sa xian)の名残であるというのが、前に紹介した池宮氏の考え方。王氏は福州の三弦(sa hian)とのつながりを指摘しています。
 どちらも、福州の「三」(sa)が日本の「み」になったという考えです。

 まったく別の考え方の書かれた本を見つけました。

 「近世風俗志1〜5(喜田川守貞)」(岩波文庫)という本を購入しました。ブックカバーには、
『天保八(1837)年に筆を起こし三十年間かけて書き上げられた近世風俗史の基本文献』
とあります。おわかりのように「日本」の文献です。
 巻之二十三(音曲)に「三線」という項目があります。その部分を書き出してみます。

三線 さみせんと訓ず。『世事談』に曰く、永禄年中、琉球より渡る。その時は蛇皮をもって張る。ある人泉州堺の盲人中小路と云ふものにとらせたり。その後、虎沢と云ふ盲人、本手(ほんて)・端手〔破手〕(はで)と云ふ術を引き始む。慶長の頃、沢角(さわつの)〔沢住(さわずみ)〕と云ふ盲人、琵琶の名人なりしが、三線を手練し小唄にのする。浄瑠璃節出来たり。これにのせて弾けるは、沢角が始めなり。その後、大坂に加賀都(かがいち)、城秀(じょうひで)の両人術を得たり。江都に下りて加賀都は柳川(やながわ)検校となり、城秀は八橋検校となれり。当時、八橋流、柳川流と称するは、この両検校が術なり。これを三線と号(なづ)くるは、三の線(いとすじ)ある故なり。三の字さみと云ふは、閉口の音にてはねがなを、みと云ふなり。目録〔論〕はもくろみ、灯心はとうしみ、御帯はおみおびなどの類なり。しかるをいつの頃、何者の書き初めしにや、味の字を加へて、世間一統に三味線と書く、云々。 

 意外だったのは「三線」という文字です。「三弦」「三絃」ではありません。でも、この続きを読みますと、『江戸にては三絃に免許無し。』とか『長唄、三絃』といった表現が出てきます。
 三味線のことを「三弦(絃)」と表現する場合があることはよく知られています。「琴・三弦」という文字が看板に書かれた三味線店もあります。なのに、この江戸時代に書かれた書物には「三線」という文字が記されているのです。しかも、それを「さみせんと訓ず」つまり、「しゃみせんと読む」という説明があります。おそらく、一般的には「三絃(弦)」か「三味線」という書き方で三味線を表していたのであって、ここに書かれた「三線」は「三味線」の語源として紹介されているだけなのでしょう。

 著者の考えを簡単にまとめます。
1,もともと「三線(さんせん)」だった。(琉球の三線が渡来した)
2,「三線(さんせん)」という発音が「さみせん」になり「三味線」という文字が生まれた。
 この記述をそのまま信用するのであれば、「三味線」は、「三線=さんせん」の音が変化したことに伴って生まれた当て字ということになります。

 宮古島の方言を思い出します。前にも書きましたが、宮古島では三線に「sam sin」といった呼び方をします。「m」としてあるのは、「唇を一度閉じて口のなかで『ん』と言う」からです。
 池宮氏は、福州語の「sam」が沖縄に伝わったため「m」音が沖縄の一部地域や邦楽の「三味線」という言葉に含まれていると書いておられましたが、「m」が残っているのではなく、「n」音が変化して「m」が現れることがあるという考えもできるわけです。
 だったら、琉球に入ってきた言葉が、福州の三線(sam sian)だと考える必要はなくなります。「m」の無い北京語の三弦(san xian)でもいいわけです。その方が、今の中国で「三弦」が通用していることを考え合わせて自然に思えます。

 さらに、こんなことも考えられます。
 「三線」のことを「シャミセン」や「シャミシン」と呼ぶ沖縄県民は少なくありません。これについては、いわゆる「日本語」の流入であると考える人が多いわけですが、「さん」という音が「さみ」という音に変化しやすいのであれば、沖縄における「サミシン」「シャミセン」といった言葉が、沖縄でできあがった方言だと考えることも可能なわけです。(可能だけれど、これはやっぱり「日本語」の流入と考えた方が自然ですかね)

