その他のお話です。









手皮

 なんといっても、最近(2003年春)流行りの手皮は、ミンサー織りでしょう。竹富島に「なゆちゃるむん」という歌がって、その中で「五四(いちゆ)ぬミンサーなゆちゃるむん」という歌詞があります。ミンサーは帯にするのが普通で、女性から男性へ、愛を込めて送られるということになっているんです。

 今から10年ほど前には、ミンサーの手皮は販売されていませんでした。なのに、友人が持っていました。彼女が、ミンサー帯を手皮にしてくれたんだそうです。ミンサー帯の幅は、手皮には少し狭かったようですが、彼女の愛の深さは十分に届いたことでしょう。もらえない人は、自分で買って取り替えましょう。

 手皮の値段は、普通1000円くらいからでしょうね。龍の刺繍が入ったものなどは2000円くらい。ミンサーなどの織物はもっと値段が高くなります。

いろいろな手皮。上段右はミンサーの手皮。色も選べます。
上段左と真ん中は古い手皮で市販のものではありません。現在市販されている手皮(下段)の紋は、琉球王朝尚氏のもので、同様の紋が博物館に展示されている尚家の「ゆしびん(お祝いのときに、酒を入れて送る焼き物の容器。送り主の家紋が入れられていた)」にも見られます。




手皮の模様
「この、火の玉が3つ追いかけっこをしているような模様は、何?」
と尋ねられたことがあります。あなたなら、なんと答えますか?
「それは、やっぱり、火の玉3つが追いかけっこをしているところじゃないでしょうかねえ」
笑ってもらえるといいですけど。
あなたの三線の手皮は、どんな模様ですか?

三線を買うときに、一番気になったのがこの手皮じゃないでしょうか。ミンサー織りが人気ですね。ちょっと値段がはりますけど。
先に書きました「火の玉」模様のほかに、「守礼門」や「花笠」が刺繍されたのもきれいです。三味線店には目移りしてしまうほどたくさんの種類が並んでいますよね。
考えてみると、ミンサーをはじめとした沖縄らしい図柄というのは、最近になってやっと出てきたんですよね。20年前には、ほとんど全部が「火の玉」で、せいぜい色で選ぶしかなかったはずです。
この火の玉が流れたような形は「巴(ともえ)」と呼ばれますね。もともと、水を意味するとか、曲玉だとか、いろいろ言われているらしいのですが、はっきりしません。
 その巴が3つ並んだ模様は、王家の紋章だそうです。家紋に近い物なのですね。沖縄では、「左御紋(ひだりごもん=ひじゃいぐむん)」と呼びます。が、私の目には、「右回り」に見えてしまいます。

 デパートで開催されていた「沖縄展」で、尚氏の「ゆし瓶(お酒を入れて、御祝いのある家へ届けるための大きな徳利のようなもの)」を見ました。これに「左御紋」の紋がありました。これを届けられた家は、きっと恭しく受け取ったのでしょうね。説明には「中が空になったら、元の家に返した」とありました。
 

ある三味線店の店主がこう言いました。
「今は、だれでもこの模様のついた手皮を使っているけれど、もともとは、王様とその一族が使うものだったらしい。だから、他の人は他の模様をつけていたそうだよ」
と言って見せてくれた古い手皮は「○の中に一」というあっさりした模様でした。しかも、お手製なのだそうです。今のように大量生産される前の時代は、手皮も個人で作ったのでしょうね。

 古い手皮で思い出しました。戦前の写真には、今のような、胴をほぼ一周する手皮ではなくて、正面から見て左側だけ、つまり、構えたときに右腕の当たる所だけをカバーする手皮が見られます。
 邦楽の三味線を見ますと、三線の手皮にあたるものが「手掛け」と呼ばれるものになります。これは、三味線の胴の上部(真っ直ぐに立てて正面から見ると左側)にかぶせるようにします。沖縄の三線に比べると、邦楽の三味線の胴は角張っていて、手掛けを取り付けても安定して好都合でしょう。逆に三線の場合は胴が丸いために、手掛けのようなものをかぶせてもずれやすいのではないでしょうか。そのために、紐で留める形の手皮になった。さらに、長い帯状にして、棹の尾の部分を突き刺すような形にすれば、ずれにくいし取り付けやすい。そうして今の形になったのだろうと勝手な想像をしています。

