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コツコツやりたい | |||||
急がずに、コツコツ練習していきたい。長く楽しみたい。という話ではありません。 棹をコツコツするお話です。 2004年3月の掲示板で、棹の振動についてのご質問をいただきました。内容を要約します。
三線を弾いているときに、左手に感じるあの振動。三線が違えばあの振動も違ってきます。 三線の値段は、棹の値段で決まると言っても過言ではありません。高級な三線ほど値段の中で棹が占める割合が高くなるからです。ならば、棹の振動で三線の善し悪しが判断できるのではないか。そう考えた投稿者の着想はすばらしいと思います。 ○棹をたたく (その1) 三味線店の店主から聞いた話です。棹の話をしているときのこと、 「そういえば、この前店に来たお客さんが、おもしろいことをやっていたんだ」 店主はそう言って、お客さんがやっていたことを再現してくれました。
(その2) 別の三味線店での話です。店主に三線を見てもらいました。 「この棹、黒木みたいなんですけど、ちょっと変わってますよね」 「うーん・・・」 と言いながら、棹をしばらく眺めていた店主は、やにわに左手で三線を持ってぶら下げ、チマグのあたりを持っていた金属の棒のようなもので「コツン」とたたいたのです。これ、(その1)の話とそっくりです。 「それで、わかるんですか?」 「うん。まあ、だいたいね」 木の堅さがわかるのだそうです。堅い方がいいのかと思ったら、 「堅いのはよくない」 でした。堅いのはよくない?普通、堅いのがいいと思いますよね。でも、店主はたしかに「堅いのはよくない」と言いました。 (その3) 次の話は、又聞きです。 音は電気。棹は電線か抵抗と考える。 棹の材料としてよい木は、たたいてみて、その振動がすっきりと伝わるようなのがよい。電気と抵抗のようなもので、抵抗が少ないほど電気はよく通る。たたいたときの振動が、抵抗なく通っていくような木がいい。 わかるような、わからないような。 この三つのお話に出てくる音=振動は、演奏中の振動ではありません。棹そのものをたたいて、振動させるという方法です。棹の善し悪しを振動で見分けるとすれば、この方がいいのかもしれません。でも、どう振動するのがいいのか、それがわかりません。 この話の続きは、邦楽の三味線店へと移ります。 |
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○邦楽の三味線店で
と言いながら、左手で三線でいうところのチマグの少し手前あたりを下からコツコツと、何度か突き上げるように叩きます。 「これで、右手に振動が伝わるんです。この伝わり方で、良い棹かどうかがすぐわかります」 コツコツやりながら、その振動を確かめているようです。私の頭の中では、沖縄の三味線店で見た光景がよみがえります。 店主は、その棹の向きを変えて(ちょうど、ナイフか包丁を人に手渡すときのように)私の前に差し出しました。 「いやあ、わかりませんよ。やったことないですし」 「だいじょうぶ。絶対にわかります」 私は手にした棹をコツコツやってみます。右手の持ち方も大切ですが、左手の叩き方も難しいです。何度かやっているうちに、時々良い感じで振動するようになりました。 「ああ、たしかに響いています。でも、いいのか悪いのか」 店主は、私がコツコツやっている間に、もう一つ別の棹を取りだしました。 「今度はこれをどうぞ。同じように持って、同じ場所をたたくんです」 わざわざ棹を二つ出して、私に試させてくれたのです。どうやら、違いのはっきりした二つを用意してくれたようで、やってみると、確かに振動の違いは感じます。しかし、「どう振動するものがよいのか」を知らない私には判断ができません。尋ねますと、 「余韻です。片方はすぐに振動が止まる。もう片方はスッキリと長く続く。長く続く方がいいのです」 そう言われた私は、最初にたたいた方を指さしました。 「ね、わかるでしょう」 店主が微笑みました。 どうやら、振動の大きさではありません。後から手にした方は、たたいた振動が大きく伝わるような気がしましたが、すぐに消えるのです。ちょうど、皮の緩んだ大太鼓をたたいたような「ボヨン」という感じです。良い方は、振動は大きくないのですが、細かく長く続く感じです。