GO MOUTH HERE MOUTH 生まれ島へは帰らない
 私の親友(と私が思っている)は、多良間島出身です。



 彼が久しぶりに(10年ぶりだったとか)島に帰りました。ちょうど「八月踊り」のときでした。その様子をデジカメで撮影して、メールに添付して送ってくれました。
 写真は、この他に踊りの様子と「多良間シュンカニの歌碑」などがありました。さすが親友!私の好みをわかってます。

 「たまには、島に帰ったら?」

 何度か彼に進言したことがあるのですが、彼の返事はたいてい、

 「帰らないといけないとは思うけれど」

 でした。

 「島に帰る」には2つの意味があります。「生活の場を島に移す」と「帰省」です。公務員である彼に「生活の場を移せ」と言えば、それは転職を意味します。私もそこまで強引ではありません。この場合は「帰省」の意味で話したわけです。

 さてもう一人、なかなか島に帰らない友人がいました。
 波照間出身の彼とこんな会話をした記憶があります。

 「最近島へは、帰ってないの?」
帰りたいんですけどねえ。帰るたびに島が変わってしまっていて、帰りたくないような気持ちもあるんですよ」

 そのころ、波照間はあちらこちらで畑を掘り返していました。区画整理か土地の改良か、とにかくものすごかったです。

 「ヤシガニのとれた場所もなくなったりして」
 「へー、そうなの。波照間でも、ヤシガニが獲れるところはなくなっているの?」
 「いいえ。本当は他にも獲れる場所はあるんですけどね・・・」

 島は、深いです。
 彼は、勤務地が波照間になり、今は波照間在住。私はうれしいです。


 島へ帰らない人たち。
 帰れないのか、帰らないのか、帰りたいのか。


 この記事の最後は、我が親友が写真といっしょに送ってくれたメールで締めたいと思います。本人には、このメールを掲載することの承諾を得ております。

件名 沖縄&多良間ツアーより帰還
2002年9月23日(月) 22:01

多良間に帰るのは10年ぶり。
八月踊り見るのは、踊って以来だから
約20年ぶり・・

変わったところと変わらないところ。
でも、確実に年月は過ぎていて。
近所のおじさん、親戚のおばさん達のしわや白髪がふえてました。

で、八月踊りの写真を撮りまくってたら
「おい!」と呼ぶ声。
振り返ると、三線の地方をしている同級生。
「せっかくだから上がれ」との言葉に甘え、
初めて本番のズーニン座を目の当たりに
体験しました。

しかし、そこには緊張感というものはほどほどで
本番中に
「オトーリ回しーミール!」
「え!?」
「大丈夫!せりふが長いから三線の出番はまだまだ後!」

てなわけで、俺が上がってからでもオトーリが4〜5回回りました(^O^;...
口上を述べるのが大変で、方言もっと習っておけば良かったと後悔・・・

祭りのフィナーレの「総引き」ではちょっと涙があふれてきました。
やっぱ自分の島の祭りはいいすねー


サニツも楽しかったです。
当初、1泊の予定がおじさんの強い申し出で
延泊。そして、サニツを強行。
浜でキャンプしてた観光客二人組も交えて
盛大に祝ってもらいました。

島の雰囲気&暖かさを改めて感じてきた旅でした。

で、今度はいつ帰るの?



GO MOUTH HERE MOUTH 地名が怖い
 読めますか?
 「山原」
 「ヤンバル!」と読める人は、よく知っていらっしゃいます。
 「ヤンバル?」と読んだ人は、もっとよく知っておられる。

 「山原」は、沖縄北部を指す言葉です。「ヤンバル」と読みます。
 「山原」は、石垣島の地名。方言では「ヤマバレー」といいます。
 同じ漢字でも、読み方で場所が変わってしまいます。

 タクシーに乗って、
 「与儀(よぎ)までお願いします」
 「与儀、開南のそばの与儀ですね」
 と聞き返されました。沖縄本島内に、同じ地名がいくつもあります。

 「勢理客」は「セリキャク」と呼びますが、方言では「ジッチャク」ともいいます。
 「鳥堀」は「トリホリ」ですが「トゥンジュムイ」とも。
 「砂川」は「スナガワ」と「ウルカ」
 あげればきりがありません。というよりも、すべての地名に共通語読みと方言読みがあると言ってもよいでしょう。