2003,9






カンカラ三線


 カンカラ三線

 この言葉に特別な意味を感じる人がいます。

「鉄の暴風と言われた沖縄戦。米軍占領下、食うや食わずの捕虜収容所でも、沖縄の人々は音楽を忘れなかった・・・黒木蛇皮張りの三線など、とても望めない状況の中で、彼らは廃材を使い、空き缶を使い、使えるものはすべて使って三線を作り出した。これがカンカラ三線である。」

 平和教育に活用しておられる先生もいらっしゃるくらいですから、決してまちがってはいません。まちがってはいませんけれど、沖縄の人、特に、年配の方たちは「カンカラ三線」という言葉と戦争を結びつけることは少ないと思います。戦前から「カンカラ三線」は存在しましたし、「おもちゃの三線」というイメージを持っておられるのではないでしょうか。

 だからといって、カンカラ三線やカンカラ三線愛好者をばかにしているわけではありません。歴史的な意味を軽んずるつもりはありませんし、おもちゃという意味でも大切な沖縄文化なのです。

 今、沖縄の小中学校では、カンカラ三線を作って楽しみ、演奏して二度楽しむという学習も行われているそうです。実際に自分の手で作るというのは、本物の三線を理解するのにも大変役立ちますし・・・・という講釈はこれくらいにしておきますか。

 近頃(2003年)の三味線店では、カンカラ三線も一つのジャンルあるいは「型」とでもいいましょうか、三線といっしょに並べられるようになりました。観光地では、観光客のみなさんに喜んでいただけるようにと、「カンカラ三線作り」体験コースもありますね。作ったカンカラ三線で、演奏の手ほどきも受けられる所もあるようです。二度オイシイ。
 また、カンカラ三線そのものにも工夫がさていて、カラフルなカン。しっかりした棹、糸掛けや弦は普通の三線のものを使い、一つの楽器として問題ないものに仕上がっています。いやあ、カンカラ三線もあなどれませんなあ。

 とはいえ、やはり三線とは別物と考えてください。その理由を次に書きます。

 カンカラ三線で練習

 三線を買うお金がないし、お金が貯まるまでカンカラ三線で練習しておこうっと。
 練習熱心ですね。その姿勢に拍手。が、できれば、最初から三線で練習していただきたい。理由は簡単です。勘所が違うからです。
 勘所=左手で押さえるところ。これで、音の高さが決まります。カンカラ三線は、三線よりも小ぶりのものや、左手の定位置が違っているものが多いようです。ですから、カンカラ三線で覚えた勘所をそのまま三線に使うことができないのです。


 歌口からウマまでの距離が同じなら、勘所の距離(歌口から勘所までの距離)は同じになります。でも、写真の矢印で示した距離(=歌口から左手の定位置まで)が少しでも違うと、勘所が違ったように感じて弾きにくいものです。
 カンカラ三線と普通の三線を比較すると、全長も、この矢印の距離も違っている場合が多いので、注意が必要です。(写真のカンカラ三線は、普通の三線と同じサイズに作られていました。これならOKかも)
 今、カンカラ三線で練習している人。これまでの練習が無駄になるわけではありません。左手で押さえた弦を右手で弾くという感覚。工工四の読み方や指の使い方。技術も知識も三線を手に入れたとき、きっと役に立ちます。
 そのときには、本物の三線の音に、酔いしれてください。





三線の値段
 三線の値段は、不思議です。

 最低価格は2万円程度。私が三味線店で見たものの中で、一番高いのは「110万円」でした。もっと高いのもあるかもしれませんね。

 「目方を量って100万円になる三味線は無い」という言葉を聞きました。(これは、格言でもなんでもない、ただの会話の中の言葉ですので、お間違いなく)
 どんな高い材料を使っても、100万円の値段はつけられないという意味でしょう。でも、実際110万円という三線を見ましたし、「これは100万円以上する」と胸を張って三線を見せてくれた人もいます。

