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しゅんどう(琉球舞踊)     
 「しゅんだう」と書かれていることもあります。旧仮名遣いです。伝統的な世界だからでしょうか、ちょくちょく旧仮名遣いが現われて、惑わされますね。
 さらに、「醜童」とか「春童」と書かれているプログラムも見た記憶があります。

 美女(の役)が二人登場し、踊ります。その後、醜女(の役)が二人。こちらは、衣装も地味で、おしりを突き出したり、ぴょこんと飛び上がったり、動きも滑稽。その対比で笑わせてくれます。
 「しゅんどう」の醜女の方は、お面をつけて登場するのが普通なのだそうです。ところが、私が最初に見た「しゅんどう」は、ほっぺを真っ赤にぬって、下がった眉を描いた「醜女の化粧をした人」が出てきました。一人は背が高く、一人は低いという「でこぼこコンビ」でした。が、今思えば、これは立ち方で身長差を強調して「でこぼこ」にしていたのかもしれません。
 後に、お面をつけた「しゅんどう」を見て、驚いてしまいました。こちらが普通なのに。

 どんな舞踊も極めることは難しいのでしょうけれど、この醜女の役は特に難しいのではないか。と思わせます。私が見たしゅんどうは、どの場合も醜女二人は「でこぼこコンビ」でした。おそらく立ち方で強調しているのだろうというのは、先ほど書いたとおりですが、この個性的な二人が、それぞれ違った動きをします。違っていながら、息が合っている。それがまた、笑わせてくれます。

 「泣かせる芸より、笑わせる芸の方が難しい」と誰かが言っていたかどうか知りませんが、私はそう思っています。しかも、上質な笑い=嘲笑や失笑、差別や優越感といったものとは別の笑いを作り出せる人は尊敬できます。
 手元にある『琉球舞踊』という本の中に、
 「心の冷たい美女と明るく誠実な醜女のユーモラスな物語は後世の沖縄の演劇に大きな影響を与えた」
 と書かれています。そのような内容だったのか、と今気づいているわけですが、「醜いことを笑う」のではなく、「男女の仲は器量だけでなく、縁で結ばれる(同著より)」というメッセージだとすれば、当時の笑いもなかなかレベルが高いですね。見ている側がそれに気づいているかどうかが問題ですが。

 琉球舞踊。しかも、「雑踊り」ではなく「古典舞踊」に分類される。ということは、御冠船踊り=中国からの冊封使を接待する踊りであったわけです。琉球王朝も、けっこう「楽しませる」ことを知っていたのですね。しかも、最後の演目だったと書かれていますよ。
 とすると、昔の人も、古典的古典舞踊だけでは楽しめなかったのかもしれませんね。途中で寝ている人もいたりして。最後の「しゅんどう」で、大いに笑って、お開き。だったのでしょうか。