 言葉のお遊びはこれくらいにしておきますが、「m」が、池宮氏の言うように三線(sam sian)と共に中国福州から来たとしても、そうではなく三弦(san xian)が琉球に伝来したあとに変化した音だとしても、いずれにせよ今の私たちが「m」をきらって「サンシン」に統一する必要はないと思いませんか?
 調べるにつけ、「三線(サンシン)だけが沖縄の言葉として正しい」という考え方について行けないという私の気持ちは、強まるばかりなのです。
柳川三味線
 さて、先ほどの『近世風俗志』の中に、もう一つ気にしたい言葉があります。柳川検校(けんぎょう)です。(検校=昔、盲人に与えられた最高の官名)
 柳川検校は、18世紀の三味線の名人であったそうです。今もその「柳川流」は京都で伝承されているそうです。

 『近世風俗志』の文中には柳川流についての説明はありません。
 インターネットで調べてみますと、この「柳川流」で使われる三味線は「柳川三味線」と呼ばれ、一般的な三味線よりもずいぶん細いそうです。実物を見たことはありませんが、写真で見る限り、他の三味線に比べると、ぐっと「三線」に近寄っている。そんな気がします。
 『京都発祥の古典音楽の紹介』というHPには、

柳川三味線は、日本へ三味線が楽器として輸入され、日本化されたものの原型に近いものを、そのまま今に伝えている

 という説明がされていました。同HPでは柳川三味線の特徴もいくつか揚げられていますが、なかでもおもしろいと思ったのは、以下の点です。(【 】内の文章は、私が書き加えました)

棹が細い。鳩胸は緩やかに丸みをもつ。海老尾は棹の太さに比し大きい。
【この場合、「鳩胸」は三線の「野坂」のこと。「海老尾」は三線の「鳩胸」の先端になります】
奏法の特色は、「ばち」で皮を叩かないことにある。
【一般的な三味線の奏法は、バチで皮をたたくようにします】

 これを読みますと、ずいぶん「三線的」だと感じます。私は正面からの写真しか見ていませんが、胴が四角いことを除けば、三線の雰囲気でした。

 沖縄から日本に伝わった三線が、今の三線と同じ形だったかどうかはわかりませんが、すくなくとも、三味線の古い形は、今の一般的な三味線よりも細いものであったようです。その特徴が今の沖縄の三線に近いものであったような気がしてきます。
 とすれば、通説である「中国→琉球→日本」という経路がより明確になります。

 話は逸れます。

 三線の各部の呼称が「本土の言葉」だから、三線も「中国→日本→沖縄」という順序で伝わったのではないかと考える人も過去にはいたそうです。
 三線各部の呼称が本土の言葉であるという意見に対して、「いやいや、三線の各部の呼称にも、ちゃんと沖縄語があるんだ」と異論を唱える人もいます。『三線のはなし(宜保榮治郎)』(ひるぎ社)には、図入りで「各部の名称」が書かれ、「沖縄名と和名対照表」も載せられています。たいへん興味深い資料ですが、現代の三線を作る人たちはほとんど使っていない言葉ではないでしょうか。私の聞いた範囲(狭いですが)では、あまり通用しないようでした。

 呼称が日本語だから、楽器(三線)が日本から沖縄へ来たとは限りません。
 同様に、沖縄から日本へ渡った楽器(三線)だから、呼称すべてが沖縄の言葉だとも限りません。
 つまり、
 「沖縄から日本へ渡った楽器だけれど、呼称の一部には日本語が使われている」
 これで、いいと思います。

