風車 | |
ある日の沖縄の旅で、ある男性から聞いた話です。 「あちらで草刈りをしているのは、お母さんですよね」 「そうそう。もう97歳よ」 「お元気ですねえ。今年はかじまやーの御祝いですか」 97歳の御祝い(数え年:旧暦9月7日ころに行われる)を「かじまやー(風車)」と呼びます。沖縄では、12年ごとに巡ってくる生まれ年(生まれた年と同じ干支)に御祝いをする習慣があります。なかでも「かじまやー」の御祝いは村を挙げて盛大に行うことが多いようです。 地域の皆さんから御祝いしてもらえるんですね。楽しみですね。と話を続けましたが、微笑みながら否定されました。 かじまやーの御祝いをすると、出費が大変なのだそうです。御祝いの余興をしてくれる青年会などへの寄付。子供会にも、集落にも、たくさんの寄付をしなければならない。御祝い当日だけでなく、余興の練習をしているところへも差し入れをしなければならないのだそうで、「数百万円かかる」とおっしゃいました。 「でも、あとから御祝いが集まるとか?」 「いやいや、お金は出ていくばかりよ」 「それは、大変ですね」 「だから、うちは親戚で集まって、食事会だけにしようって」 「そうですか。その方がいいですよね。」 ちょっと寂しい気もしましたが、集まるご親戚も大勢でしょうし、きっと楽しい御祝いになることと思います。これからも、ますますお元気で。 ※ 沖縄県内のすべての集落が、同じようなシステムでかじまやーを執り行っているわけではないはずです。寄付や御祝いの方法など、集落によって違いがあると思います。家族に金銭的な負担がかからない集落もあるかもしれませんので、念のため付け加えておきます。お金の心配をせずに御祝いができればいいですね。 |
観光言語 | |||
「ギターを弾きながら、宮古島の方言で歌うすごい人がいる」という情報を私が得たのは何年前だったでしょう。まだ沖縄でも知る人は少なかった頃だったと思います。その情報元が、宮古の友人、ゲンゾーでした。 その下地勇さんが、県外でも活躍し、全国放送で取り上げられるようになりました。いえ、有名になる前から知っていたんだぞという自慢をしたいわけではありませんよ。 ゲンゾーからのメール。最初に「少々酒が入っています」と断り書きがありましたが、内容はしっかりしていました。あいかわらず、私のような観光客には耳の痛い内容もありますけれど、一部を掲載します。
最後まで読むとわかるのですが、彼の言う「こだわり」とは、単に「方言で歌う」ということではないようです。
「観光言語」とはおもしろい。たしかに、観光地にあふれている方言は「観光言語」なのでしょうね。「だれが使っているの?」と言いたくなるようなのもありますねえ。 「観光言語」は、県外のお客さんを意識したものです。一方、下地勇さんの歌は、そのスタート地点においては、島の人(テレビで聞いたところでは、ご家族)に聞いてもらうための歌だったそうです。本土に媚びることのない歌。それが県外でも注目されるようになった。 この後、メールには宮古の将来を憂う彼の気持ちが書き綴られていました。沖縄、宮古の自然を守ろうとか、子や孫の代まで文化を伝えようとか言いながら、目先のお金のために自然も文化も食いつぶしているように思える。下地勇さんの歌のように、島に根を張って本土にすり寄ることのない「こだわり」がほしい。そんなお話でした。 |
方言が「わかる」 | |||
私の言葉に、妻は 「全然わからない」 と答えたのでした。 下地勇さんがテレビに出ていました。それを録画して、妻と一緒に見ました。宮古島(久松)の言葉で歌っているので、私にはほとんどわかりません。妻の母は、宮古島(城辺町)出身です。妻が育ったのは那覇ですが、少しは宮古島の方言を聞くことができるそうです。でも、「全然わからない」と言うのです。 上に私が書いた「私にはほとんどわかりません」という表現は、見栄っ張りです。「ほとんどわかりません」は「少しわかる」あるいは「わかる部分もある」と言いたいわけです。単語が一つ二つわかったからといって「ほとんどわかりません」などと言うのは、傲慢ですね。 妻の「全然わからない」は、「内容はだいたいわかるけれど、わからない単語もあって、きちんと理解することはできない」という意味です。謙虚なのではなくて、「言葉がわかる」という言葉の意味を正しく使っているだけなのでしょう。あるいは、本人の素直な気持ちなのでしょう。 ビデオの続きを見ていました。私にわかる、数少ない単語の一つ「ふぃー」というのが出てきました。 「あ、今のところ『残した』って訳してあった。『くれた』だよね」 鬼の首をとったように、私が言いますと、 「うん、でも、本人が訳しているんでしょ。いいんじゃないの」 貫禄です。 |
