三線の型についてのお話です。








三線の型とは
 三線に型がある。
 三線の「型」とは、「棹の形」のことです。

 真壁、南風原、与那城・・・読みにくい地名を並べたみたいでしょう?これが型の名称です。
 「聞いたことはあるけれど、見たことがないし、よくわからない」
 という人が持っておられる三線は、たいてい「真壁型」でしょう。

 『沖縄の三線』(沖縄県教育委員会編集・1993年)には、戦前に作られたとされる三線の写真が612挺載せられています。それぞれの型の数を見ると、

真壁(まかび)341
与那城(ゆなー・ゆなぐしく)191
南風原(ふぇーばら・はえばる)30
知念大工(ちにんでーく・ちねんでーく)19
久葉ぬ骨(くばぬふに)13
平仲知念(ふぃらなかちにん・ひらなかちねん)10
久場春殿(くばしゅんでぃん・くばしゅんでん)8

 となっています。(型の呼び方は、共通語的に呼ばれたり、方言風に呼ばれたりします)
 これを見ても、真壁と与那城が、他の型より断然多いことがわかります。現在作られている三線も、多くは真壁型だと思ってよいでしょう。

 型=棹の形だと言いました。胴はどうなの?どの型でも大差ありません。大差ないけど、小差はあるの?あるらしいです。たとえば、三味線店で「真壁チーガ」とか「与那チーガ」とを区別する(チーガ=胴)場合があります。与那チーガの方が少し大きいとか、見た目は同じでも中の空洞が大きいとか、厚みが違うとか説明してくれます。
 ですが、「型」といえば、棹。と考えていただいていいでしょう。

 これらの型の名前というのはどこから来ているのでしょうか。
 「南風原型」を作ったのは、南風原という人だそうです。真壁もそう。型の名前は作者の名前で呼ばれることが多いようです。
 じゃあ、ぼくの三線は「○△三味線店」が作ったから、「○△型」ということ?
 違います。「○△三味線店」でも「□○三味線店」でも、真壁型の三線を作ったら真壁型です。「真壁型」と呼ばれる三線は「昔、真壁さんが作った三線の型を模したもの」ということになるのです。「模した」ということは、元があるはずです。前出の『沖縄の三線』には県指定文化財の三線が写真で紹介されていますが、たぶん、このような古い三線が元になっているのだろうと思います。

 新しい型を生み出す三味線店もあります。その三線が評価を受け、認められたら「○△型」という名前が定着するかもしれませんが、まだ他の三味線店が真似るほどの「新型」は出現していないようですね。それよりも、既存の型に磨きをかける方向が主流と言えるでしょう。

 もう一度、現在ある型のお話に戻ります。
 先に挙げました『沖縄の三線』で分類されている7つの型は、『琉球三味線寶鑑(池宮喜輝)』に書かれている分類の仕方と同じです。ですが、他に「江戸与那」「鴨口与那」「佐久川与那」という名前も見られます。いずれも「与那城」型の範疇に含まれるということになっています。
 「久場春殿」と「久葉ぬ骨」はいずれも「久場春殿」という三線工が作ったということになっているのにもかかわらず、別の型として独立させています。
 他に、南風原型には拝領南風原型と翁長親雲上型の名が、真壁型には宇根親雲上型の名が見られます。

 となると、どういう理由で8や9ではなく7つの型に絞っているのか、はっきりとした理由がわかりません。現代の三味線店が棹を作るときには、おそらく10以上型を区別して作っているはずです。ですが、ここは深く考えずに「一般的には7つの型」ということで無理矢理納得しておきましょう。

 三線について書かれた本を読みますと、型についての説明は、どれも同じような文章ばかりです。どうやら、どの本も『琉球三味線寶鑑(池宮喜輝)』をもとにしているか、あるいはその孫引きになっているようです。つまり、著者の目で見た型の違いを書いているのではなく、説明に使われている文章をそのまま載せているわけで、違いのわかる人が読めば理解できるのでしょうけれど、その型を知らない人が読んでも伝わってこない部分が多いように思います。