やはり、太鼓でいえば、しっかりと皮の張ったものをたたいた感じとでもいいましょうか。「ビンーーーー」と尾を引くようです。 でも、太鼓をたたくのと違って、たたいた方の手はとても痛かったですよ。 しばらく、棹の話を聞かせていただきましたが、話の中に、沖縄の三味線店で聞いた話と重なる部分の、なんと多いことか。構造も似ていますし、当然といえば当然ですけれど。 ただ、違いもあります。材質、形状。そしてなにより大切な違いは、邦楽の三味線に求められる音と、沖縄の三線に求められる音の違いでしょう。それに演奏者の好みの問題も無視できません。この邦楽の三味線店の話を、そのまま沖縄の三線に当てはめて良いかどうか、まだわかりません。わかりませんが、棹の質を判断する方法としてはとても興味深いですね。 この記事を書いているときに、管楽器の世界でも、コツコツたたくことで修理箇所を見極めるとか、楽器の善し悪しを判断する人がいるという情報をいただきました。おもしろいものですね。 余談ですが。 沖縄の三味線店の店主は、棹を縦にブラリと垂らすようにしてたたきました。でも、邦楽の三味線店では、棹を釣り竿のように水平に持ってたたきました。この違いは、棹の構造の違いがあるからです。邦楽の三味線の棹は、継ぎ目があります。継ぎ目は接着されておらず、いつでも外せるようになっています。縦に持って振動させると、継ぎ目から外れて落ちてしまう可能性があります。もし、邦楽の三味線をたたくときには、必ず水平に持ってください。 さて、この記事を読んだみなさん。ご自身の三線の棹をコツコツやりたくなってきたでしょう?できれば、胴をはずして棹だけにしたほうがいいですけれど、くれぐれも壊さないように、ご自身の責任でお願いします。 振動は、音になります。たたいて、それを耳で聞くのもいいですけれど、邦楽の三味線店の店主は手に伝わる振動で判断していました。わたしも、その方が良いのかもしれないと思っています。 一つの棹をたたいて、良いか悪いか?それを判断するのは難しい(無理?)ですけれど、いくつかの棹をたたいてみると、違いのあることに気づきます。でも、私にはまだまだわかりません。何十本とたたいていけば、そのうちわかるようになるのでしょうか。 「もしかしたら、この棹でつくると良い三線になるかも」 なんて感じることができたら、楽しいですよね。 お話は、もう少し続きます。 |
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最初の話にもどります。「三線を弾いていて、左手に伝わってくる振動」の話。 え?その話はもう終わっただろう?いえいえ、前に書いたのは、すべて「棹だけの状態」での振動です。演奏中の、つまり「三線になった」状態の振動ではありません。 ○棹が振動する三線はよくない? 棹をたたいて、その振動が長く続くものがよいらしい=余韻のあるものがよいらしい。というのが、先ほどの結論なんですけれど、「よい三線の棹は、演奏中にあまり振動しない」という人がいました。 音は空気の振動です。楽器を鳴らすということは、空気を振動させることですから、楽器は振動していてあたりまえです。振動した方が、音がいいように思いますよね。 この場合の「振動するのがよくない」というのは、比較の問題で、「大きく振動するものはよくない」という程度に考えるべきなのでしょうか。 前に書きました、邦楽の三味線店での話と合わせて考える必要がありそうです。 ○高級品は振動しない? 八重山黒木とか、特別な由緒ある三線は別にして、値段の高い棹=黒木の心材となるでしょう。つまり、緻密で重い材です。そういう材は大きく振動することはなさそうです。一方、軽くて柔らかい材ならば、大きく振動しそうです。その意味では、値段の高い三線は、安いものよりも振動しにくいと考えられます。では、できるだけ振動しないものがよいのでしょうか。 三味線店でカミゲンと呼ばれる黒檀は、とてもよい材料だとされていますが、ある三味線店は「カミゲンは、堅すぎてよくない」と言いました。 すべての三味線店がカミゲンとその他の黒檀をきちんと区別しているかどうか、また、カミゲンと呼ばれる材のすべてが「堅すぎる」のかどうかもわかりませんが、そもそも、カミゲンが他の黒檀と違う種類なのか、よくわからないままなのですけれど、「堅すぎるのは良くない」という考えの三味線店があるのは確かです。 