 もう少し逸れます。

 沖縄の「組踊」をはじめ、伝統的な芸能には、本土芸能の影響を強く受けたものが多くあります。いえ、影響という言葉ではなく、改作や焼き直しという言葉の方がよいものもあります。改作なんて言葉を使うと、沖縄の芸能を愛する人に嫌われそうですけれど、でも、普通に考えれば改作でしょう。
 誤解していただきたくないのは、本土芸能の影響を強く受けているからといって、沖縄の芸能が本土芸能の下にあるというのではありません。歌も芸能も、その土地に根付いて、その土地の文化となって受け継がれていく。それは、ルーツがどこであろうと、その土地の文化に違いないのです。そして、私がここで言いたいのは、おそらくその影響というのは、片方から片方への一方通行ではなかったということです。

 逸れすぎましたか。

 中国の三弦、沖縄の三線、日本の三味線、これに、柳川三味線も加えて並べてみたと想像してください。それぞれの土地で、それぞれの用途に合わせ発展してきたことは疑いないですけれど、その過程でお互いが影響しあいながら今の形になったと、素直に認められるはずです。基本的に「中国→琉球→日本」という伝来と理解して正しいのですが、相互に影響しあっていたという意味では、一方通行ではなかったのです。三線が琉球から日本へ渡り、三線に関わる言葉の一部が日本から琉球に渡ってきたとしても、何も矛盾はないのです。言葉だけでなく、三線と三味線の、お互いの形も影響しあっているように思えるのです。

 ただ、惜しいのは、中国三弦と沖縄三線の中間にあたる楽器、そして、沖縄の三線と日本の三味線(あるいは柳川三味線)の中間にあたる楽器、このあたりに並べられる楽器が見えません。これらの楽器は、発達の過程で淘汰されてしまったのでしょうけれど、見てみたかったですね。
 そう考えれば、今残っている、三弦、三線、三味線は、長い年月と多くの人の手によって完成された究極の楽器といえそうです。

 なんて、また「あたりまえ」のまとめで、このお話はおしまいにします。



GO MOUTH HERE MOUTH 早弾きは速い
 走るのが速い
 朝早く出かける。

 だから、学校の授業が終わる前に、帰宅するのは退き。
 三線の弾きは、速いはずですよね。だったら「弾き」じゃないのでしょうか。

 「なまむぎ なまごめ なまたまご」も、ゆっくりでは意味がない。ですけど、これは口言葉と書かずに口言葉としますね。日本語はむずかしい。早い話が、慣用ということでしょうか。

 早弾きって、なんでしょう。

 「早弾き」というのは曲の種類とかジャンルではなくて、奏法のことだと思います。でも、たぶん「こういう奏法が早弾き」というきちんとした定義はないと思います。

まず、リズムを考えます。
 あの「パッカパッカ」と弾むリズムは、早弾きにとって命であると私も思っていますが、実は、「タカタカタカ」と弾まないリズムで演奏する人もいます。ということは「あのリズムだったら早弾き」という定義はできないようです。

次にスピード。
 「早弾き」なんですから、早い(速い)に違いないのですけれど、どれくらい早いと早弾きになるのか。
「かぎやで風」を少し速めに弾くと早弾きか?
それは「ちょっと速いかぎやで風」ですよね。
もっと速く弾くと?それは「もっと速いかぎやで風」
スピードも大切ですが、速くすれば早弾きだ、と決めることもできないようです。