 そこで、三線を見たときに「これは○○型だ」と識別できるようにそれぞれの型の特徴を、私なりに解説していこうと思っています。「拝領南風原型」など細かな分類になると、私にもわかりませんので、ここでは大まかに7つの型について解説し、読んでくださったみなさんが三味線店に行ったとき
 「おお、与那城型ですか。これくらいの大きさが私は好きですよ。ふむ、いいですなあ」
 くらいが言えることを目標にします。




真壁型
真壁型
 丸みがあって、やさしい印象を受ける型です。上部の曲がり具合に、三味線店の特徴が出やすいと思います。
 棹は細めと言うことになっていますが、現在販売されている三線のほとんどが真壁だということを考えると、これを基準にして、与那城、知念大工、久場春殿は太い方。南風原、久場の骨を細い方とすべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 音については、私自身が型による違いを実感できていないのですけれど、一般的には真壁を含めて細い棹は音が細く、太い棹は音も太いとされています。
 三線の中でも「開鐘」と名付けられたものは名器だということになっています。基本的には、開鐘はすべて真壁型だそうです。
 『沖縄の三線』(沖縄県教育委員会編集)の受け売りで恐縮です。
 いくつかある「開鐘」と呼ばれる名器のなかでも五開鐘というのが名器中の名器とされていて「盛島開鐘」(県立博物館所蔵)はその中でも最高峰だそうです。
 1916年4月17日の琉球新報の記事には、五開鐘は、尚穆(ぼく)王の時代(尚穆王は1752年〜1794年)に選ばれたことになっています。ここで言う五開鐘は、盛島開鐘、西平開鐘、湧川開鐘、熱田開鐘、翁長開鐘とされていますが、山内盛彬(せいひん)氏の『琉球の音楽芸能史』では、盛島、城(ぐすく)、湧川、西平、アマダンジャの五つとしているそうで、五開鐘もはっきりと定まってはいないようです。
 真壁型のどこに特徴があるかを書くよりも、これを基準にして他の型の特徴を書く方が都合よいと思いますが、一応基本的なところを押さえておきます。(右の写真は、開鐘ではありません。うちの三線です)
 横からも、真壁の特長が見られます。ここでは、与那城と比較してみましょう。
 天の曲がり方が、真壁(左)では、中弦の糸巻きのあたりから曲がり始めている(黄色い矢印)のに対して、与那城(右)では、女弦の糸巻きより上まではまっすぐ(赤いライン)で、その先から曲がり始めて(黄色い矢印)います。
 真壁型が、全体的に丸い印象を受ける理由は、ここにもありそうです。
真壁 与那城



 真壁型も、作り手によっていろいろな形になります。一番目立つのは、左の写真の赤いラインではないでしょうか。とっても素直な丸いラインもあれば、なだらかだったり急な山になっていたりと、個性があります。ご自分の真壁は、どんな形ですか?

 黄色いラインも特徴が出ます。写真ではわかりにくいですが、真壁型では扇形に広がっているのが普通です。与那城型はあまり広がらず、細面の印象になります。
 同じ真壁でも、この広がり方の大小、またラインの湾曲のしかたに作者の個性がでるようです。
 ここで示した赤と黄色のラインは、棹の前面だけですが、同じように後ろ側のラインも注目したい部分です。
 チマグ。「鳩胸」と書かれた本が多いようです。この盛り上がり方も真壁の特長だと思います。写真の2つの三線は、どちらも真壁。南風原や久場ぬ骨ですと、この盛り上がりがほとんどありません。
 余談ですが、邦楽の三味線でいう「鳩胸」は、反対側(トゥーイ側=沖縄では「野坂」と書かれた本が多い)を指すようです。
 真壁か与那か迷うのや、真壁みたいだけど南風原っぽいなあと思うものに出会うかもしれません。そんなときの真壁型かどうかを判断する基準。
1,天の湾曲が中弦の糸巻きあたりから曲がっている。→女弦の糸巻きまでまっすぐだったら、与那城かも。
2,鳩胸の盛り上がりがはっきりしている。→盛り上がりがなければ、南風原か久場ぬ骨かも。
3,尾が正方形→長方形なら与那城でしょう。
 あまりにも見慣れた型ですので、特徴を捉えることがむずかしいのですけれど、よく見ると美しい型です。しかも、作る人によって、いろいろな表情を見せてくれます。開鐘と呼ばれる三線も、真壁ではありますが同じ形というわけではありません。一つ一つ個性があります。
 今度三味線店で真壁を見たら、「あ、真壁だ」だけではなく「この真壁、顔が少し細いけど、すっきりしていていいね」「ああ、チマグのラインがきれいだなあ」「天のたまい(曲がり)がちょうど良い感じ」なんて言えるかもしれません。