また、「あまり重たい木はよくない」という店主もいました。これも、堅すぎることと通じるようです。 鉄は堅い。でも、鉄にだって「粘りがある」のと「もろい」のがあるように、黒檀であっても、「ねばり」の違いがあると思います。言い換えれば、黒檀であるということは、黒檀であるというだけで十分に緻密で重たい材木です。黒檀の中でも、ほどよい重さで、よく振動してくれるような木がよい三線になるということでしょう。けっして「ユシギのように軽い」という意味ではないはずです。 この話を、邦楽の三味線店でしてみましたら、店主はまったくそのとおりだとおっしゃいました。 邦楽の三味線では、紅木が最高の材です。紅木は重たい。でも、ずっしりと重たい紅木には、だめなのがあるそうです。「重いのが良いといって買う人がいるけれど、間違えています」と言い切りました。
よく、「真っ黒な材よりも、シラタが混ざった方がよい」と言う人がいますが、それも、「堅すぎず、適度な粘り」というものを想像させます。 ただ、美術品、工芸品として棹を見た場合には、真っ黒で引き締まった材を使ってある方が、木の肌も美しい(塗ってしまうと、芯の部分しか見えませんけれど)ですし、「高級感」は感じられますね。その「見かけ」の点では、私が今までに見た八重山黒木(と店主が言っているもの)は、シラタが混じったり木目が入り組んでいたりして、あまりよろしくなかったです。 あ、そういうシラタ混じりやウジラミーや、木目の複雑なものを「かっこいい」と思える場合もありますけれど。 よい棹とは何か。未だに結論を出せずにいますが、振動を考えることで、少しだけ前進できたかな、と思っています。 |
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三線と三味線は別世界 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三線と三味線を比較しましょう。
補足 三味線においては、猫皮を最高級とし、高級品のイメージとともに「四つ」と呼びます。 世の中には、残念ながら未だに差別が存在し、その蔑称として類似した言葉を使ってきた歴史が存在します。ここでは、猫皮を「四つ」と呼ぶことについて、補足説明します。 猫皮1枚から三味線の皮が2枚、つまり一丁分とれます。そのため、必ず「乳首」が4つ入るそうです。猫皮が「四つ」と呼ばれるのは、このことからだそうです。 同じほ乳類の犬だって、乳首があるはずですよね。 犬皮1枚からは、三味線の皮が7枚程度とれるそうです。体格の違いですね。 そのため、犬皮の場合は猫の場合のような「乳首」が入らない。それで、犬皮と猫皮の区別ができます。 犬も猫もどちらも四つ足の動物です。でも、猫だけが「四つ」と呼ばれるのは、足の数ではなくて「乳首」のことだったというのが、わかっていただけたと思います。 だれだって、猫皮がほしいのですが、そうもいきませんので、三味線の世界では犬皮に、「乳首」の型押しをするのが常識らしいですよ。 さらに付け加えますと、柳川三味線と呼ばれるもの(京三味線とも呼ばれ、三味線が日本に定着した頃の原型を残しているとか)は、薄い皮を好むために子猫の皮を用いるそうですが、その皮を「八つ」と呼ぶそうです。1枚で片面分しかとれないので、片面に八つの乳首が並ぶという意味でしょう。このことからも、数字が乳首の数を表していることがわかります。 |
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前編では三線と三味線を比較しましたが、ここでは三味線の解説を中心にしながら、三線との違いをもう少し詳しく書きます。
三味線で最も特徴的なのは「さわり」と呼ばれる「ビィィィーン」といった余韻です。この「さわり」は、非常に微妙なもので調弦を変えたりウマ(駒=こま)を換えたりするだけで、「さわりが付かなくなる」ことがあるそうです。
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学校で三線を使いたい | ||||||||||||||||||||||