 「与那国」には「ヨナグニ」「ユノン」「ドゥナン」の3つ。なぜ3つか?
 「ヨナグニ」は共通語読み、「ユノン」は石垣島の人が呼ぶときの名前。「ドゥナン」は与那国の人が与那国を指す言葉。こう考えると、他の島の呼び名だって、3つあるわけですよね。
 興味深いのは、波照間島の人に聞いた話。
「波照間の人は、波照間のことを『ベスィマ』と呼ぶよ」
『ベスィマ』は、「私の島」という意味です。

 「白保」は、「しらほ」ですが、島では「ッスサブ」というような発音になります。「ッス」というのは、どう書けばよいのかわからないので私のイメージで書きました。このように、共通語にない発音も登場します。

 これに、人の名前がからむと、もうたいへん。
 「新城さん」は「シンジョウさん」「アラシロさん」?
 「新城島」は「アラグスクジマ」「パナリ(ジマ)」(どちらの呼び方でも、同じ島を指します)

 沖縄の民謡を歌うようになれば、漢字を見たときに「ああ、こう読むんだろうな」と見当を付けられるようになります。しかし、沖縄民謡と宮古民謡、八重山民謡で、それぞれ「常識」が違ってきます。「島」は「シマ」ですが、宮古と八重山なら「スィマ」が多いでしょう。「我」を沖縄なら「ワ」、宮古八重山は「バ」。「汝」は沖縄で「ヤー」、宮古が「ウヴァ」、八重山は「ワー」(あれ?沖縄では「我」のいみでしょ?と驚く人が多いようです)などとなるでしょうか。これすら大まかな区別であって、沖縄、宮古、八重山それぞれの地域でも、村が変わると言葉が変わります。たとえば、「すぃま」と発音しない八重山の島もありますから、注意が必要です。

 ここまでくると、「アイウエオ」が「アイウイウ」になる。などという単純な法則はまったく役にたちません。だから、言葉はおもしろい。ですよね。



GO MOUTH HERE MOUTH どちらが先でもかまわない
 私自身が、どれくらい沖縄のことを理解しているのか。
 パソコンの横に本を積み上げたり、友人たちに電話をしてたずねたりしているようでは、理解というにはほど遠いのかもしれません。
 それでも、沖縄に住んでいたこともありますし、現在も友人たちが大勢住んでいるわけですので、沖縄の過去と現在と、そして行く末に無関心ではいられません。

 三線は楽器です。音を鳴らす楽器です。三線を演奏するためには、歴史を知る必要はありません。基地に反対する必要もありません。海が汚れることや、ゴミ問題や、離島の医療について無関心であっても、三線の練習はできます。
 でも、沖縄に関わりのある者としては、三線愛好家のみなさんには沖縄についても関心をもっていただきたい。三線や沖縄音楽への関心と同じだけ、とは言いません。ほんの少しでもいいから、気にしていて欲しいと思うわけです。

 「じゃあ、このHPでも、どんどん書けば?」
 「それがですね。ちょっと怖いんですよ」

 怖い理由、その1
 私自身が、それほど勉強できていないという点。はっきり言って、歴史や基地問題などについて質問されると、答える自信がありません。自信がないくせに、答えられないということに、とても嫌悪感を覚えます。そのうえ、自分が公開しているHPでまったく触れないでいることは、自分の心が許さない。ということで、わからないなりにときどき書くようにはしています。

 怖い理由、その2
 問題が複雑で、きれいにまとめることができません(このHPの中で「きれいにまとめられた文章」というのが一つでもあるのか?見せてほしいもんだね。なんて言わないでください)。それに、考え方の違いで議論になっても困ります。そういう逃げ腰じゃあだめだろうと叱られるかもしれませんが、このHPの目的を考えれば、政治や歴史観について議論する場所としてはなじまないと思うのです。