 お話は少しそれます。
 沖縄で、ある人の講演を聞きました。民謡の今と昔のお話でした。

で、私はそのおばあさんの前で、ハンタ原を弾いたのです。最初は、これくらいの速さで」

 と言って、持っていた三線でハンタ原の一部分を演奏しました。だいたいCDで聞く程度の速さです。つまり、今の弾き方です。

これを聞いて、おばあさんは、そんなに速くはなかったよ。そんなに弾く人はいないと言いました。そこで今度は、これくらいの速さで弾いてみました」

 先ほどの半分程度の速さでした。

 「すると、おばあさんは立ち上がって、手を挙げて踊り始めました」

 なんでも、昔風がよいとは思いませんが、この話でも、早弾きは速ければよいというものではない。ということがわかります。

 お話を戻します。

 「かぎやで風」の早弾きがあります。「舞方(めかた)」あるいは「毛御前風(もうぐじんふう)」と呼ばれます。これが、もとの「かぎやで風」とどう違うのか。

 メロディーもいくらか変えられていますが、注目すべき点はスピードが速いことと、「○(休み)」がないことです。
「かぎやで風」では「○」だった部分にも音を入れて、最後まで「パッカパッカ」の音をとぎれないようにしてあります。(正確に表現するなら、五分の位置=工工四の区切り線上=にもすべて音を入れてあるという意味になります)
 他の早弾きの曲も、実はもともとゆっくり目の歌があって、それを変えてあるのが多いようです。私の知る限りではどの曲も「○」を無くして音を出し続けています。「舞方」と同じです。
 「早弾き」にする目的は、聞き手を楽しませること。「踊らせる」というのも目的の一つでしょう。音がとぎれては気分もとぎれるということでしょうか。

 比較的新しい曲でも、その曲が生まれるときには、最初にメロディーができて、それを三線で「早弾き」奏法をするという形ではないかと考えます。

まとめますと(あまりまとまっていませんが)、

「早弾きの曲」があるというよりも、「早弾き」という奏法で演奏すると考えるべきでしょう。
「早弾き」は、一般的には「パッカパッカ」のリズムで、とぎれることなく音を続ける奏法です。
「早弾き」は、聞き手の心を浮き立たせる。あるいは踊らせることが主な目的でしょう。
そのような目的で演奏者が「早弾きを弾くぞ」という気持ちで演奏した曲はスピードにかかわらず早弾きなのだろうと思います。

最後に、
 では、「早弾きの曲」という表現は間違えているのか?
 早弾き向きの曲とか、早弾きでしか聞かない曲もあります。早弾きになって、名前が変わった曲もあるわけですから、たとえば「唐船どーいー」を早弾きの曲と言っても問題ないと思います。




GO MOUTH HERE MOUTH 最高の三線がほしい
 最高の三線。値段が高いと言う意味ではなくて、自分にとっての最高。自分の好みを最高に反映した三線という意味です。
 だったら自分で作ってしまうという強者もおられますが、ここでは、三味線店に注文することを考えます。どんなところにこだわって注文すればよいのでしょうか。
 皮の張り替えや三線のオーダーメードのときに考えるべきところを並べてみます。

1,音

 音を口で表すことは非常にむずかしい。

 「ハリのある、澄んだ音が好きなんです。あまり大きくなるより、芯がたった、よく通る音にしてください」

 たくさんの言葉を並べましたが、話し手と聞き手の感性が同じだという保証がないかぎり、言葉はむなしく響くだけでしょう。それならまだ、その三味線店に並んでいる三線の中から好きな音の出るものを選んで「こんな音にしてください」と言う方がいいでしょうね。あるいは、好きな音の三線を持って行って(そういう三線を借りることができればの話ですけど)こういう音が好きなんですと伝えるという方法がよいでしょうね。

2,胴
○皮
 音に関わる部分ですね。普通は強く張った方がよい音だとされます。強く張ると破れるリスクが高まります。三味線店だって、すぐに破れてはお客さんに申し訳ない。というわけで、手加減をして張るのですけれど、「手加減無用じゃ!思い切って張れい!!」とお願いしてもいいでしょう。リスクを覚悟で。
 三線の見かけ=棹の形。ですが、実は皮も広い面積を占めているだけあって、美しさにとっては重要なポイントです。「白っぽい方がいいなあ」とか「黄色いのがステキ」という好みがあれば、三味線店に相談すべきです。これも、口で言うより店内の三線を指さして「こんな色にして」とお願いする方がいいでしょうね。
○胴(木)
 特に重いのが好きとか、軽いのがほしいという場合以外は店主に任せることが多いでしょう。別のページで胴について詳しく書いていますので、そちらをご覧下さい。