2003年度から、高校で、和楽器を指導することになっているそうです。 学校教育(幼稚園を含む)で最初に見る「楽器」といえば、先生の演奏するオルガンやピアノでしょうか。カスタネットを手にして、タンバリンやトライアングルといった「打楽器」を経て、ハーモニカ、鍵盤ハーモニカ(ピアニカと呼ぶ人が多いですけれど、それは商品名だそうです)、リコーダーと、メロディーを奏でる楽器へ。考えてみれば、和楽器と呼べる楽器は登場しません。 クラブ活動でも、全国的にはブラスバンドが盛んでしょう。一部の地域で伝統楽器を使うクラブがあり、そこでは和楽器を使っているようですが、これまではごく少数だったと思います。 日本に住んでいながら、日本の楽器に触れたことがない。 その理由が、「学校で触れなくても、家で触れられるじゃないか」だったら納得ですけれど、そうじゃないですよね。ちなみに、三味線を生み出したと言っても過言ではない上方(かみがた)・大阪に育った私は、一度も邦楽の三味線を弾いたことがありません。 高校で和楽器が扱われる。その理由は「多様な楽器」とそれを生み出した、あるいはそれを受け継いできた「多様な文化」に触れるということだと思います。日本の文化をもっと知って、日本を愛する心を育てたいというのも、まあ、危険なレベルに到達しなければよしとしましょう。 ともあれ、西洋音楽に片寄りすぎていた学校教育の現場が、和楽器に注目し始めたのは正しい方向だと思います。 和楽器にもいろいろあります。邦楽の三味線を筆頭に、琴、笛、太鼓、さらに「雅楽」の世界で使われる笙(しょう)や篳篥(ひちりき)なども考えるとジャンルの広さもそうとうなものです。 沖縄の三線も、和楽器の仲間だそうです。三線愛好家にとっては、ちょっとひっかかる点ではありますが・・・ お話は、高校に戻ります。 楽器の種類を選ぶのは、学校の教職員。予算は行政。これがむずかしいところです。 先日、高校の先生とお話しする機会がありました。話題は和楽器。しかも「高校で三線を使うとしたら」というお話です。 高校3年間ですべての和楽器を扱うわけにはいきませんし、すべての楽器を準備するわけにもいきません。どれかを選ぶことになるわけです。 その先生は、沖縄で三線を購入されて、MY三線を持っておられるそうです。 三線とすばらしい音楽。それらを生み出し育んできた沖縄文化のすばらしさを、私の生徒たちにも伝えたいのです。といった熱い言葉は聞いておりませんが、数ある和楽器の中から三線を選んだその心の中は、きっと熱いはずです。 公立高校の場合、「県立○○高校」とか「都立」「府立」といった名前が多いからわかりますように、都道府県が設置していることが多いと思います。さきほどの先生が勤務する自治体の場合、高校をいくつかの地区に分けて、それぞれの地区から扱いたい楽器の希望を聞いて、どの楽器にするかを決定。行政がそれを購入し、地区へ渡す。その地区では、一つの学校が楽器をまとめて預かり、そこから地区内の学校へ貸し出すような形を考えているとか。 ご存じの通り、昨今の地方自治体は財政難。和楽器を高校にと言われても、高価な楽器をやすやすと購入できるはずもありません。しかも、授業で使うとなればまとまった数が必要です。そこで、先ほどの説明したような「地区ごとに希望の楽器を聞いて、地区で楽器を保管する」という方法を考えたのでしょう。これでしたら、予算面でもずいぶん助かるでしょうね。 しかし、難しいのは予算だけではありません。購入後の管理、楽器の指導者、指導方法の確立など、学校の先生でなくても、たいへん難しいことだということは想像できます。
私は、持論である「人間が住みやすい環境で十分説」を説きました。
と言うと、先生は驚いた表情。今の今まで、沖縄は湿度が低くて過ごしやすいと思っておられたようです。沖縄は気温は高いが湿度が低いので夏でも過ごしやすい。という夢のような誤解は、まだまだ幅をきかせているようです。
「いえいえ、それはいけません。やっぱり外に出しておく方がいいですよ」 と、私が三線掛けを指さしますと、 「なるほど」
などと、妻の買ってきたケーキを食べながら楽しい話をしておりました。 やがて話題は「どんな三線を買えばいか」に移っていくわけですが。 |
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県外の高校生が、授業の中で和楽器=三線を手にする。どんな三線にすべきか? このHPをごらんのみなさんでしたら、どんな三線をすすめますか?
