三線合宿免許 | |||
自動車の運転免許を、沖縄で合宿をしながら取得できるという「合宿免許」は有名ですが、この春から、「合宿三線教師免許」が始まるそうです。 三線愛好者は、県内外にとどまらず、海外にまで広がっています。今現在三線を楽しんでいる人の他にも、まだ三線を手にしていないけれどいつかはやってみたいと思っている「潜在的愛好者」も含めると、その数は一千万人を越えているとも言われており、今後も歌三線を教えるための「三線教室」は増え続けると予想されています。 このような三線音楽の広がりによって、2000年頃から「三線の不足」と「三線音楽を指導する教師の不足」が問題になっていました。 三線製作については、機械化がすすみ、海外での生産も強化されて需要を満たすことができるようになっています。また、流通も迅速になり、三線がほしいと思えば数日のうちに手にすることができるようになりました。その一方で、教師の不足は深刻さをましています。 古典にしろ民謡にしろ、コンクールで最高の賞をとったり、教師や師範の免許をとるには数年から10年以上の期間が必要です。たとえ、非凡な才能があったとしても、受験するには教室に通う必要がありますし、コンクールは年に一度しかありませんから、取得までの期間を短縮したくても限界がありました。 「沖縄伝統音楽教師師範免許を考える会」は、4年前から教師育成についての問題点を話し合い、今年1月「合宿三線教師免許」を提案。4月より、第一期の合宿が始まります。 合宿では「三線の奏法」「発音・発声」などの実技の他「琉球音楽概論」「工工四理論」「教育心理」といった講義と、県内各教室での「教育実習」、民謡酒場での「舞台実習」「接客法」「おとーり実習」も予定されています。この合宿で『教師免許』を取得すると、同時に『新人賞(相当)受賞資格』『優秀賞(相当)受賞資格』が与えられるということです。 免許取得のための期間は、最短で60日。費用は、合宿中の食費などすべてを含めて120万円からとなっています。「考える会」では
と言っています。これからは、「免許は合宿」というのが普通になるかもしれません。 |
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(すべて冗談ですので) |
蛇皮の寿命が延びる! | |||||||||
琉球伝統楽器販売業業界新聞より ~蛇皮の寿命、数倍に~ 三月四日、那覇市うまんちゅ運動公園内かりゆしアリーナで行われた「第27回伝統楽器見本市」(主催:琉球伝統楽器販売組合、琉球伝統楽器製造組合、後援:沖縄県芸能芸術振興協議会)では、県内の音響機器専門会社『(株)ROF(株式会社琉球音響ファクトリー)』が開発した『三線用加振器SB30As』が注目を集めていた。 三線の胴に使用される皮は、現在のところ「蛇皮」「人工皮」「二重張り(強化張り)」の三種類に大別される。破れる心配のない「人工皮」「二重張り」は、素材の研究と張りの技術がすすみ、音色の点では限りなく蛇皮に近付いているとも言われる。しかし、三線演奏家や収集家には本物の「蛇皮」にこだわる人も多い。「蛇皮」は音も美しさも三線に最もふさわしい最高の素材であることはだれもが認めるところだが、その寿命の短さが悩みの種だった。 蛇皮の寿命を延ばす方法として一番効果的なのは、弱く張ることだ。しかし、一般的に弱い張り方では音にハリがなくなって良い音を作り出すことができない。では、しっかりと張られた蛇皮を長持ちさせるにはどうすればよいのか。これは、愛情をもって演奏するしかないと言われてきた。 なぜ、愛情をもって演奏すると、蛇皮が長持ちするのか。それを検証したという話はまだ聞いていないが、一説によると、演奏することで皮が振動し、それが皮のしなやかさを保ち、破れにくくするとも言われている。 『三線用加振器SB30As』は、その名の通り、三線に振動を与えることにより蛇皮の寿命を延ばす目的で作られたものだ。 これを開発した(株)ROFは、音楽ホールの音響設備を設計、設置する会社である。三線をはじめとする沖縄の伝統楽器には直接関わってこなかったはずの(株)ROFが、なぜ『三線用加振器SB30As』を開発するに至ったのか。営業部長の与那城氏にうかがった。
続いて、開発部の知念氏に『三線用加振器SB30As』の特徴を聞いた。
『三線用加振器SB30As』の構造は、外から見る限り単純だ。形は、三線用のハードケースと変わりない。やや厚みを感じる程度だ。三線をケースにしまう要領でセット。右側面に小さなフタがついていて、その中に電源コードが隠れている。掃除機のようにコードが巻き取られているので使わないときはまるで普通のハードケースのように見える。左側には、メインスイッチと加振量を調整するスライドスイッチ、タイマー設定用のボタン、そして、設定した内容を確認する液晶表示がある。大きさといい重さといい、ハードケースと大差ないので、これをハードケース代わりに持ち運ぶこともできるだろう。 目の前で操作を見せてもらったが、加振量【5~30As/m】を選択し加振時間をセット。あとはスタートボタンを押すだけ。これならマニュアルなしで誰にでもセットできるだろう。タイマーセットも目覚まし時計がセットできる人なら問題ない。また、『加振器』という名前のわりには、運転中もほとんど振動を感じなかった。内部の振動部分と外のケースの間に、完璧な防振対策がなされているらしい。そこにも音響設備で培った技術が活かされているようだ。 (株)ROFの真壁CEOは自信を持って語る。
