GO MOUTH HERE MOUTH 商売
 「十日戎」と書いて「とおかえびす」とは読みにくい。でも、関西の人は読める率が高いと思いますよ。
 大阪では、えびす神社を親しみを込めて「えべっさん」と呼ぶようです。ある日のラジオ番組の中で、

 「大阪人は、初詣に行かなくても、えべっさんへは行きますなあ」

 なんて話すパーソナリティーもいましたが、それは言い過ぎだと思います。

 商売繁盛を祈願する人が大勢お参りするようですね。その「商売」という言葉で思い出したのが、沖縄方言の「そーべーむん」。

 「そーべーむん」とは、質の悪い品物のことです。漢字で書くなら「商売物」となりますか。私は、「商売物」と聞きますと、商売用の質の良い物だと思ってしまいます。

 「商売物に傷がついちまった!これじゃ売れやしねえ」

 なんてね。

 沖縄方言の「そーべーむん」は、「儲けることだけを考えて、高く売っているわりには質が悪い」といった意味なのでしょう。その「そーべーむん」から、こんな言葉も思い出しました。

 『やまとーそーべー、とーいちべー』

 これまた漢字で書きますと、

 『大和(日本)商売、唐一倍』

 日本と取引するとそーべーむんをつかまされる。
 中国となら、もうけさせてくれる。

 「一倍」は、同率という意味ではなくて、「人一倍」といったときに使う「より多い(優れている)」といった意味です。「もとの量に一倍加えて二倍になる」と考えても良いと思います。

 商売繁盛は、そーべーむんで儲けるのではなく、売った方も買った方も喜ぶことができる商売であってほしいものです。






GO MOUTH HERE MOUTH YS−11
 ある日、与論の知人からDVDをいただきました。「ありがとう日本の翼YS−11」という題名でした。南日本放送の製作だそうです。与論島の美しい風景が印象的でした。

 YS−11は、戦後初の純国産の旅客機だったそうです。短い滑走路でも離発着が可能で、奄美地方、沖縄県内の離島はもちろん、各地の離島や北海道でも活躍していました。

 知人に御礼の電話をかけましら、「YS−11にはずいぶんお世話になりましたから」とおっしゃいました。私のYS−11に対する気持ちとは比べものにならないぐらい、愛着があるのでしょうね。その気持ちの込もったDVD。ありがとうございます。


 私も、何度かYS−11に乗りました。最後に乗ったのは、石垣から那覇へでした。その頃は、石垣と那覇の間を737とYS−11の両方が飛んでいました。

 私は、友人のトオルと一緒に石垣空港にいました。二人とも那覇へ向かいます。その搭乗手続で。

 「次の便ですね」
 「はい。二人一緒です」

 と、後ろのトオルを指さします。

はい。お二人ですね。あのう、その次に出る便の方が、那覇へは先に到着しますが、変更いたしましょうか?」
え?後の便が先に着くのですか?」
はい。ご予定の便はYS−11ですが、その次の便はジェットなので早く着くのです」
あ、そうですか。では、お願いしま」

 ここまで言いかけたとき、後ろのトオルが、

 「いえ。そのままで行きましょう」
 「え?いいの?」
 「いいんです。そのままで行きましょう」
 「ああ、そう。じゃあ、あの、そのままがいいそうなので」
 「承知しました」

 手続きを終えてから、トオルが言います。

 「YS−11は、もうすぐなくなるんですよ」
 「ああ、なるほど。それで、あえて乗りたかったというわけか」
 「そうです」

 トオルは飛行機マニアなのです。

 さて、そうこうしているうちに搭乗の時刻です。荷物検査を済ませて、飛行機へ。タラップを登りきると、客室乗務員がお二人、笑顔で迎えてくださいました。

 「いらっしゃいませ。貸し切りでございます」
 「ええ?!」

 我々二人以外のお客さんは、全員次の便に変更したというのです。その時のトオルの嬉しそうな顔。

 座席に着きますと、避難経路やライフベストの説明。これも、我々二人だけですので、すぐ目の前で、お互いの顔を見ながらやってくれました。離陸して飛行が安定しますと、乗務員のお二人が、我々のすぐ隣の席へやってきて世間話です。

すみませんね。我々が次の便にしていれば、この飛行機を飛ばさなくてもよかったでしょうに」
 「いいえ。お客様がいらっしゃらなくても、那覇へは行きますから」
 「なるほど。でも、なんだか悪いですねえ」
 「よろしければ、操縦室を見学なさいますか?」