与那城型
与那城型(ゆなぐしく・ゆなー)
 最初に買う三線が真壁型なら、次は与那を買う人が多いのではないでしょうか。
 三味線店に行くと、安い三線はほぼ間違いなく真壁型です。与那の三線には、あまり安いものはないと思います。与那を求める人は、ある程度三線を弾いているでしょうから、質の方もある程度のレベルをクリアしているものでないといけないのでしょうね。

 『沖縄の三線(沖縄県教育委員会編集)』の説明を見ます。
真壁と同時代の人だといわれる、与那城の作と伝えられています。通常「ユナー(与那)型」と称しています。
棹は太めです。野面が糸倉の端まで一直線です。
天は糸倉の先から曲がり、範穴はやや下方に開けられています。糸倉は長く、鳩胸も大き目です。
この型は小与那型、江戸与那型、佐久川の与那型、鴨口与那型の四つに分かれます。江戸与那の心の側面には大小3つの穴が穿てあります。

 では、この説明をもとに形を見ていくことにします。
棹は太め
 棹の太さというのは、作り手の好みや使う人の好みがでやすいので、太めの真壁と細めの与那を比べると、与那の方が細いという可能性もあります。この太さを見るとき、真壁と比較した相対的太さというよりも、幅と厚みの関係を見る方が与那の特徴がよくわかります。
 幅=正面から見たときの太さ
 厚み=横から見たときの太さ
 これを比べると、厚みの方が明らかに大きいのが与那です。
棹の断面図(上がトゥーイ)
真壁            与那
 おおよその形ですが、このように与那の方は厚みがあります。

野面が糸倉の端まで一直線。天は糸倉の先から曲がる。
 真壁型が、中弦の糸巻きあたりから天の湾曲が始まっているのに対して、与那は女弦の糸巻きまでまっすぐです。→真壁型参照

範穴はやや下方に開けられている。
「下方」というのを、正面から見て下方と理解しやすいのですが、私が確かめたところでは、三線を寝かせて、横から見て(写真)下方。つまり、「背中側」に寄っているという意味のようです。
 なぜかという問いに、「後からトゥーイを直すときに都合がよいから」と答えてくれた三味線店がいくつかあります。つまり、トゥーイ側に厚みを持たせていることで、トゥーイを削り直しても余裕があるという意味です。(写真をクリックして拡大画像)

糸倉は長く、鳩胸も大きめ。
 糸倉とは、糸巻きに巻かれた糸が見える四角い窓のことです。写真は与那(左)と真壁の比較。与那の方が長く見えます。この長さも作り手によっていろいろです。また、真壁が、天の部分を広めにとってあるのに対して、与那は細長く見えます。
 鳩胸(チマグ)は、真壁に比べると大きめで、どっしりした印象です。(どちらの写真も、クリックして拡大画像)