 怖い理由、その3
 読んでくださるみなさんが、はたして関心をもっておられるのか、あるいは関心をもってくださるのか。せっかく音楽を通して、沖縄に関心をよせていただいているのに、ここで歴史や基地の問題を大きく取り上げることで、みなさんの気持ちを遠ざけてしまわないかという心配をしているんです。ということで、書くときには、歌に絡めてみたりしながら、やんわりと書くようにしています。

 でも、あまり怖がる必要はないと思い始めています。

 以前、このHPにも掲示板がありました。その掲示板の投稿を読んで思ったのです。投稿してくださるみなさんは、ただ「音楽で楽しもう」だけではないんだなあと。考え方の違いや興味関心の方向や対象や強さは違っていても、やはり沖縄のことを考えてくださってます。

 そのことに気づきましたが、だからといって、このHPの内容が変わるわけではありませんが。とにかく、書きたいことを書いても大丈夫だとわかりました。

 できる限り正確に、誠実に書くことが大切であって、あとは読み手であるみなさんを信じていればいいんです。だから、私自身の沖縄についての不勉強を恐れることはないんですね。

 歴史観や政治思想も気にしなくてよさそうです。みなさん、その違いをきちんとわかってくださって、私の文章を一つの意見として見てくださるでしょう。考え方が甘いという批判もあるかもしれませんけど、そのような批判をしていただけるなら、そのことを喜ぶべきでしょう。

 みなさんが沖縄の問題に関心をもっているかどうかを心配しなくてもいい。そうでない人も、三線を手がかりにして、きっといつか沖縄のことを考えてくださいます。
 沖縄への関心が先で、その後で三線を手にするようになったのか、それとも、歌三線を楽しんでいる間に、沖縄への関心が強まったのか、それはどちらでもいいんです。大切なのは、みなさんの関心が「歌三線だけ」じゃないということです。先か後か、早いか遅いかの違いだけです。

 そう考えて、気楽に記事を書こうと思います。
 あ、もちろん、言葉を選んで誤解のないように書く必要はありますよね。




GO MOUTH HERE MOUTH ゴーヤーじゃない
 宮古の友人からのメールです。2004年4月13日に受信しました。

 ゴーヤーが幅を利かせているとのこと。
 5月8日は「ゴーヤーの日」で、去年僕も取材しましたが、ゴーヤーだから5月8日で成り立つわけです。宮古では「ゴーラ」もしくは「ガウラ」と呼ぶ。否、呼んでいたそうです。
 4月10日、過ぎてしまいましたが、これは「トウガンの日」でした。シブイというでしょう、それでシブイトウガンで4月10日らしいが、宮古でトウガンは「スゥー」もしくは「スゥーズー」なんです。
 ウチナーグチ。数年前までは本土の誰からも、いや、沖縄でも余り相手にされなかった言葉たちが、「ゴーヤー」「さんぴん茶」「三線」などに代表されるように、今となっては全国的に市民権を得てきています。けっこうなことではあります。しかし、宮古だけではなく、八重山の島々、本島周辺の島々、南部、中部、やんばるには独自の言葉があるべきなのに、全部が全部「ゴーヤー」というのは納得出来ない。
 今年のゴーヤーの日は、絶対取材しないぞ!!

 今年のゴーヤーの日に、本当に取材しないのかどうかはわかりません。彼も仕事ですから、「取材しろ」と言われたらやるだろうと思います。
 いや、彼はそれでもやらないかもしれないです。まあ、その話は彼に任せておくしかありませんので。

 彼の言いたいのは、「取材したくない」ということではなくて、沖縄が注目されているわりには、離島はどうなんだということです。

 観光で、宮古に来た人が、

 「うわー、やっぱり沖縄の海が最高ね!」

 と言うのを、もし彼が聞いたら。

 「じゃあ、宮古に来ないで、沖縄へ行け!」

 と言いそうな気がします。
 もちろん、この観光のお客さんは、宮古よりも沖縄の海の方がきれいだと行っているのではありません。宮古の海を見て、宮古の海をほめてくれているんです。でも、お客さんの心の中は、沖縄に来て、沖縄の海で楽しんでいらっしゃる。たとえ、東平安名崎から大海原を眺めていても、砂山の海に足を浸していても、沖縄に違いはないのです。