3,棹
○材質
 棹をどんな木で作るか。これは値段で決まってしまいますので、好みよりも予算との相談ということになるでしょうか。
 黒木の棹といっても、キズの有無や質の善し悪しで値段が変わりますので、「質が落ちても、この値段で黒木がほしい」とか「カマゴンでいいから、一番よい部分を使って」とか、自分の考えを店主に話してみるとよいでしょう。

○型・形(参考→「三線の型とは」
 真壁与那城知念大工、平仲知念南風原久葉ぬ骨久場春殿
 以上が一般的に呼ばれている型の名前です。さらに細かく分ける分けることもありますが、型の種類については「三線の型とは」でお話ししましょう。
 型は見かけの違いですが、使い勝手という点では、型による重さの違いと太さの違いが気になるでしょうね。音も変わると言われますが、私にはわかりません。
 ここでは、同じ型でも、細部を注文することができるという話をしたいと思います。
 真壁を例にとります。(写真にした場合ひずみがでますので、実物とは多少違った形になっています)
 真壁は、細めの棹だということになっていますが、店によってその太さもさまざまです。購入予定の三味線店で、その店の真壁を見ましょう。それが、あなたの好みに合わなければ「これよりももう少し太い(細い)ほうがいい」という注文ができます。
 太さ、と一言で片づけていますが、たとえば太くしたいのなら、全体的に太くしたいのか、幅(正面から見たときの太さ)を広くしたいのか、奥行き(横から見たときの太さ)を太くとりたいのか、はっきりさせるべきでしょう。
 「三線には、定規やコンパスで描ける曲線はないんだよ」と言った店主がいました。すべての曲面は、作り手の頭の中にあり、作り手の手から生まれます。
 このカーブのしかた。もし好みがあればこのような部分も「もっと大きく曲がっている方がすき」などの注文も可能でしょう。ただ、全体のバランすというのが大切ですので、何もかも注文するというのはいかがなものかと。
同じ真壁ですが、チマグの曲面が違いますよね。左の方がこんもりとしています。
 黄色い矢印は、男弦の糸巻きに糸が巻かれている部分と棹との隙間です。普通、この部分は糸と棹が擦れそうになる部分です。
 ある三味線店の店主が、この三線の矢印部分について
 「もっと間を空けたほうがいい」
と言っていました。店主は、擦れることを心配するのと同時に、もっと空けた方がのびのびとして形がよいというのです。かといって、あまり広くとってしまうと、真壁でなくなってしまいそうです。
 形についての注文も、最高の三線作りには必要なことです。しかし、すべてを自分で指定できる人は少ないでしょう。結局、自分の好みに近い三味線店を探すというのが近道なのかもしれません。

○塗り
 オーダーメードで棹を作るのでしたら、塗りをする前に見せてもらうことをお勧めします。そこで気に入らなければ「そんなもの、いらん!」と断る。ことができるかどうかはともかく、塗ってしまったらおそらく二度と見られない部分ですので、是非見ておきましょう。
 さて、注文するときに塗りを指定できます。普通に黒く塗る場合でも、3段階くらいのランクがあります。高いものは塗りだけで3万円というのもありますが、たとえば10万円の三線に3万円の塗りというのは、バランスがわるいでしょうね。三味線店に任せておけば、適当な塗りをしてくれるはずですけれど、塗りの質にこだわるのでしたら、どのランクの塗りにしてほしいかを伝えるべきです。
 木の色を生かしたければ、スンチーと呼ばれる透明な塗りになります。
 もっと木を生かしたければ、塗らないということも可能です。この場合は、塗らなくても綺麗な木を使うので、値段が高くなるかもしれません。また、塗りの厚さ分、棹が細くなります。割れやすいという話も聞いたことがありますが、塗っていない三線を持つというのは贅沢な気分です。しばらく塗らずに使って、あとから塗りに出すことも可能ですよ。

4,その他
 糸巻きや手皮については、それぞれの項目をご覧下さい。目立つ部分ですし、ご自分の好きなものを選びましょう。