記者と共にブースで説明を聞いていた女性客の一人、南風原さん(42歳、公務員)は、
と熱い視線を送っていた。 『三線用加振器SB30As』が、沖縄の文化に貢献できる日も近い。 |
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(すべて冗談ですので) |
もう一つの型を発見 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『琉球伝統楽器販売業業界新聞』より ~もう一つの型を発見~ 三線の型は、大きく七つに分類されている。研究者の中には、分類そのものの妥当性に疑問をもつ者も少なくないが、三線工たちは、それらの分類に従って三線を製作している現状がある。 「琉球伝統楽器研究所三線研究室」は、1980年から三線の型の調査研究に着手。県内の三線工に聞き取り調査すると共に、古い三線を所有する個人も調査対象とし、2007年12月をもって調査を終了。その後、調査結果をまとめる作業に入っているが、2008年4月1日に中間報告として『沖縄三線の型とその変遷』を発表した。一般的な七つの型と、それを細分化した型の系統図、並びに各型の標準的な形状が記されているが、その中に、興味深い一文がある。第八の型の存在の可能性についてだ。担当した下地主任研究員に話を聞いてみた。レポーターは、三線歴2年の東江美子。 早速ですが、報告書に書かれている「第八の型」は、何と呼ばれているのでしょうか。 「真牛(まうし)型」と呼ばれていたようです。 作られた年代はいつごろなのでしょうか。 三線の型が完成した年代を特定するのは、この「真牛型」に限らず、たいへん難しいのです。三線は14~15世紀に中国から沖縄へ渡来したというのが定説になっていますが、これについても、いわゆる三十六姓の帰化したのが1392年で、三線の伝来もその頃だろうという、大変あいまいな数字なのです。しかも、中国から伝来した三本の弦をもつ楽器が、すぐに今の三線の形に変化したとは考えにくいですよね。琉球王府に三線匠主取が設置されたのは1710年ですので、沖縄の三線はそれ以前に完成していたのでしょうけれど、三十六姓の帰化から1710年までの、およそ300年間のどのあたりで完成したのか、答えようがないのです。 なるほど。「真牛型」についても、年代を特定することはできないわけですね。 そうです。ただ、その伝承から、人頭税が始まってから明和の大津波の年までの間に作られた型であると考えられます。つまり、17世紀から18世紀ということですね。あいまいな表現ですみません。 つまり、琉球王朝の時代であることは間違いないということですね。 そうです。 では、「真牛型」の特徴について教えてください。 特筆すべきは、「真牛型」という名前です。三線の型には、「南風原」「真壁」「知念」などという呼び名がありますね。「久葉ぬ骨」を除けば、これらは制作者の名前だということになっています。「真牛型」も制作者の名前ではありますが、「真壁」らが姓であるのに対して、「真牛」は名。つまり、姓をもたない農民だったということがわかります。 名字を持たない農民が作り上げた型というのは、おもしろいですね。 はい。しかも、女性なんです。 女性? はい。いわゆる7つの型が現代まで伝えられてきているのに、「真牛型」が三線の世界の表舞台に出てこなかった理由もそこにあります。 「真牛型」は、永遠に知られることがなかったかもしれないのですね。 その通りです。今回の調査で、偶然にもこのような伝承を聞き取ることができたことは、幸運とした言いようがありません。 では、その伝承を聞かせてください。
その後、「三月真牛」はどうなったのですか? 大里の死後、親戚の手に渡ったという話はあるのですが、それが誰なのか、まったくわかりません。ペリーが来琉した際、「三月真牛」を見て「動物のような顔をした楽器だ」と言ったという話も伝わっています。これが事実なら、19世紀までは沖縄にあったことになります。ですが、その後のことはまったくわかりません。ペリーが持ち去ったと考えると夢がありますけれど、おそらく、戦争で焼失したのではないかと思われます。 なるほど。ところで、奇抜とも表現された形状なのですが、どのような特徴があったのでしょう。 いくつかの特徴が伝わっています。天は扁平で、正面から見ると、天の両端に円盤状の突起を取り付けたような形状になっているそうです。また、糸倉は、極端に短く、乳袋はほぼ円形だったそうです。ペリーが言った「動物」・・・もちろん、本当にペリーが目にしたとすればですが、その動物は・・・ その動物は? 動物の名前は、伝わっていないのですが、・・・おそらく、カラクイをヒゲに見立てたのだろうと。 はあ、ヒゲのある動物。ですか? はい。あくまでも私個人の想像ですが。おそらく、ペリーには「三月真牛」がネズミの顔に見えたのだろうと思うのです。 ネズミ・・・ですか?・・・ネズミのような三月真牛・・・みつきまうし・・・ミツキマウ・・・え? |
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(すべて冗談ですので) |