 一方、宮古に住む人から見れば、沖縄と宮古は別の場所です。石垣から見ても、そうです。自分たちのいる場所は、「沖縄」ではないのです。これはもう、普段の生活の中で、厳然と区別されているのです。
 なのに、観光のお客さんはわかっちゃいない。
 彼は、そのことに苛立っているのでしょうか。違います。
 観光のお客さんが、宮古も石垣も「沖縄」と呼んでしまうことを、少し寂しい気持ちで聞いたとしても、理解できますし諦めもします。さきほど「じゃあ、宮古に来ないで沖縄へ行け」なんて書きましたが、あれは冗談。本当にそんなことを言うはずありません。酔っていなければ。
 彼の苛立ちの矛先は、島の人にむけられているのだろうと思うのです。

 以前、彼がこんなことを言いました。宮古の海の美しさを『ちゅらうみ』と表現しているパンフレットだったかポスターだったかがあるそうで。
 「『ちゅらうみ』なんて、なんで宮古で使うか?「ちゅら」も「うみ」も言わんだろう」
 だから「カギイム」と言うべきかどうかはわかりませんが、とにかく、彼の苛立ちは「宮古から、外へ向けて『宮古』を発信できていない」という点なのです。

 さきほど、離島はどうなんだ、と書きましたが、離島は、今たいそう注目されていますよね。とすれば、離島から何かを発信するには今がチャンス。そのチャンスに、離島の言葉も使わないでどうする。そう言いたいのだろうと思います。

 沖縄の観光産業という、一つのまとまりを考えたときに、宮古は宮古、石垣は石垣、さらに、離島をそれぞれ独立して考えていては、「効率的に県外への宣伝活動ができない」ということも理解できるのですが、少なくとも、島へ来てくださった人には、もっと島独自の文化を味わっていただいてもいいのではないか。できるはずだ。なんて書いたら、こうおっしゃるかたもいるでしょうね。

離島では、その島でしかできないこと、その島ならではの文化を、お客さんに見ていただいたり、体験していただくようにがんばっているよ」

 否定はしませんが、でも、最初に紹介したメールのように、どこか「沖縄」に乗っかって、あるいはぶらさがっているところがあるような気がしてなりません。

 民謡を楽しんでいる私たちは、どうしても「島」にこだわります。歌ですから、言葉にこだわります。今歌っている歌は、島の言葉として正しいだろうか。島の人が聞いて、納得してくださるだろうか。そんなふうに歌を勉強してきた彼だから、苛立っているのでしょう。
 つまり、彼は、宮古が大好きなんです。




GO MOUTH HERE MOUTH 「え」と「お」が言えない
 ゲームの敵キャラクターの攻撃は、同じパターンを繰り返すことが多いですよね。ですから、最初は何度かやられてしまっても、そのパターンを覚えてしまえば、敵の攻撃の合間を縫ってやっつけることができる。
 そんな敵キャラクターの中にも、同じパターンの攻撃だけではなく、ときどき「フェイント」を入れてくるのがいます。「あら、さっきはそうじゃなかったでしょ?」ととまどってしまうのですが、それも繰り返している間に「フェイントの入るタイミング」というのがわかってきて、やっぱりやっつけることができるんです。まあ、そもそも敵キャラクターはやっつけられるために造られているのですから、当然ですけれど。

 「目(め)」は「み」 (me→mi)
 「毛(け)」は「き」 (ke→ki)
 「腰(こし)」は「くし」 (kosi→kusi)
 「餅(もち)」は「むち」 (mochi→muchi)

 これは、敵キャラクターの攻撃パターン。ではなくて、沖縄方言と共通語の、音の対応パターンです。これだけで方言を理解したような気になってしまいますが、実際はそれほど甘くありません。フェイントがあるんです。

 「大概」は「てーげー」(te:ge:)
 「返し」は「けーし」(ke:si)
 「唐船どーいー」は「とーしんどーいー」(to:sin do:i:)

 ふむふむ。「え(e)」は「い(i)」になるのが基本だけれど、「えー(e:)」や「おー(o:)」のように伸す音だと、そのままなんだねえ。と、敵キャラクターのフェイントを見切ったように思っていたら、次のボスにやられてしまいます。

 「上原のデンサ」

 上原=ういばる
 ピンポン!「うえ(ue)」ではなくて「うい(ui)」となりますね。
 でも、「デンサ(densa)」は「でぃんさ(dinsa)」にはなりません。ひっかかりました?