 最も安い三線を見てみましょう。

棹=素材は何かわかりません。木であることは確かです。
塗り=吹きつけ塗装というのでしょうか。本物の漆塗りとは違うようです。
糸巻き=一番安いものでしょう。
胴=皮は人工のものが一番安いようです。

 高級品はどうでしょう。

棹=黒檀。緻密でキズがないもの
塗り=ロー上げと呼ばれる、本物の漆を重ね塗りしたもの。塗りだけで3万円とか。
糸巻き=1本数万円というのもありますが・・・
胴=蛇皮。三味線店が厳選したもの。


 これが、100万円の三線?
 いいえ。ここに書いた「高級品」の条件をすべてクリアしたものでも、30万円から50万円までで買えると思います。

 ちょっと100万円から横道へそれます。

 一番安い三線と、高級品とでは、音に違いが出るのは当然でしょう。ですが、値段が高くなればなるほど音がよいか、というと、これは違います。
 三線の値段の違いは、音の違いで決まるのではなく、材質の違いで決まります。その違いは、必ずしも音に反映されるとは限りません。
 音を決定するのは、棹と胴でしょう。しかも、胴の方が影響力が大です。しかし、値段は、棹の方が影響力が大きい。
 たとえば真っ黒な「カミゲン」と呼ばれるような木で、キズ一つない美しい棹なら、30万円くらいの値段がついているかもしれません。同じ木でも、少しシラタが入っていると20万円。同じ黒檀の種類でも、「シマコク」と呼ばれる「縞黒檀」なら15万。でも、値段の順で音が良いのか、というと、それは違うはずです。「いいや、確かに値段の順で音がよかった」としたら、それは皮の張り具合が違ったのかもしれません。棹で音が変わらないとは言いません(柔らかい木で作った三線は、やはり、その、なんとなくですけど、ぼんやりとした音になると思います)が、ここに挙げた「シラタが少し入っている」とか「シマコクだ」などの違いですと、音の違いは判断が難しいと思います。
 胴は、両面に皮を張った状態で3万円出せば高級品です。棹は、それこそ100万円というのもあるわけです。2万円の三線に3万円の胴をつけるはずはありませんが、20万円と30万円なら、どちらも最高レベルの胴になるはず。あとは、張り加減の問題でしょう。
 では、なぜ値段の高い棹があるのか。
 シラタが入っていても、いなくても、よい三線はよい。なのに、シラタが入るとやすくなる。これは、一つは「工芸品」としての価値でしょうね。音の問題ではなく、「こういう三線が美しいのだ」という作り手と買い手の価値観です。キズについてもそうです。実際は、棹に塗りを施すことで、キズの有無はほとんどわからないのですけれど、「これはキズがない」という作り手の価値観=工芸品としての価値に値段がついていると考えるべきなのでしょう。
 ただし、この理屈が通るのも、50万円までだと思ってください。

 また100万円の話です。
 100万円の三線は、どこが違うのか?

 人間国宝が作った三線だから、値段が高い。ということでもないようです。今(2003年)のところ、三線工で人間国宝になった人はいないと思います。作り手によって値段が変わるということはありますけれど、私が知る限り一番有名な三線工が作った三線でも、10万円(棹はカマゴン)のがあるそうです。

 歴史的に貴重な品。博物館に入るような三線。
 これは、値段が高くなりそうです。けれど、このような品物は、三味線店に並べて値段がつけられているものではないですよね。ですから、今考えている「三線の値段」からは除外しましょう。

 結局、100万円は、八重山黒木だからということになるでしょう。八重山黒木じゃないのに、それだけの値段をつけることはないと思います。これが結論です。

 ただし、これから三線を購入するつもりでしたら、「100万円だから、八重山黒木だ」と簡単に信じてはいけないと思います。確実に見分ける方法はありませんし、確実に見分けられる人はいないでしょう。まあ、売り手はお客さんをだますつもりではなく、八重山黒木だと信じているのでしょうが。

 八重山黒木はすばらしい。これはもう、ほとんど「信仰」に近い。八重山黒木だからよい三線だと信じ込んでいる人が多いので、八重山黒木の原木があっても人にゆずらない。譲るときには、とんでもない価格をつける。それでも買う人がいる。だから値段がつりあがる。そのあたりの話は、別にお話をすすめるとしましょう

