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屋嘉節(沖縄)        
 金武町に屋嘉(やか)という集落があります。
 「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑」には、ここに捕虜収容所があったことと、『屋嘉節』発祥の地であることが刻まれているそうです。
 沖縄民謡は何時の時代も作り続けられてきました。『屋嘉節』のように戦中、あるいは戦後に作られた民謡もあるわけです。戦争に関わる民謡を思い出そうとしてみます。『艦砲ぬ喰ぇーぬくさー』『PW無情』は、どちらも明るい曲調ですね。それに比べると、『屋嘉節』や『戦後の嘆き』はたいへん重たい。たぶん、この両方があってバランスがとれているのでしょう。民謡の奥深さとも言えそうです。

 戦争を体験していない私たちも、これらの歌に込められた思いを知ることができます。「知ろうとする心があれば」ですが。

 「8・6(ハチロク)」と聞いて「平和登校日」と言葉を続けてしまう人には、説明は不要でしょう。でも、そういう人ばかりとは限りませんので、少しだけ。

 私の住む大阪市では、広島に原爆が投下された8月6日に、平和登校日を設定している小中学校があります。8月いっぱいは夏休み中なのですが、この日は登校して、みんなで平和について考えるのです。

 第二次世界大戦や原子爆弾についての映画を見る。
 戦中の食生活を体験する。
 地域の戦争体験者からお話を聞かせていただく。
 沖縄戦について考える。
 教職員が劇を演じる。
 生徒が平和メッセージを発表する。

 などなど、それぞれの学校が独自で取り組みを考えているわけです。毎年のことですから、新しい取り組みを考えるのも大変でしょうね。

 ある年の夏、地域の小学校から「8・6で話をしてほしい」と依頼がありました。私一人で話をするのではなく、沖縄出身の先生が戦争の話をして、そのあとで私が沖縄の文化について話をする。
 何で私が?とお思いでしょうが、話を持ってきたのが知人です。私にどのような話ができるかを知った上での依頼ですし、先に話をしてくださる先生がしっかりしておられるし、受けることにしました。

 講堂に集まった児童は、当然のことならが1年生から6年生までです。1年生にもよくわかり、6年生にも勉強になるお話をするというのは、難しいですよね。
 先生の話が始まります。
 沖縄戦の悲惨さ、戦後の米軍支配、そして、復帰後も居座り続ける米軍基地。体験に基づいたお話に、みんな聞き入っていました。そして、最後に歌った歌が『屋嘉節』です。一時間近くのお話でしたが、最後まで真剣に聞いていました。お話をした先生もすばらしいですが、普段の子どもたちへの指導もしっかりしていたのでしょうね。私も勉強させていただきました。

 で、おまえは何をしゃべったのだ?
 それは、内緒ということで・・・・

2003,9