 なんというサービス!飛行機ファンではない私も嬉しくなってしまいます。

 乗務員さんの後ろについて、操縦室へ。飛んでいる最中の操縦室です。あたりまえですが、パイロットのお二人が操縦しておられました。トオルは計器類を見ながら、いろいろ質問をしています。私には何のことかさっぱりわかりませんでしたが、ただ一つ、この会話だけは記憶しています。

 「お客さんが通路を歩くと、操縦席にいてもわかりますか?」
 「そりゃ、わかりますよ」

 そういうものなんですねえ。
 私は先に席に戻りましたが、トオルはしばらく操縦室で楽しんでいました。
 今では、絶対に考えられないサービスですよね。トオルのおかげで、良い経験をさせてもらいました。


 というわけで、このDVDをトオルに送って観てもらうことにしました。与論の知人にもお話をして、了解をいただきました。





GO MOUTH HERE MOUTH 三線の呪い?
内地へ行くんだったら、三線を持って行きなさい。と、三線を一つプレゼントしたんだ。彼は喜んでくれてね。弾いたことがなかったんだけれど、これから練習すると言って、大事そうに抱えて持って行ったよ。ところが・・・」

 私は、年配の二人の会話を、正確に言うと一人は聞いているだけでしたので、もう一人の人が語る話を聞いていました。お二人とも八重山の人です。

 話の続きはこうでした。


 県外に就職した「彼」は、小さな部屋を借りて生活をしていました。いただいた三線は、ケースから出して、いつでも弾けるように部屋に置いてあったそうです。
 仕事も順調。帰りが遅くなるので、三線の練習ははかどりませんが、それでもときどき手にとって、小さく音を鳴らしてあげていたそうです。ふるさとを遠く離れても、三線を持てば近く感じられたことでしょう。

 ある夜のこと。仕事に疲れてぐっすりと休んでいた彼は、妙な音に目を覚まします。それは、ごく小さな音でした。何かをひっかくような、重苦しい、それでいてもの悲しいような音。

 「な、なんだ、この音。そら耳?いや、確かに聞こえる。あっちだ。部屋の隅の方からだ」

 彼は、目だけを動かして薄暗い部屋を見回しますが、視野の中にはだれもいません。でも、音はまだ聞こえています。今度は、そっと上体を起こしました。そして、先ほどまで死角だった部屋の隅、その音のする方向を、目を凝らして見てみました。すると、そこには黒い物体が・・・

 「だ、だれだ!」

 勇気を振り絞って布団の上に立ち上がり、天井から伸びている明かりのスイッチを引こうとします。でも、暗くてよくわかりません。指に当たって大きくゆれて、それを捕まえようと空をかきまぜます。スイッチがまた手に戻ってきました。今度はうまくつかまえました。しっかりと引っ張ります。2,3度明滅してから、部屋に明るさが戻りました。黒い物体は、そこにありました。正体がわかりました。
 彼はため息をついて、布団の上にしゃがみ込みました。いつでも弾けるようにと、部屋の片隅に置いてある三線だったのです。もう一度ため息をつこうと、息を大きく吸い込んだ彼に、二度目の戦慄が走ります。三線が?なぜ三線が勝手に音を出すんだ。窓は閉め切っている。風が当たるはずもない。動物がいた気配もない。なぜだ。いったい、どうなっているんだ。まさか、呪われた三線!

で、彼が休みを利用して帰省したときに、その三線を持って帰ってきて、この話をするもんだからね、三線を見てみたんだよ。そしたら、大笑い。虫だったんだ。木を食う虫。胴を外したら、中から木くずが出てきてね。よく見てみると、あっちこっちに小さな穴が開いてた。つまり、その虫が夜になると活動して、木をがりがりとかじる。それが弦を振動させて、もの悲しい音を出していたっていうわけ。ハハハ」

 彼が「呪われた」と思ったのは、身に覚えがあったからなのかどうか、それは聞けませんでしたが、とにかく恐怖は去りました。

 昔の三線は、皮を張る糊も小麦粉から作られたものだったそうで、いわば自然素材ばかり。たぶん、木材も防虫処理などしていなかったでしょうから、虫がつくことはいまよりずっと多かったでしょうね。
 昔の胴をよく見ると、皮に小さな穴がいくつみつかることがあるそうです。皮を張るための糊を食べる虫がいて、それが穴をあけるんだと、三味線店の店主が教えてくれました。皮をねずみにかじられたという話もありますし、三線にも敵が多いんですねえ。