小与那、江戸与那、佐久川の与那、鴨口与那
 小与那は、残念ながらまだ見ていません。文字通り小型にしたようなものだそうです。
 江戸与那は一番わかりやすいと思います。普通の与那よりも顔が長いこと、そして、芯に3つの穴があけられているのが特徴です。ただ、芯の穴は、胴をはずさなければ見られません。また、江戸与那は他の与那型よりも長めになっていて「糸倉長(いとくらながー)」とも呼ばれるようです。
 佐久川の与那。「佐久川与那」と書いて「さくのかわよな(さくぬかーゆなー)」と読む、と聞いています。『沖縄の三線』の表記に「佐久川の与那」と「の」が入っているのは誤植ではないかと思っています。
 私が見た佐久川与那の写しは、天の湾曲が比較的大き目でした。また、一説には「芯が八角形」とあります。これは、四角柱の芯の角を面取りして八角形にしてあるということらしいのですが、まだ確認していません。
 鴨口与那は、鳩胸(チマグ)を横から見たときのカーブが大きく、鴨の口のようになっていることから命名されたそうです。
江戸与那の顔。長いです。
左の写真は、まだ糸巻きの穴をあける前の江戸与那です。
芯の穴。江戸与那の最も特徴ある部分です。
佐久川与那と思われる三線。
芯が八角形になっているものもあるそうですが、この三線の芯は見ていません。話によると、「これは普通に四角い」のだそうです。
右が鴨口与那。普通の与那(左)との違いがわかります?鴨の口のように見えるかどうか。

 音について
 本来、与那の胴は真壁に比べてやや厚く、大きめの物を使うようです。この場合、音もどっしりとした太い音になるでしょう。しかし、真壁の胴を流用している場合もあり、「棹が与那だから、こういう音」といった、ハッキリとした説明は難しいようです。





知念大工、平仲知念型
知念大工と平仲知念
 知念大工(ちねんだいく・ちにんでーく)、平仲知念(ひらなかちねん・ふぃらなかちにん)と読みます。
 ごつごつとして、太くて、厳(いか)つい印象です。知念大工=厳ついというイメージが定着しているせいでしょうか、昔の知念大工よりも、最近の知念大工のほうが、さらに厳つくなっているみたいです。ある三味線店が、「本来の知念大工は、天の峰がそれほど目立たないものだった」と言いました。時代と共に、特徴が強調されてきているようです。

 『沖縄の三線』から「知念大工」の解説を見てみます。
1710年、三絃主取に任命された知念の作といわれています。
太棹です。
天の曲がりは大きく、中央にかすかに盛り上がった稜線があります。天面も広いです。
天と鳩胸は盛りあがっており、野坂は短く、野丸は丸味をおびています。野丸から鳩胸にかけて、中央には天面同様かすかに稜線があります。
 琉球王府には貝摺師(かいずりし)など漆関係の匠夫を管理した貝摺奉行(かいずりぶぎょう)があり、その管理した匠夫に「三線打(うち=作り)」があったそうです。三絃主取(ぬしどり)は、「三線打」を管理する役目にあたるようです。

 同書による「平仲知念」の解説も見てみましょう。
平仲の作といわれています。
棹は細めですが、鳩胸には丸味がありません。
天はわん曲が大きく、中央はやや盛りあがっていて、丸味をおびています。知念大工型系統のようです。
なお、この型の存在については、今後検討する必要があります。
 知念大工と同じような特徴がありますが、知念大工の特長をやや薄めたような印象です。棹も、知念大工よりは細いのだそうです。また、鳩胸(チマグ)の丸みがないと書かれていますが、たぶん隆起が小さいという意味でしょう。同書には、簡単な図面のようなものが掲載されていますが、鳩胸が知念大工よりも扁平に書かれていました。

 では、知念大工型の形を見ていきましょう。
天の曲がりが大きく、中央にかすかに盛り上がった稜線があり、天面も広い。
 与那が女弦の糸巻きの上から湾曲し始めるのに対して、知念大工は女弦のあたりから湾曲が始まっています。この部分だけを見ると真壁にも似ています。作り手によっては、女弦の糸巻きまで、真っ直ぐ(与那と同じ)になっているものもあります。
 屋根のようになった稜線が特徴的で、他の型と見間違えることはまずないでしょう。(写真をクリックすると拡大画像)