 値段の話をまとめましょう。

(1)値段の違いは、まず、素材です。
 黒檀でも「カマゴン」は比較的安く(5万円程度から)、次が「シマコク(縞黒檀)」(安いもので7,8万円)ただし、カマゴンとシマコクを区別していない店もあるので「シマコク」と言われても、カマゴンである場合もあります。注意が必要です。
 フィリピンクルチなどと呼ばれる真っ黒な黒檀は、10万円くらいから。

(2) どの木についても、心材は高い。同じ心材でも、キズのないもの、緻密なもの、美しいものは高い。ただし、シラタの入らない心材でも、細い木で作った棹で、「シンクマヤー」と呼ばれるものは値段が下がるようです。木目も大切なようで、まっすぐ通っているものがよく、斜めになったり波打ったりしているのはよくないそうです。ですから、同じお店の三線で同じ素材を使っているのに値段の違いがあるとしたら、キズや木目などの違いだと思ってよいでしょう。同じ種類の木でも上下で2〜3倍くらいの値段の差があるでしょう。

(3)八重山黒木は特別高い。
 先ほど書きました「100万円」というのは、(三味線店が信じているという意味で)太い八重山黒木で、キズがなく、木目もきれいで、しかも長い間寝かせた最高級品。ということになるのでしょう。八重山黒木だったら、なんでも100万円ということはありませんので念のため。

 最後にもう一つ。
 ここに書いた値段は、2003年の私の意見です。値段は三味線店が決めるものですので、私とは違う意見の店もあるでしょうし、もっと安くてよいものや、もっと高くて・・・なものもあるかもしれません。ちなみに、私は15万円の八重山黒木の棹を見たことがあります。どこか聞きたいですか?だめですよ、八重山黒木信仰は。

 追記
 200万円という値段を聞きました。ある三味線店が、精魂込めて作った三線で、八重山黒木ではないそうです。これは、材料の値段ということではなく、それだけの技術と時間と労力をつぎ込んだ結果らしいです。美術品として、それだけの価値があるということでしょう。普及価格のものも売っていました。その三味線店、他の店からも技術的に評価されているようです。(2003,6)





三線の寿命
 「いくらくらいの三線を買えばよいのでしょうか」

 よくある質問です。
 いくら=値段のことですけれど、この質問をする人の頭の中では、たいてい2つのどちらか、あるいは両方が次の質問として用意されています。

 1つは、「安いと、音が悪いのですか?」
 もう一つは、「安いと、すぐに壊れるの?」

 音の問題は、別の記事をご覧いただくとしましょう。
 さて、ここで問題にしたいのは、「すぐに壊れるのか」の方です。つまり、三線の寿命について。

○各部の寿命
 弦は切れます。切れなくても、勘所のあたりだとか、爪のあたる部分だとかがささくれだってきます。そうなってくると、そろそろ交換ということになります。弦の寿命です。
 ウマは、壊れるまで使えますね。でも、ときどき壊れます。壊れる前になくなることもあります。寿命という言葉は当てはまらないかもしれません。
 糸巻きは、折れたら交換。って、当たり前ですね。長く使っていると、すり減って交換。ということもあるかもしれませんが、私はまだ経験していません。よっぽどのヘビーユーザーでも、なかなかそこまでいかないでしょうね。いつか寿命が尽きるまで使ってみたいものです。それよりも、

一本折れたから、交換しようと思ったんだけど、同じ糸巻きが見つからなくて、結局3本とも交換。お金がかかっちゃったよー」

 という話の方が多いかもしれません。
 蛇皮は、寿命があると言えるでしょう。破れたら寿命がきたと考えます。または、極端にゆるく(弱く)なってきたと感じたら、変え時でしょう。

弦が切れたりウマや糸巻きが折れたり、蛇皮が破れるのもわかる。けど、手皮に寿命があるの?」

 と疑問に思われましたか?あれも使っている間にすり切れてきますよ。それに、夏場に汗を吸い込んで、けっこうニオイが・・・・まあ、どのあたりまで使い込んで取り換えるかはその人次第ですけれど。