ウッチン | |
「ウッチン」は「ウコン」のことです。ずいぶん違った言葉に見えますが、漢字で「鬱金」と書くと知ったとき、つながりました。 「金武」は、共通語読みで「きん」、沖縄方言では「ちん」となります。「き」が「ち」になることはよくありますよね。 ところが、八重山では「き」が「き」のままということがよくあります。「黒木」は、沖縄方言では「くるち」ですが、八重山では「くるき」と呼ぶ方が普通でしょう。 それを知った上で「ウッチン」を見てみますと、 「鬱金」=「うつ」と「こん」=「ウコン」 「鬱金」=「うつ」と「きん」=「ウッキン」=「ウッチン」 実際、八重山では「ウッキン」と発音する地域もあるそうです。こうして並べますと、ウコンもウッチンも鬱金の読み方の違いだと思えてきます。 ウッチンは肝臓に良いとされ、お酒をよく飲む人の中には、錠剤や粉末や液体になった「ウコン関連商品」を愛用している人も少なくないとか。 ここで、不思議に思った人はいませんか? 沖縄では、昔からウッチンが肝臓に良いと知られていて、愛されてきた。そして、今では「ウコン関連商品」が登場して、それを食べれば(飲めば)ウッチンの恩恵にあずかれるわけですよね。でも、そんな商品が無かった時代は、ウコンをどのようにして食べて(飲んで?)いたのでしょう。 テレビをつけましたら「ウコン関連商品」の宣伝をしていました。説明役の女性が、聞き手の男性と女性に、その商品の効能を、法的に問題ない程度に強調していました。手元には、その商品と一緒にウコンそのものも置いてあります。それを見せながら「沖縄では、飲酒の前にこれをかじる習慣もあるそうです」などと言っていました。 え?ウコンをかじる?やれるものならやってみなさい!まあ、沖縄にもいろんな人がいますので、中には豪快にかじる人がいるかもしれませんが、やらない方が良いと思います。ウコンをそのまま食べますと、ものすごく苦いはずです。きっと後悔することになりますよ。 先ほど、「ウコン関連商品ができる前の時代は」と書きましたが、今でも、ウッチンそのものを買って帰る人はいるわけでして。その人たちは、どのように利用しているのでしょうね。 私が聞いたところでは、汁物に薄切りにして入れることがあるとか。他にも利用方法(調理方法)があるのでしょうけれど、案外知らないですよね。 沖縄のウッチンを知っている。でも、その食べ方は知らない。これって、知っていると言えるのでしょうかねえ。 |
あたらさん | |
沖縄の方言は、わかりません。でも、学生の頃には単語をいくつか教えてもらいました。 一世を風靡した(?)「ちゅらさん」という言葉は、形容詞です。沖縄方言の形容詞は「〜さん」となるのが普通だそうです。 ちゅらさん=美しい あかさん=赤い やふぁらさん=やわらかい では、「あたらさん」はどんな意味? 先輩二人の会話 「いぇー、やーぬバイク借りよう」 (おい、お前のバイク貸してくれ) 「え?だめだめ」 「なんで?」 「買ったばかりなのに」 「あたらさんして、いびらーやー!」 (???、けちんぼ!) 『買ったばかり=新しい』だから、「あたらさん」なのだと思っていたのですが、なんだかしっくりこないですよね。何でも尋ねてみたくなる私は、この会話に割ってはいりました 「あたらさん、って、何ですか?」 「あいつが、ケチだわけさ」 「あい、ケチじゃないよ。新品なのに、誰でもあたらさんするさー」 どうもよくわかりません。もう少しつっこんで尋ねてみます。 「新品のことを、あたらさん、と呼ぶんですか?」 「ちがうちがう、あたらさんは、ケチ」 「ちがうだろー、ケチはいびらーだろう」 「ケチだから、あたらさんするさー」 「ちがうってば、新しいからあたらさんしてるわけよ」 「あの・・・じゃあ、新品は、なんて言うんです?」 「さら新品」 「みーむん」 「あ、そうそう、みーむんてが言う」 「みーむんは、あたらさん」 「そうそう」 この後、また「借りよう」「貸さない」が始まりましたが、最後には別の先輩が「うち(私)のを借りたらいいさー」で終了しました。 さて、「あたらさん」の方はといいますと、そのときの私はなかなか理解できなかったのですが、「新しい」とは違うということはわかりました。どうやら、 あたらさん=もったいない。大切な。 新品=みーむん といった意味だと理解できました。 「新しい」という形容詞は「みーさん」だそうです。 |