天と鳩胸は盛りあがっている。野坂は短く、野丸は丸味をおびている。野丸から鳩胸にかけて、中央には天面同様かすかな稜線。(写真をクリックすると拡大画像)
 天の盛り上がりとは、稜線のことでしょう。鳩胸は比較的大きく、どっしりとした印象です。ここにも稜線が見られます。
 野坂とはトゥーイの下端=トゥーイが胴と接するあたりで、坂になっている部分です。

平仲知念との比較
 二本ずつ並んでいるのは、いずれも右側が平仲知念です。
 天を見ると、どちらも湾曲が大きく、中央に稜線があり知念大工の特長を表しています。比較すると平仲知念の方が薄い=細いことがわかります。
 鳩胸にも稜線が見られます。やはり、右側の平仲知念の方がやや小いかなという程度で、大きな違いは感じられません。その上の棹の部分は、平仲知念の方がずいぶん細く見えます。
 写真の平仲知念を手に持ってみると、真壁と同じくらいの太さに感じました。 

 写真の「知念大工」と「平仲知念」は、同じ三味線店が製作したものですので、作り手が二つをはっきりと区別して作っています。その結果こうして並べたときに二つの型の違いがはっきりと出てきます。もし、「○○三味線店が作った大きめの平仲知念」と「△△三味線店が作った細めの知念大工」というのがあったとすると、両者の区別は難しくなるかもしれません。
 『沖縄の三線』に「この型の存在については、今後検討する必要があります。」と書かれているのは、平仲知念を知念大工とは別の型とするかどうかを検討する必要があるという意味でしょう。

音について
 胴は、知念大工用に、真壁よりも厚いものを使う場合があるようです。音もどっしりとした太い音になると思われます。

補足
 知念大工に限らず、現在作られている様々な型は、県指定文化財などを模しているわけですが、そこに作り手の個性が入り込みますので、同じ名前の型であっても、ずいぶん違って見える場合があります。平仲知念についても、他の三味線店ではもっと違った形になっているかもしれません。
 右の写真は、ある三味線店で見た知念大工風の三線です。
 拡大していただくとわかりますが、稜線が布をつまんだような形になっていて、特徴があります。芯には、作者の名前が書かれていました。きっと作者の気持ちがこもっているのでしょう。
 持ち主は、知念大工風を真壁型に直してもらうために、この三味線店に持ち込んだそうです。個性的な型を創作する人も少なくないようですが、結局飽きられてしまって、その多くは姿を消してしまうようです。





南風原型
南風原型
 「往昔の世、素、三絃有り。未だ何れの世にして始まるかを知らざるなり。近世に至り、南風原なる者あり。善く三絃を製す。・・・」
 『球陽』(沖縄の正史。年代順に記事が書かれているそうです)の1710年の記事だとか。私には読めませんので、上の文章は『沖縄の三線』からの孫引きです。
 この記事から、南風原型は三線の中でもっとも古い型であるというのが通説となっているようです。
 細く、やせた印象です。上部の曲がり方が浅く、のっぺりした顔です。久葉ぬ骨と共通する部分が多いようです。久葉ぬ骨の方が、天の湾曲が浅いと聞いたことがありますが、私にははっきりと区別できません。
 黒檀を使っても、比較的軽い三線に仕上がるはずですので立って演奏するのには好都合でしょう。

 『沖縄の三線』の説明を見ます。
棹は細めで、天の曲がりが少なく、野坂は大きく曲がり、野丸は半円形です。野丸と鳩胸の区別がほとんどできません。
この型は、拝領南風原型、翁長親雲上型の二つに分かれます。

 実物を見ながら、説明しましょう。
天の曲がりが少ない。
 見たとおりです。横から見たときの湾曲が小さく、まっすぐに近い感じがします。また、正面から見たときの、先端部分の曲面も小さいように感じます。
 このような曲がり具合は作者の個性が出ます。私個人としては、もう少し曲がっている方が南風原らしいと思うのですが。
 とにかく、作り手が「南風原です」と言えば南風原です。