 これらは、消耗品と考えるべきでしょうから、寿命が何ヶ月とか何年というよりも、使えなくなるまで、あるいは使いにくくなるまで、もしくは飽きるまで。とにかく、使える間は使えばよいでしょうね。

 胴は?皮を張り替えることで何年でも使えそうです。ですが、皮を張る力が常にかかっているわけです。棹に比べると、それほど硬い材質ではありませんし、だんだん痛んでくると考えるべきでしょう。ただ、それ自体が高価なものではないですし、みなさんご存じのように、三線は棹を重視しますので、胴の寿命を三線の寿命と考える人はいないでしょう。頻繁に張り替えるとか、何か事故がおきたりしなければ、一生使えると思います。

○三線の寿命
 三線本体の寿命、それは棹の寿命ということになります。
 三線を使っていると、棹の塗りに傷がついてきます。どんどん使っているうちに、勘所のあたりに細かな傷が付くために、艶がなくなっていきます。それでも、音に影響がなければ使い続けられます。もっと使い込んで、塗りが弦の形にえぐれたようになることもあります。こうなると、音に影響が出るでしょう。じゃあ、棹の寿命はここまでか?いいえ。普通は塗りが傷ついているだけで棹そのものは問題ないはずですので、塗り替えることで「新品同様」になります。
 塗りに寿命があることはわかりました。では、棹そのものには寿命がないのでしょうか?
 「棹は、古い物ほどよい。乾燥しているから」

 何十年とか百年以上もたった古い家の仏壇や床柱として使われていた木は、古い木ですので棹にすると良いと言われます。
 山から切り出した木は、すぐに使うのではなくて、乾燥させてから使うというのはよく聞く話です。ただ、どれぐらい乾燥させればよいのか、長ければ長いほどよいのかというと、疑問があります。

 材木店の話です。
 木材は、呼吸する。

 伐採したばかりの木は、水分が多い。そりゃそうです。生きていたのですから。乾燥する課程で収縮します。変形するのです。だから、材木として使う前に乾燥させて、完成した後で(使っているときに)変形するのを防ぐのです。
 ある程度乾燥すると、それ以上は乾燥できません。湿度が高くなると、逆に湿気を吸います。空気が乾燥すると、湿気を吐き出します。これが呼吸です。
 この呼吸程度の湿度の変化では、木材はほとんど変形しないようです。ただ、水がかかるとか、気温や湿度が極端に変化するとか、直射日光にさらされるといった厳しい環境の下では変形がおこりやすくなります。
 また、木材の種類によっても変形のしやすさがちがいます。同じ木材でも、その部位によっても変わります。

 木造家屋は、数百年もちこたえると言われています。
 三線の棹に使われる黒檀は、変形しにくい材です。心材であれば、なおさらです。この意味で、棹の寿命は長い。といえます。たぶん、家よりも長持ちするでしょう。それでも、運悪く(あるいは、保存状態が悪く)大きく変形してしまった場合は、そこで寿命が尽きたと考えるべきかもしれません。まあ、少々変形したとしても、修理する方法がありますけれど。
 この、変形してしまったときに寿命がきたという考えをもつのであれば、やはり、高価な三線=黒檀など硬い木を使った三線で、丁寧に作られたものの方が長持ちする可能性が高いと言えるでしょう。でも、これは可能性という範囲であって、10万円と20万円では、必ず20万円が長持ちするということではありません。

 さて、音はどうなんでしょうか。

 古い棹ほど、音が良い。と言う人がいます。古い三線の音には情けがある。という話も聞きました。
 お寺の釣り鐘=梵鐘(ぼんしょう)と書くのですね。できたばかりの梵鐘と、長く使われている梵鐘では、音が違うそうです。
 年を経るほど、音に丸みが出て美しい音になる。人間と同じだね。
 と言いたいのですけど、梵鐘は古くなりすぎると、音が落ちてくるようです。この話はテレビ番組で見たのですけど、その番組の中で、説明に使われていた梵鐘の音を思い出してみると、
 新しい物は、堅い感じ。
 そこそこの古さの物は、イメージ通りの「梵鐘の音」
 古くなり過ぎた物は、ひび割れたような音を感じました。

