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矼ゆば節(八重山)      
 八重山では『鶴亀節』のチラシとして有名です。「矼」は「はし」と読んでください。「橋」と同じ意味です。
 工工四を見ますと、歌い出しは「古見(くん)ぬ浦ぬ矼ゆばよ・・・」なのですが、チラシとして歌われるときは「うやぐみさ・・・」という歌詞です。

 『赤馬節』のチラシ『しゅうら節』、『つぃんだら節』のチラシ『久場山越路節』、どれも、単体で歌われることが少ないようです。特に『矼ゆば節』や『しゅうら節』に至っては、チラシとして歌われる歌詞が違うため、本来単体で歌われるべき歌詞を聞くことがほとんどありません。ちょっと気の毒です。

 その代わり、といってはなんですが、この『矼ゆば節』はいろいろな使われかたをしています。
 与那国島では、『チディン口説』のチラシ(舞踊ですので、「引羽(ひくぃば)」と書くべきですか)に使われています。『チディン口説』では、『矼ゆば節』と呼ばずに『しゅうら節』と呼ばれています。「ハイヨーシューラヨー」と繰り返し出てきますので、それが題名になったのでしょう。歌詞も「今日ぬ日ばむとぅばし」というお祝い向きで、「矼」は出てきません。『しゅうら節』と呼ばれるのもしかたない?

 波照間島では『スン踊(ぶどぅ)り』という舞踊に使われます。この場合は、めずらしく『矼ゆば節』単体での舞踊です。「古見ぬ浦ぬ」の歌詞でしたが、「矼」を「ぱし」と歌っていました。『スン踊り』は、大きな樽型の太鼓(エイサーの大太鼓のようなもの)を、舞台中央に置いた状態で踊られます。四人が銭棒(じんぼう)=竹の棒の先に穴あき硬貨をとりつけ、打つたびに「シャン」と鳴る棒=を持って登場し、太鼓の周りで舞ったり、太鼓を叩いたりするのです。

 そして、石垣島川平では言わずとしれた『鶴亀節』のチラシとして歌われるわけです。この舞踊でも太鼓が使われるわけです。3つの舞踊すべてに太鼓が出てくるというのは、何かつながりがあるのかもしれません。あるいは、この『矼ゆば節』の曲調が、太鼓をうちながら踊ることに向いているのかもしれません。とにかく、これほどいろんな島で愛されている歌もめずらしいと言えるでしょう。

 これだけいろいろな演奏がなされ、舞踊に使われていますと、地方(じかた)にとっては辛い面もあります。同じ『矼ゆば節』のはずですが、島ごとに少しずつ違いがあるので歌い分けないといけません。あっちの歌を歌っているつもりが、こっちの歌がまざったり、ひっぱられたり・・・ということ、他の歌でもありますよね。

 西表出身の友人と、西表島をドライブ。古い話でして、大原から上原方向に走っていたことは間違いないのですが、いつごろだったか、何のためだったかは、まったく覚えていません。ただ、橋を渡るときに、
 「これよ。矼ゆば節の橋」
 と言われたのは、とても小さな橋で、あっという間に過ぎてしまいました。後から調べますと、『矼ゆば節』に歌われている橋は、「三離(みちゃーり)橋」と「大枝(うふゆだ)橋」の二つの石橋だそうです。あのときの橋がどちらだったかはまったく記憶にありません。今も石橋なのか、その名前が書かれているのか、それも確かめていません。
 
2003,9