棹は細め。野丸と鳩胸の区別がほとんどできない。
 いつも使っている三線が真壁の細めの棹だと、特に南風原が細いと感じないかも。ただ、鳩胸の部分に盛り上がりがないので、横から見たときには細い感じがするでしょう。
 写真左は、南風原(左)と真壁(右)の比較。真壁にははっきりと鳩胸(チマグ)が見られますが、南風原の方はなだらかになっていて、はっきりしません。
 写真右は、別の三味線店で見た南風原。やはり、なだらかになっています。 
 「南風原だ」と言っても天の部分が真壁に似ているものもあります。太さだってそれほど変わらない。迷ったときは、この鳩胸で判断しましょう。

 ここで、久葉ぬ骨型との違いを説明しておく必要があります。
 ある三味線店に、南風原型らしいものがあったので聞いてみました。「久葉ぬ骨との違いはどこですか?」店主は「大きさ」と答えてくれました。続けて店主は「それは南風原型だけど、久葉ぬ骨と言っても間違いじゃない」とも言いました。つまり、形という点ではほとんど違いがないというのがその店主の理解らしいのです。
 別の三味線店では、正面から見た上端部分が、ほとんど平らに見えるのが久葉ぬ骨で、南風原は丸味がある(丸味をつける)と言いました。
 さらに別の三味線店は、太さが違うと言います。
 『沖縄の三線』には、県指定文化財の南風原型、拝領南風原型、久葉ぬ骨型の写真(正面)があります。また、簡単な図面も描かれています。正確にはわかりませんが、上端の形状や横から見たときの天の湾曲などに違いを見ることはほとんどできません。両者の違いではっきりしているのは、やはり太さのようです。写真は右が南風原。左が久葉ぬ骨。クリックすると拡大画像が見られます。

 三線工・又吉真栄氏(故人)の「随想」という小さな本が手元にあります。そこに「南風原型は明澄な音が出るよう十分研究されている」と書かれています。氏の研究では、南風原型と久場春殿型は、高音域(勘所の〈九〉以上の音)も明澄な音が出るように、トゥーイが徐々に下がっているのだそうです。他の型では、高音が出せないという意味ではないのでしょうけれど、特にこの2つの型は、高音についても十分配慮されていると感じられたのでしょう。






久場春殿型
久場春殿型(くばしゅんでん、くばしゅんでぃん)

 この三線だけは、見分けがつかないはずがないというくらい個性的です。
 『三線の話』(宜保榮治郎・ひるぎ社)におもしろい話が載っていました。著者は、久場春殿を「よく鳴る」と評価しているのですが、先輩から「久場春殿を弾くな。あれを弾くと、弾いている人までブックェー(無粋)になって見えるので」と言われたそうです。無粋と見るか、個性的と見るか、人それぞれでしょう。
 もう一つの話。遊郭では久場春殿が武器(棒)の代わりになったそうだ。とあります。私がある三味線店で聞いた話は違っていました。男性が、毎夜三線を勉強して家に戻るとき、不良にからまれます。肩をぶつけられたり、腕をぶつけられたりするのを、持っていた三線で受けて棹を折ってしまった。そこで、太い棹にして、芯も折れないように特別太くした(段を作った)。そのおかげで、三線が折れる心配はなくなった。
 どちらもおもしろい話ではあります。

 では、『沖縄の三線』の解説を見ながら説明しましょう。
久場春殿の作といわれています。
南風原型の系統です。
沖縄の三線のなかでも、もっとも太目の棹です。
天の曲がりは小さく、薄手です。
棹は上部から下方へ次第に太くなり、野丸と鳩胸の区別がほとんど出来ません。
心のつけ根には、階段(一段)がほどこされています。

形を見ていきましょう。
南風原型の系統です。
野丸と鳩胸の区別がほとんど出来ません。
 つまり、真壁、与那、知念大工は、鳩胸が明瞭ですけれど、この久場春殿は南風原、久葉ぬ骨と同様、鳩胸がはっきりしないというわけです。南風原型の系統だという説明も、おそらくこの鳩胸がはっきりしないという特徴からでしょう。
 作者が久場春殿ということになっていますが、同じ久場春殿が作った久葉ぬ骨型の「久葉」は「ビロウ」のことだという説明になっています。(写真は、真壁と久場春殿。クリックして拡大画像)