 梵鐘は、音を出すためにたたかれ、振動します。あまり長くたたかれると痛むということですかね。人間もそうかもしれない。
 三線も梵鐘と同じように音を出すものです。あまり古くなると音が悪くなるかもしれません。でも、今までに、三線の音を聞いて「この棹は、古すぎる。もう寿命だね」と言う人には会っていませんし、そういう話も聞きません。音が悪くなったとしたら、それは皮の問題と考えられるのが普通です。

 ということで、音の点では、棹の寿命は考えないでよいと思います。
 仮に、棹が古くなりすぎると音が劣化するとして、あなたの手元に古くなりすぎた棹があったなら、音以上の「骨董価値」がついているとも言えそうですね。


2003,10







棹と胴の組み合わせ
 三味線店に行って、
 「よい音の鳴る三線を売ってください!」
 と言ったことがありますか?

 言われた店主は、どのように答えるでしょうね。

@「うちのは、どれもよい音だよ」
A「よい音と言われても、好みの問題があるからねえ」
B「あるけれど、高いよー」

 一度、試してみてください。

 ある人が、三線を購入。とてもよい音でした。店主に「とても良い音で、気に入っています」と言いますと、店主は「棹と胴のバランスがうまくいったんだ」と答えたとか。
 良い棹が良い音を作る。しっかりと張られた胴がよい音を作る。どちらも正しいと思いますが、良い棹と良い胴をくっつけたからといって、必ずしも良い音になるとは限らないらしいのです。バランスが大切らしいのです。

 旅の記録にも書いていますが、ある三味線店でこんな話がありました。
 「人工皮は、安い棹の救世主」
 これがつまり、バランスだと思うのです。

◎安い棹には人工皮が良い

 安い棹=おおよそ、柔らかい木だと考えて良いでしょう。柔らかい棹には、人工皮がよいらしい。
 柔らかい棹は、音がぼやけてしまうようです。そこへ、人工皮の胴をつけると、人工皮の固い音が棹のぼやけた音を救済してくれる。結果「適当な音」に仕上がるというのです。
 2万円程度の人工皮の三線を弾くと、音が大きいし、明瞭だし、音については文句なし。と感じることがあります。こういう場合が「バランスの良い状態」なのでしょうね。

◎黒木に人工皮は最悪

 黒木は堅い。音が硬くなりやすい。そこへ人工皮の胴をつけると、頭が痛くなるような、尖った音になる場合があります。
 人工皮が出始めた頃は、蛇皮よりも値段が高かったと記憶しています。人工皮のメリット=破れない=を活かし、蛇皮ならとても長持ちしそうにないくらい、目一杯強く張っていたようです。そのうち、強く張りすぎた人工皮を、お客さんが好まないということがわかってきたのでしょう。張りの強さを加減するようになりました。
 強く張らなければ、硬い音にならない。だったら、黒木には「弱く張った人工皮」で良いのではないか。そう考えられますよね。でも、ある三味線店は「人工皮は、弱く張っても金属的な音が残る」と言っていました。そうかもしれません。人工皮の音は、張りの強さに関わらず、硬さを感じさせるのかもしれません。あ、もちろん、強くはればその硬さが増幅されることは間違いないです。

◎二重張りは未知数

 二重張りの目的は二つです。
 1,見た目が蛇皮であること
 2,破れないこと
 つまりは、「破れない蛇皮」ということです。
 人工皮の上から蛇皮を貼り付けるというのが、二重張りの一般的な考え方です。振動する皮が二重になっているので、うまく振動できない。結果として、音がこもる。と評価する人が多いようです。頭の中で想像しますと、そんな気もしてきます。三味線店は、音はともかく、見た目が蛇皮で、半永久的に破れませんというのをウリにしていました。
 しかし、二重張りを販売する三味線店の考え方も変わってきているようです。私が今まで聞いたことのある二重張りの三線の中には、人工皮に比べても遜色のないほど明瞭な音のものもありました。私の想像ですが、表面に貼る蛇皮を、薄い皮にして(あるいは薄く削った皮にして)二重になることで生じる悪影響を極力抑える努力をしているからではないかと思っています。二重張りは、二重であることのハンディを克服しつつあるのか、あるいは克服できたのかもしれません。

