GO MOUTH UNDER MOUTH 本文へジャンプ
ページトップへ
ションカニ(八重山)      
 コンチキチン
 祇園祭です。
 この音は、鉦鼓(しょうこ)の音。鉦鼓を沖縄では「ソーグ」とか「ションク」とよびます。この「ションカニ」も同じ意味です。「カニ」は「金」あるいは「鐘」でしょう。

 「ションカニ」とか「ションカニ小(ぐゎ)」と呼ばれる歌ですけれど、ご存じないかたが多いでしょうね。手に鉦鼓、あるいはパーランクーを持って踊られる、竹富島の芸能です。

 八重芸で、最初に習った踊りがこれでした。

 私が先輩から教えてもらったときには、鉦鼓を使わずに、手をたたいていました。そのまま後輩達に受け継がれていったのですが、数年前に、竹富島で「鉦鼓やパーランクーを使わないと、ションカニじゃないよ」と言われ(たしかにそうです)、それ以後は使っているようです。

 舞踊は、たいてい何かを表しています。もともとは具体的に表していたのでしょう。ちょうど、ペンガントーレーのように、表したい内容をそのまま動きにして、表したい物も現物を持ってきたと思います。
 舞踊も長い年月をかけ成熟していきますと、具体的な表現から抽象的な表現へと変わっていくようです。たとえば、鳥を表す場合。頭に白い鳥のかぶり物をして踊っていたのが、後に白いはちまきに変わったとか、手をぱたぱたと動かして飛翔を表していたのが、膝の屈伸と両手を広げることで表現するようになる。といった例があります。
 琉球古典の「諸屯」では、体を動かさず視線を三方向に移動させるだけで「夢から覚めた後の心情」を表すという技法があるそうです。高度に発達した技法といえるでしょう。

 とすれば、ションカニでも、鉦鼓を使うより手をたたく方が「より発展した踊り」だと考えられる?いいえ、たぶん八重芸には鉦鼓がなかったから手を使っていた、というだけでしょうね。

 おっと、誤解のないように書いておきます。私は「具体的な表現より抽象的に表現されたものの方が上」とは思っていません。先ほど「発達」という言葉を使いましたが、技巧として発達したのであって、芸能の価値においての上下とか優劣ではないと考えています。どちらにも味わいがあり、それぞれ大切にされるべきだと思います。

 さて、思い出話の続きを。
 やっと「ションカニ」の手(動き)を覚えて、歌に合わせて踊れるようになりました。先輩たちの前で踊っていると、ところどころで笑いがおこるのです。「覚えたての踊りを、ヘタなりにがんばっているねえ」といった微笑みではなくて、「プッ」と吹き出すような感じで笑われます。どこか間違っているのかな?と思いながら最後まで踊りきりました。
 「あのう、どこかおかしかったですか?」
 と尋ねると、その先輩はまた「プッ」と吹き出して、
 「足よ、足」
 右足を上げて静止する動作があります。エイサーでも、太鼓をたたく人が足を上げますよね。普通、足を上げたときには、足の裏は地面と平行、あるいはつま先が少し上に上がって足の裏が見えるくらいになっているのが普通です。
 「おまえのつま先、下に向いてピンと伸びて・・・・かわいい・・・ハハハ」

 新しい踊りに「発展」させようと思ったわけではないのですが。