もっとも太目の棹です。
 他の型でも、正面からみると、トゥーイの幅が下へ行くほど広くなっているわけですが、ほんのわずかです。チマグのあたりではっきりと広がるという程度でしょう。
 ところが、久場春殿の場合は、下へいくほど明らかに広がっています。これは、横から見たときにもいえるわけで、ちょうど「東京タワー」のようになっている。と書くと大げさでしょうか。

天の曲がりは小さく、薄手です。
 南風原や久葉ぬ骨でも天の曲がりが小さいとされていますが、『沖縄の三線』の写真と図面を見ると、曲がり方が小さく、横から見て直線に近いのは、この久場春殿です。
久葉ぬ骨も、天の曲がりの極端に小さいもの=直線に近いものがありますけれど、これは久場春殿型に近づけてしまっているのではないかと思われます。本来の久葉ぬ骨型は、久場春殿に比べると、曲がり方がはっきりしています。(写真は久場春殿。クリックして拡大画像)

心のつけ根には、階段(一段)がほどこされています。
 階段がある。というのは、一段細くなっているのではなく、一段太くしてあるという印象です。このことで、折れにくくなっている。つまり、折れないための工夫だと説明する人がいました。
 この階段のすぐ下のあたりに、正面から見ると三角形の穴をあけてあるのが本来の形だという話も聞きます。なんのための穴なのか?不思議な型ですね。(写真をクリックして拡大画像)

 どんな音がするのか、試す機会に恵まれていません。
 いろんな型をコレクションしたい人には、一つほしい型でしょうね。






久葉ぬ骨型
久葉ぬ骨型(くばぬふにー)
 「久葉の骨」と書こうか「久葉ぬ骨」と書こうか、迷いました。「ぬ」にしました。
 一番細い型です。とにかくとっても細ければ久葉ぬ骨と言ってもよいでしょう。
『沖縄の三線』から、説明です。
久場春殿の作といわれています。
棹がもっとも細く、久場春殿型とは対照的です。南風原型をひと回り小さくしたような感じです。
野丸と鳩胸の区別がほとんどできません。
横から見ると、クバ(ビロウ)の葉柄に似ているところから、この名がつきました。
 同書にある写真と簡単な図面を見ると、久葉ぬ骨型と南風原型は太さの違いを除けば、形としてはそっくりなのです。ところが、私が見た久葉ぬ骨は、天の湾曲がもっと小さい。ほとんどまっすぐに近いようなものだったと思うのです。
 県指定の文化財となっている久葉ぬ骨と、現在三味線店が製作している久葉ぬ骨とは、趣が違っていると思った方がよさそうです。これは、南風原との差別化を図っていることと、「久場春殿の作」という話、あるいは「久葉ぬ骨」という名称から、久場春殿型により近づいている(太さは対極にありながら、天の形が似てきている)ためなのかもしれません。

形を見ていきましょう。

棹がもっとも細く、久場春殿型とは対照的。
 細いと言われている南風原型を、さらに細くしたような形です。南風原型の場合は、真壁と見間違えるときがありますが、久葉ぬ骨の場合はあきらかに細いと感じることができるでしょう。
 特に、正面から見たときの細さは、南風原よりも際だっていると思います。

野丸と鳩胸の区別がほとんどできません。
 この点は、南風原型や久場春殿型と同じです。違いは、やはり太さということになります。
 右の写真は、久葉ぬ骨と南風原(右)です。南風原の方が、やや大きく見えます。

横から見ると、クバの葉柄に似ている。
 クバの葉柄を使っておもちゃの三線を作るという話を聞いたことがあります。それはともかく、クバの葉柄に似ているかどうかは、見る人におまかせしましょう。

 とにかく、軽い三線になります。立って演奏するには好都合でしょう。