安治川の渡し〜天保山

川の御堂筋といわれる安治川から大阪湾に注ぐ河口にあるのが天保山界隈
昔ながらの安治川の渡しもあり、結構風情があります。
その天保山に海外の豪華客船が2隻同時に停泊すると聞いて
早速出かけてみました。

   
 JR夢咲線 桜島駅

まずは起点になるJR夢咲線桜島駅 
夢咲線は愛称で本当は今も桜島線だそうです。
でも、いいネーミングです(*゚▽゚*)
   このような案内板を頼りに渡船場に行きます。
(落書きはやめて!)
     
     
    天保山渡船場

大阪市此花区桜島にある安治川の渡し 天保山渡船場です。
UR桜島駅から歩いて5〜6分
起点になるのは天保山側なので桜島側も同じ名前になっています。
時刻表も天保山側と同じです。
というのも天保山から来た船は待っている人を乗せたら
すぐに出発特に何分停るとかいうことはありません。
自転車でも乗船できます。大阪市営で無料です。
大阪市には他に7箇所の渡しがの残っているそうで
そのうち訪ねてみたいと思います。
 
     
   
 桜島側から見た天保山の岸壁

今回見に行く豪華客船が2隻停泊中
左側 フランス船籍 ル・ソレアル
  右側 バハマ船籍 シルバーシャドー 
   天保山渡船場のある公園に
このような可愛いモザイクの絵が貼ってあります。
     
    浪速百景 天保山(南粋亭芳雪 画)

船の目標となったことから目印山と呼ばれていた天保山
その沖に立つ澪標は、諸国の廻船に水深の深い安全な水路
だと知らせるための杭の一つです。
大阪の澪標は、川と海の境である「一之洲」に立つものを一番とし、
川上に向かって十番まで設置していました。
その第一番の澪標は上部の形から「鯖の尾」とも呼ばれ、
浪速第一の景物として知られていました。
これが「浪花百景 天保山」に描かれた澪標で、水運の発達で繁栄した
商都大阪と港の結びつきを象徴するのに最適な図案として
市章のもとになりました。(説明文より)
     
    本朝名所 「天保山」 (初代歌川広重 画)

川さらえの土砂を積み上げて出来た天保山は、
夜間航行の便をはかって、高燈篭を設けるなど、
船舶入港の目印となると共に、遊興地としても整備され、
「四時ともに遊興の人絶ゆることなく、」と記されるほど、大阪随一の
新名所となりました。
この天保山は、冬の雪見、夏の遊船あるいは和歌俳諧の会合など
遊覧船で賑わいました。
諸国名所風景を得意とした歌川(安藤)広重も、この本朝名所
「大阪天保山」の他、「諸国名所百景」などでも、この新名所天保山を
描いています。(説明文より)
     
    浪花天保山風景 (歌側貞升 画)

天保山は、 当時生駒、金剛、比叡などの山々や、四国、淡路島
など四方の眺望に恵まれた景勝の地でした。
松や桜の木を植え、掛茶屋、見晴堂などもでき、庶民憩いの場として
大いに賑わいました。
浪花天保山風景は、パノラマ風にその賑わいを描いたもので、
天保山で遊ぶ人々の様子など細かく描かれ、休憩所や、
石垣で囲まれた船泊なども良くわかります。
(説明文より)
   
     
 天保山山頂への道です。     日本一低い山に山岳会があるって・・・・
しかも登山証明書までくれるんですね。
大阪人らしいのがいいですねぇ〜(*゚▽゚*)
    天保山 明治天皇観艦之所碑

参加した船はは電流丸(肥前藩)、万里丸(肥後藩)、千歳丸(久留米藩)、
三邦丸(薩摩藩)、華陽丸(長州藩)、万年丸(安芸藩)の6隻と
フランス軍艦デュープレックス。

明治天皇が天保山から親閲の元、海軍総督・聖護院宮嘉言親王の
座乗する電流丸を先頭に、7隻は単縦陣で沖へ進んだのち反転。
二列縦陣で天保山沖に戻り投錨。
電流丸は21発の祝砲を放ち、デュープレックスも満艦飾を行ない礼砲を
発射。還幸の合図が出ると電流丸・デュープレックスは皇礼砲を発して
奉送。
と、どなたかのサイトに詳しく書いてありました。歴史音痴の私には
理解不能、とりあえず、上記を記念して建てられたようです。
     
    西村捨三翁顕彰碑

西村捨三は天保十四年七月に江州彦根藩に生まれ、
明治三十年六月大阪市民多年の念願たる築港事業を創めるに当たり、
初代築港事務所長に就任する。
築港に尽力したことを記念してこの碑が建てられました。
この人は大阪府知事や大阪市長を務められたそうです。
ちなみにこの像はご本人にそっくりだそうです。
     
   
 天保山の旅客ターミナルの前にはこの案内板が有り
いつどんな船が入るのか書いてあります。
気をつけてみておくと、自衛艦なども入港して来ることもあり
いろいろ楽しめるかも・・・・
   
     
     
 シルバー・シャドー 
総トン数  28,258トン   全 長  186メートル
船 籍  バハマ   乗客定員  382名
    ル・ソレアル
総トン数  10,944トン   全 長  142メートル
船 籍  フランス   乗客定員  264名
        
     
天保山といえばもちろん 海遊館     もう一つ天保山といえば大観覧車
最近夜のライトアップが変です(´;ω;`)
     
     
天保山とユニバーサルスタジオジャパンを航行している
キャプテンライン 
ちなみに業務しているのは全員女性です。
船の向こうは大阪港の入口
左の丸いドームは海の時空間
   天保山マーケットプレイス正面のキャラクター
     
     天保山渡船場 (壁に付けられた説明より)

 江戸時代、安治川の開削によって上流の流砂が堆積し諸国廻船の
運航に支障が生ずるようになったので、幕府により天保2年から
2年の歳月と延べ10万1200余人を動員して「御救大浚」
(おんすくいおおざらえ)と呼ばれる大工事が行われた。
 そのときの川底の土砂が積み上げられて出来た山を、
幕府は「目標山」(めじるしやま)と命名したが、天保年間に出来たことから
人々はやがて「天保山」と呼ぶようになり、現在は標高4.53mの
「日本一低い山」として知られています。
その天保山(港区築港3丁目)と此花区桜島3丁目を結ぶ(岸壁間400m)
位置に天保山渡船場があります。
 明治38年に開設されたこの渡しは、大阪港の繁栄を企画した大阪市が
港湾振興策の一環として始めたもので、昭和15年までは市の港湾部が
所管していました。
 その後の管理は、土木局(元建設局)に移され現在にいたっています。
 天保山渡船場    
     
     
渡船場と渡し舟
たまたまサンタマリア号がきました。その左向こうはUSJ
中央向こうの方に我が家(^_^;) 
   天保山からみた川向こうの桜島渡船場(中央)