先生なりの結論をうかがった後、先生が沖縄で三線を購入された話や、その三線を生徒に見せた話などをうかがいました。 先生自身、ご自分の三線を買うときに二重張りか本皮か、迷ったそうです。
先生をお見送りしてから、しかし、私はまだ心配していました。 本皮の問題は、破れること、破れたときのことだけではありません。本皮の場合、破れるリスクを下げるために、張りを弱める場合があります。「どうせ生徒が使うから」と、音を無視してむやみに弱く張られてしまったら、皮は本物でも音がニセモノということにもなりかねません。考えれば考えるほど、むずかしいものです。 この地区の高校が、どんな三線を購入するのか。それは先生一人で決められることではありませんけれど、とにかく、先生が考えておられる教育ができる三線が手にはいることを、私はただお祈りするしかありません。 *念のため付け加えておきますが、購入先の相談や購入方法など、金銭にかかわる問題には触れておりませんし、特定の店や業者を薦めたこともありません。三線そのものの説明を、材質を中心にしたまでです。 *もう一つ。実際に何を購入されるかについては、教えてもらっていません。「三線を買うとしたら」という、お話です。 |
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塗りがひどい |
少し前の話です。友人二人が棹を塗りに出しました。できあがったという話を聞いて、「どうだった?」と笑顔で尋ねたのですが、「それが・・・」と、あまり満足していない様子です。聞けば、塗りのムラがあるのだそうです。見せてもらったところ、確かに「液だれ」のようなものが付いています。もう一人の三線にも、でこぼこがあります。「まあ、トゥーイじゃないから音に問題はないだろうけれど」と言いましたが、これが最近の塗りなんでしょうか。それとも運が悪かったのでしょうか。 それから数ヶ月後。ある三味線店へ行ったときに、店主の口から「塗りの悪いのが多すぎる」という話を聞いたのでした。 塗りは、三線の棹作りの工程では「最後の仕上げ」ですよね。店主が精魂込めて作り上げた棹を、塗りに出して、戻ってきたらひどいものになっていたとしたら、そりゃあぼやきたくもなるでしょう。 このときに見せてもらった「悪い塗り」は、実は私にはどこが悪いのかわからなかったくらい微妙なものでした。ただ、店主に言わせれば、トゥーイに問題があるので売り物にならないのだそうです。そう言われてよく見ると、わずかに窪んでいるところがありました。黒檀の、とても良いものだったんですよ。もったいない。塗り替えるのでしょうかねえ。 三味線店の店主から、「塗りの悪いのが多すぎる」という言葉を聞いただけなら、「多すぎるなんて、ちょっと大袈裟な」と思うだけだったでしょうけれど、先の友人二人の事件と合わせて考えれば、事実だと認めたくなってきますよね。 手にする三線、目にする三線は「まともな三線」であって当然。疑ってかかることはまずないでしょう。ところが、案外まともでない三線があるんですね。塗りもそうなんです。きれいに塗られていて当然と思うのは間違いなのかもしれない。いや、20年前ならば、ほとんどがまともな三線だったと思うのです。安い三線が増えてきて、塗りの質も落ちてきたような気がします。その質の悪い塗りが、本来「まともな」はずの三線にまで浸食してきているようなのです。 三線を見せていただくときには、まず手に取ったときの重さが判断材料になります。尾を見て「黒木ですか。