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新かぬしゃがまよ(宮古)    
 題名に「新」とありますので、「新」じゃない「かぬしゃがまよ」もあるはずですけれど、私はその音源を持っていません。
 工工四には、「国吉源次補作詞」とありました。「新」の有無は歌詞の違いだけなのでしょうか。調べていません。

 明るいメロディーで、覚えやすく、歌詞もわかりやすいです。
 歌われている内容は、わかりやすいのです。「千里ぬ道まい一里だきてぃどぅ」や「海ぬ底だき」「高山ぬにゃん」など、恋する心を歌っています。
 「千里ん一里」は、トゥバラーマで聞いたことがある歌詞ですね。相手を強く思う気持ちを、海の深さや山の高さで表す手法もいくつか聞き覚えがあります。
「浦々ぬ深さ 名護浦ぬ深さ 名護ぬ美童ぬ 思い深さ」
 といった琉歌では、女性の愛情の深さを。海の深さにたとえて表現しています。また、沖縄の「仲順流り」や八重山の「無蔵念仏」では、親の愛情の深さを海の深さや山の高さに例えています。

 わかりやすいし覚えやすい。はずなのですが、私にはとっても難しい曲です。
 先ほど書きましたように、歌詞はわかりやすい。ところがです。発音ができません。一つ一つはなんとかなります。しかし、歌になって連続して出てくると、とたんにできなくなります。
 連続すると難しくなるというのは、ちょうど早口言葉のように「舌が回らない」という理由もありますが、もう一つ、音が繋がることで、別の音になってしまうという現象が、回らない舌をさらに重たくしてくれます。
 たとえば、「思ズ」(ズ=難しい発音です)に「や」をつけて「思ズや」と続く場合、CDを聞くと、「うむズざ」と聞こえます。「ズ」と「や」がくっついて、「ズざ」のようになるのです。
 英語でもありますよね。「THANK YOU」は「さんく ゆー」じゃなくて「さんきゅー」でしょ。
 そのうえ、工工四の歌詞の表記が必ずしも「妥当な線」とはいえないという問題もあります。

 つまり、工工四(歌詞)とCDがあっても、「文字は信じられないし、自分の耳はなおさらあやしい」だから「何と発音しているのかわからない」という箇所がそこかしこにあるわけです。

 こうなると、自分なりに覚えておいて、あとは宮古の人に聞いてもらって正しいかどうか判断を下してもらうしかありません。
 ところが、これまた難しい問題が。宮古方言のわからない私などが、一生懸命宮古の民謡を歌っていると、聞いてくれる宮古の人は「けなげに歌っているこの人の発音を、悪いだなんて言っては気の毒だ」と感じて「あば、うう゛ぁー宮古人さいが」なんて、うれしいことを言ってくれたりするのです。お世辞だろうとは思っていても、ついその言葉を信じて「私は正しい」と思いこんでしまう。そうなると、永遠に正しい発音がわからないままということになります。私たちは、いつも自分の歌を疑っておかなければなりません。

 歌そのものとは、まったく関係ない話ですが、あるCDに書かれた曲名が「かぬしゃまがよ」となっていました。きっと、大きな女性なんですね。

2003,8