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トゥバラーマ(八重山)      
 西表の、夜の海岸だったのよ。海を見ていたら、どこからともなくトゥバラーマが聞こえてきたのよ。それがもう、すばらしくて、ぞくぞくしてしまって。あんなすばらしい歌を聴いたのは初めてだったの。

 八重山の歌の中で、トゥバラーマが特に有名な理由は、その美しいメロディーと、多様な歌詞にあると思います。いわゆる、八重山古典民謡には、すばらしい曲がたくさんあるのですけれど、自分の気持ちを素直に入れられる歌というのは案外少ないものです。
 つまり、『鷲ぬ鳥節』も『小浜節』も『与那国ションカネー』も、どれもすばらしい歌ではあるけれども、その歌詞そのものを体験したり、その歌詞に自分の今の心境を乗せて歌うということは、むずかしいわけです。
 トゥバラーマはちがいます。恋の歌です。その歌の心は、多くの人にとって自分自身の心でもあるわけです。
 とはいえ、自分の愛する人に向かって「かぬーしゃーまーよー」と歌えるほど強い心臓はしていませんけれど。

 上に書いた西表での経験は、私のではなく、島袋純子さんが話してくれたものです。
 またまた古い話で恐縮です。1980年より少し前、島袋純子さんが、八重芸の部室に来られました。私は初めてお目にかかりましたが、前にも一度、部室に来られたそうで、先輩たちはよく知っているようでした。
 島袋純子さんは、私たちと一緒に、歌ったり踊ったり、お酒を飲んだり、まるで学生のように楽しんでおられました。そのときに聞いた話が、西表の海岸でのトゥバラーマなのです。古い記憶をたぐり寄せて書いていますので、このままの言葉ではなかったですけれど。
 十分にお酒を召し上がって、先輩が苦労しながら島袋純子さんにお引き取り願った後、
 「あの人、人形劇団の人なんだよ。おもしろい人だろ」
 と説明してくれました。
 インターネットで「島袋純子」さんを検索しても、人形劇団は出てきません。そこで、「人形劇団かじまやぁ」で検索しました。ありました。代表者の名前は「桑江純子」さん。姓が変わっていたのですね。

 この記事をご覧の方は、「おいおい、トゥバラーマだろう?なんか、こう、もっと感動的な思い出がありそうなもんだけど・・・」と、画面に向かって口をへの字に曲げておられるかもしれませんが、人生、それほど劇的ではありません。
 でも、いろんな場所で歌いましたよ。お祭り、民謡酒場、友人の親戚の家、発表会でも。どれも、大切な思い出です。あの島袋、いえ、桑江純子さんが経験されたような、トゥバラーマも、経験してみたいものです。

 波に映る月、涼しい風、トゥバラーマ。

2003,10