いいですねえ」の次は、棹の全体の形を見ます。「与那ですね」と呟いてから、顔やチマグ「きれいな形ですね」、そして「皮も上等」とか、この糸巻き、私も好きなんですとか。まあ、こんな感じで楽しませていただくのですが、塗りのことはあまり考えたことがありませんでした。せいぜい「スンチーですか。棹の模様がきれいですね」くらいです。でも、上に書いたような「事件」があってから、塗りも気にするようになりました。 このページを読んでいるみなさんも、気になってきましたか?どのように「気にすれば」いいのか。簡単ですよ。 棹の形ではなくて、塗りそのものをよく見るわけです。トゥーイは特に注意深く見ます。部屋の蛍光灯などをトゥーイに映して、それを手前から向こうへ(逆でもいいです)動かします。きれいに研ぎあげた包丁の刃を見るような感じです。わずかに波うっているのはしかたないですけれど(どの程度ならしかたないのかは、たくさんの三線を見ることでわかってくるでしょう)、窪みやゆがみがあってはいけません。ぷっくりと泡のようなものが出ているのも問題です。とにかく、トゥーイには十分気を付けましょう。 また別の三味線店での話。棹が並んでいましたので、店の人にお願いして手に取らせてもらいました。シマコク、ユシギ、クロキなどと、材質が表示されている、とても良心的なお店です。きれいな真壁の棹を持って、蛍光灯を映してみると・・・え?・・・ひどい。トゥーイに窪みがあるのです。ずいぶんはっきりと見えます。その隣の棹を見ました。それにも塗りムラが。 「これ、ちょっと塗りが・・・」 私は購入するわけでもないのに、言わずにいられませんでした。店の人は驚くだろうなと思ったのですが、 「そうそう。この三線も塗りがね・・・」 と、完成している三線を棚から持ってきてくれたのです。「ここ」と指を指す部分は、液だれのような跡がついていました。 「塗りの悪いのが多いんですね」と、店の人と私とで、しばらくシブイ顔をして棹を眺めていました。 塗りがひどい三線が増えている。たいへん残念なことです。この現状を改善するには、我々購入者が声を上げるしかありません。三線を購入しようとしているみなさん。購入前に塗りを確認しましょう。そして、悪いと思ったら、それを店主に伝えましょう。そういうお客さんが増えれば、店主も注意するようになるでしょう。それが、塗りをする業者へ伝わるはずです。そして、業者も気を付けるようになる。そうなってほしいです。 |
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スンチー塗り | |||
「春慶」と書いて「しゅんけい」と読みます。これを沖縄的発音にしますと「すんちー」となります。そう、あの「透明な塗り」のことです。
はずかしながら、長い間「春慶塗」という言葉を知りませんでした。
こんな話を三味線店で聞いたことがあって、「スンチー」は「しゅんき」なんだろうと勝手に解釈。辞書や辞典をあたりましたが、載っていませんでした。それが、三味線についての小さな冊子を見ていると「春慶」の文字。そして、インターネットで検索すると、ありました。春慶塗が。 能代春慶、飛騨春慶といった有名な塗りがあるそうですね。特徴は先に書いたとおりですが、色合いの違いがあるそうです。どちらもネット上で説明や画像を見ることができましたが、三線で言う「スンチー」とは、ちょっと風合いが違うように思います。三線の方は、とにかく透明ならスンチー塗りと呼んでいるようで、これはもう、春慶塗とは別の世界と考える方が良さそうです。 |