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沖縄を返せ(沖縄)        
 「かたき土をやぶりて〜 民族の〜 怒りに燃ゆる島〜 おーきーいーなーわーよー」

 1978年。私がまだ学生になりたてで、三線も弾けず、歌も歌えなかったころ。八重芸のコンパの席で、先輩がこれを歌い始めたのです。八重芸ですから、伴奏はもちろん三線です。
 先輩の三線に合わせて、沖縄出身の先輩や同期生たちも大きな声で歌っていました。そうそう。三線を弾いていない先輩の一人は、確か握り拳を自分の前でスイングさせながら歌っていましたっけ。

 コンパの席にいた県外出身者は、それをあっけにとられて見ているだけ。復帰闘争に日本中が沸いていたと表現されるが、実際のところ、沖縄と本土との間には大きな溝があった・・・と書けば、このエピソード一つでずいぶんつっこんだ話が書けるかもしれませんが、実はこのコンパの席で「県外」は私だけでしたし、当時の私はといえば、他の民謡と同じように、とにかくみんなに着いていこうと懸命に声を出して追いかけておりました。歌の意味など、考える余裕もありません。歌っていたみんなも、深刻な雰囲気はなかったと思います。若者たちには、場を盛り上げる威勢の良い曲の一つという程度だったのでしょうか。政治的な香りは、まったくないのです。

 思えば、その時のコンパで三線を弾いていた先輩は、いかにも弾き慣れた風で、よどみなく『沖縄を返せ』を演奏していたのです。三線用の音楽ではないのですけれど、三線の世界がこの歌を取り込んでしまっているようでした。
 復帰してから6年後の、若者ですら記憶していたこの歌は、確かに「復帰闘争」のテーマソングだったようです。歌の力はすごいと思いますよね。


 私自身が、コンパの席で三線を弾く立場になったころ。おそらく何度かは『沖縄を返せ』を演奏して、みんなで歌ったはずなのですが、好んで演奏する曲ではなかったですね。

 歌詞の中の言葉です。

 「民族」=「民族」って、何?
 「我らの祖先」=「我ら」って?「祖先」って?
 「返せ」=いったい、どこへ「返す」の?

 上に書きましたように、この歌には、沖縄の人もその他の人も、首をかしげたくなる、すっきりしない部分があるのです。
 復帰という目標があるときは、それに目をつぶることができたのかもしれません。その後復帰が実現して、いえ、実現した復帰というものが理想とはかけ離れたものだとわかって、いえ、その理想とはかけ離れたものだろうことは、復帰前から予想できていたでしょうけれど。ともかく、復帰が現実になったことで、歌のすっきりしない部分が際だってきたような気がするのです。
 コンパで三線を弾く立場になっても、この歌をあまり好んで演奏しなかった理由の一つは、そこだったかもしれません。


 さて、現役の部員たちはどうでしょう。
 おそらく一度も歌ったことがないでしょう。そりゃあそうです。今の学生は、みんな復帰後に生まれたのですから。


 大工哲弘氏が、「沖縄を返せ」と繰り返す部分を「沖縄へ返せ」と変えて歌っているCDがあります。うまいこと言います。でも、それを歌い継ぐ土壌がない。テーマソングにする運動もない。
 氏の歌を聞いても、「うまいなあ」と言いながら、少し笑って溜息をつくだけになってしまうのでしょうか。それとも、変えて歌っていることすら、気づかない人ばかりなのでしょうか。


2004,6