 沖縄の方言と一口に言いましても、いろいろあります。同じ県内なのに、お互いの方言が通じないくらい違っていることもあるんです。だから、パターンを覚えたくらいでは「攻略」できないんですね。
 しかも、言葉は生きています。時代と共に言葉は変化しますし、外から入ってくる言葉もあります。民謡だから、全ての歌詞がその土地で常用されている(されていた)言葉だとは限らないのです。

 共通語と沖縄方言の音の変化を法則として覚えておくと、知らない言葉でもなんとなく理解できることがあります。確かに便利ですし、覚えておく方がいいと思います。
 ですが、法則にとらわれてしまって、実際の音(発音)を歪めてしまわないように気を付けなければなりません。歌うときの基本は「聞こえたように歌う」ということです。

 「ためらうことなく『え』や『お』が言えるようにならないといけないんだねえ」

 とは、知人の言葉です。言い得て妙です。



GO MOUTH HERE MOUTH ソテツの虫かごを作ろう

【注意】
 ソテツの葉の先は、鋭く尖っています。小さなお子さんが、手を怪我したり、目をついたりしないように、保護者のかたが十分気を付けてください。

 なにはともあれ、ソテツの葉を用意しましょう。きれいに仕上げるためには、

1,大きめの葉=小さいと、作りにくいです。
2,しなやかな葉=古くて硬くなった葉は、ポキポキ折れて編めません。
3,葉がきれいにそろっているもの=きれいに仕上げたいから。

 葉の下の方は、短すぎて使いにくいので、切り取ります。さらに、切り取ったものの中で、長めのを4〜6本程度、残しておいて、あとから「継ぎ足し用」にします。

 では、作りますよー。
 一番手前の葉から、向こう側にむかって順番に編んでいきます。
 編んだ葉は、裏返しになってますね。それで正しいです。

手前の2本を前に向け、
編み込むための
芯にします。
右側の1本を
右の芯の上から
左の芯の下へ
左側の1本を
左の芯の上から
右の芯の下へ
言葉で書くとややこしいですが、
図にすると、こういうことです。
これの繰り返し。

 虫の入る空間も考えて、編む強さを加減しましょう。

最初は強く(狭く)〜徐々に緩く(広く)〜徐々に強く(狭く)〜最後は強く(口を閉じる)

こうして、どんどん
編んでいきましょう。
編む強さも考えて。
芯の長さが足りなく
なったら、「継ぎ足し用」
の登場です。
継ぎ足すと言っても、
こうして差し込むだけ。
継ぎ足せば、いくらでも
編んでいけます。

ずっと継ぎ足していけば、一つのソテツの葉で、大きな虫かごを一つだけということもできますし、適当な大きさでやめれば、その上にもう一つ・・・と、一つのソテツの葉に、2つとか、3つの虫かごを作ることもできます。
今回は、これくらいの大きさでやめておきましょう。
横から見るとわかりますように、「やめる」場所を考えて、葉の締め付け方を加減していきます。

 最後に、口を閉じます。
葉をクロスさせます。
右の葉を適当な所に差し込み、
左の葉も、適当な所に差し込んで
しっかりしめます。
これで
口が閉じられました。

完成!

 子どもの遊びです。「正しい」とか「間違い」というものはありません。
 たとえば、芯の継ぎ足しも、別に切り取ったものを足すのではなく、足りなくなったら、次の葉を芯に「立てる」方法もあります。
 形だって、もっと細かったり丸かったり、自由に作ってください。

 ソテツの葉は、放置しておきますと茶色に変色します。茶色い虫かごも面白いかもしれませんね。