 二重張りは、基本的には人工皮を強く張っているわけですから、音の傾向は人工皮と同様に考えられます。だとすれば、安い棹の方が合いそうです。私は、いまのところこの考えに賛成です。
 ところが、これに異議を唱える三味線店もあります。
 先の、「二重張りの目的」に、もう一つ、「人工皮の音をやわらかくする」という項目を含める人がいるのです。その人に言わせれば、二重張りの音は、人工皮を越えることができるというわけです。
 二重張りは進化しているのかもしれません。

 《破れない蛇皮》→《人工皮一枚の音に近い二重張り》→《人工皮を凌ぐ音》

 黒木の棹に人工皮は、最悪です。音が硬すぎます。でも、二重張りにすることで、人工皮の音をやわらかくできるのであれば、黒木の棹に二重張りという選択は間違っていないのかもしれません。
 二重張りは、蛇皮一枚のものよりも低く見られがちです。そのために、高価な棹に二重張りの胴という組み合わせは少ないようです。今後、三味線店の努力によっては、蛇皮一枚よりも二重張りが良いと思わせるような三線が登場ずる可能性も否定できない。と書くのは、夢の見過ぎでしょうか。

2005,3






三線の見方
 正義の味方の「味方」ではなくて、「見方」です。

 このタイトルを見て、喜び勇んでクリックした方には申し訳ないのですが、たいしたことは書けません。私よりも三線の見方をよくご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、私の見方ということで、一通り書いてみます。

(注意1) この写真の三線が「完璧な美しさの三線」というわけではありません。実際にいろいろな三線を見て、美しいと思える三線を見つけてください。
(注意2) 写真は実物通りに写ることはありえません。立体が平面にされているわけですし、レンズによって歪みが出るものです。この写真で「見る目を養おう」と思ってはいけません。


【私の見方】
 私は、三線を見つけると、まず正面から全体を眺めます。あとは、上から、顔の形や糸巻きの角度を見て、野坂などと呼ばれる「胴とのつなぎ目」まで目を移動させます。そして、チマグのあたりを横から見て、そのまま再び上へ。横顔の曲線も見逃せません。裏返してからもう一度チマグのあたり。糸倉も裏側から見ると仕事の丁寧さがわかるように思います。
全体の印象を見ます。
第一印象は大切だと思います。「なんだか気に入らない」と感じる三線は、じっくり見ていくと、どこかに難がある場合が多いと思います。逆に、なんとなく惹かれる三線は、少しくらい左右のバランスが悪くても、許せてしまいます。
正面から見ると、糸巻きの角度がよくわかります。顔全体のバランスも大切でしょう。 横からは、天の角度。これは与那城ですので、角度が急になっています。 この部分も、左右のバランスを見ます。また、つなぎ目に大きな隙間があると気になります。
チマグの形は、三線工の腕と美観が現れやすい部分だと思います。横から見たときには、綺麗な曲面かどうか、 この角度の場合は、接地面の形を見るとよいでしょう。 三線を裏から見る人は少ないですけれど、良い三線は後ろ姿も美しい。と私は思っています。
 トゥーイの歪みを見るために、棹の下から(左の写真)と、上から(右)も見ます。
 蛍光灯の明かりの映り具合で表面の塗りの具合も見ることができます。
 下からのときには、糸巻きがきちんと水平になっているかどうか、上からのときには、胴との接続部分あたり(野坂)の左右のラインも見ることができます。

 いずれの場合も、少し角度を変えたりしながら、見やすい方向を探してみると良いと思います。

 これだけのことでも、三味線店の店先でやるには勇気がいります。ですから、横に店主がいるときなどは、あまり真剣な顔にならないようにして、雑談などをしながらさりげなく見るように・・・そこまで気を使わなくてもいいでしょうかね。

