兵庫県赤穂市
日本では知らない人はいない「忠臣蔵」のふるさと
右衛門七さまのお姿を探してきました。
いきなり赤穂駅に掛けてある書
![]() 赤穂市はどこを歩いても 忠臣蔵一色の街です。 お殿様は哀れな最期ではあったけれど 後世に財産を残されたのでは? |
![]() 義士あんどん 定時になるとからくり人形が 出てきて時を刻みます。 |
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![]() お殿様の無念を報告に江戸からの早駕籠で やってきた家臣が水を飲んだとされる 息継ぎの井戸 |
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![]() 四十七士の遺髪を埋葬したお墓のある 花岳寺 |
![]() 赤穂2代藩主浅野長直友が父浅野長直公のために 鋳造したものであるが、 浅野長矩公の切腹、そのあとの討ち入りの報に 赤穂の人たちが花岳寺に集まり この鐘を付いて悲しみにくれたあと、 この鐘は一切つかれることはなく、 戦争の時の鐘の供出も「義士との由来深きゆえ」 ということで供出をまぬがれた 赤穂市唯一の鐘楼 |
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![]() この奥に四十七士のお墓があります。 |
![]() 右衛門七様のお墓 誰が手向けたかお花が・・ |
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![]() 花岳寺の資料館の右衛門七様 |
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![]() 大石邸長屋門 |
![]() 大石邸(門のみが残っています) |
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![]() 大石神社 全員ではありませんが義士像が奉納されています 子孫がいらっしゃる人はその子孫が 奉納されていて、実話ななんだと実感 |
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![]() 大石神社の右衛門七像 |
![]() 資料館の中にある右衛門七像 行年18歳と書いてあります |
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![]() 討ち入りを終え引き上げる様子を 人形で再現してあるものです |
![]() 何に書かれたものかわかりませんが、 名前を変えて書いてあったそうです。 年齢からやっと見つけました |
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![]() 赤穂城前のポスト |
![]() ご当地キティちゃん 四十七士とお殿様全部ありました どこがどう違うのか・・・ ちなみに内蔵助様のはどこへ行っても売切れ |