 私は、上に書いたような見方をすれば、三線の四方八方から見ているわけですから十分だろうし、これ以上の見方はないと思っていました。

 あるとき、三味線店の店主から三線(棹)の見方を教えていただく機会がありました。教えてもらったというと大げさですが、意外な方向から見たり、同じ方向から見る場合でも、見る部分を変えたり、比較したりすると、その棹の細かい部分がよくわかるというお話だったのですが、それを思い出しながら書いてみます。


【三味線店で聞いた話】

 たとえば、左の写真です。見やすいように糸巻きを外して棹だけにしました。
 逆立ちさせて、天の部分を裏から見ているわけですが、普通の人はこんな角度から三線を見ることはないでしょう。棹のどこを見ているかを右の写真で示しました。
 黄色い線の流れ方を見ると、天の形の左右のバランスがよくわかります。正面からでは、前面のラインばかりが見えますが、こうしてみると背面のラインがよくわかります。同時に、先端部分のカーブの傾きもよくわかります。
 赤い線は、「乳袋」などと呼ばれる部分の、前面と背面の大きさの違い。普通、背面の方が大きく(面積が広く)なっていますので、この赤い線は「ハ」の字になっているべきだそうです。
 左の写真。ここも、左右のバランスを見るだけでなく、天井の明かりを映し、その明かりを動かすようにして、曲面がきれいに完成しているかを見ることができます。のっぺりしすぎていたり、いびつになっているものは、美しいとは言い難いでしょう。
 右の写真は「野坂」などと呼ばれている部分です。左右のラインがバランス良くできているか。そして、胴と接するラインの曲線も見ます。
 左の写真。これは、どこを見ているかわかりますか?
 右に示した赤のラインから奥の黄色いラインへの流れ方です。天の側面は、奥へ(上へ)行くに従ってねじれているのです。真壁で顕著だと思います。
 この角度から鳩胸(チマグ)を見るというのは、私もやっていました。でも、店主の話は少し違いました。
 右の写真で示した赤と黄色のライン。この二つのバランスを見るのだそうです。黄色(野坂あたり)の角度によって、赤(鳩胸あたり)のラインが決まる。バランスが悪いと美しくない。言われてみると、そんな気がします。バランスの悪い三線は、部分的に細く見えたり太すぎるように見えることがあるようです。


【まとめのつもり】

 楽器として問題ないかどうかを見る場合は、トゥーイの平滑、糸巻きの調子などが重要です。実際に操作して、音を出してみればだいたいはわかるはずです。
 形の美しさは、音とはあまり関係ないように思います。ですが、美しい楽器を持つこと(演奏すること)は楽しいですし、三線工の心の込もった三線は、使う私たちも、ずっと大切に使い続けたいと思います。その意味で、美しい三線は長く良い音を奏でてくれると言えるでしょう。

 では、美しい三線とはどういうものか?
 矛盾したことを書きます。

 【三味線店で聞いた話】の部分は、制作者の見方だと思います。演奏者(購入者)は、細部にこだわりすぎると全体のバランスを見失うことがあるかも知れません。美しい三線は、一番上に書いた【私の見方】程度で十分わかると私は考えています。いろいろな見方をして細部を確認し、左右対称だったとわかっても、だから美しいというわけではないですし、人間が作る物ですから、少しぐらい違っていて当たり前だとも言えます。

 ですが、三線工が心を込めて丁寧に作ったものは【三味線店で聞いた話】のような部分にまで気を配られているはずです。そういうものは美しいにちがいない。とも言えるわけです。

 ね、矛盾しているでしょう。

 もし、お手元の三線が気に入っているのでしたら、細かいところは気にせずに使い続けましょう。この記事のせいで、見なくてもよい部分まで見てしまった。バランスの悪いところが見つかった。という人は、それは人間の人間らしい部分であって、それでも良い三線なのだと思ってください。
 これから購入する三線を見るときには、まず第一印象を大切にしましょう。美しいと思えるかどうか。心を引かれるかどうか。気に入ったのなら、きっと良い物に違いないです。自分の第一印象に自信のない人は、上に書いたような「細部を」見てみるとよいでしょう。完成度が高いと感じたら(左右のバランスがよさそうなら)、良い物である可能性は高いと言えるでしょう。


2006,11,30