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むんじゅる(琉球舞踊)     
 雑踊りになるそうです。
 古典舞踊と雑踊りの違いは、琉球王朝の時代に作られた舞踊か、廃藩置県後に作られたものか、の違いと思えばよいでしょう。

 八重山民謡ばかりで、琉球古典にはあまり興味がなかったはずなのですが、どういうわけか、何度か古典の舞台も見ていまして、しかも、そのうちのいくつかは記憶に残っています。この『むんじゅる』も記憶に残っている一つです。

 どこで見たのかは思い出せませんが、地方のお一人が照喜名朝一氏だったと記憶しています。照喜名朝一氏の歌は、力強くて好きでした。たぶん、記憶に残っている理由の一つが、照喜名朝一氏の歌声のせいだと思うのです。

 この踊りは、ある工工四によりますと、『早作田節』『むんじゅる節』『芋ぬ葉節』『月ぬ夜節』の4曲で構成されています。(一部別の曲の場合もあります)
 『むんじゅる節』がメインと考えてよいのでしょう。あるとき、宮里榮弘氏と『むんじゅる節』についてのお話をしていると、
 「粟国の歌ですよ」
 と教えてくださいました。琉球舞踊のファンなら常識的なことなのでしょうけれど、私はまったく知らなかったので、ちょっとびっくり。ちなみに、粟国島は宮里榮弘さんの生まれ島です。

 沖縄民謡にだって、島(村)の歌があるはずです。ところが、古くからレコードやカセットなどのメディアに乗せられてきたことで、島の民謡というよりも、歌手の民謡というイメージが強くなってしまいました。『本部ナークニー』なら山里ゆきさん。というように。宮里榮弘さんから「粟国の歌ですよ」と教えられたことで、「ああ、沖縄の歌にも、島があるんだよな」と、忘れていたことを思い出したような気分でした。
 古典の工工四に書かれた曲も、首里から見た「地方」の歌を集めてあるわけです。ですから、島や村の名前がついた歌がたくさんあります。でも、その島でどのように歌われてきたのかは、あまり気にされていないようですね。寂しいことです。

 『むんじゅる』の一鎖で『芋ぬ葉節』とありますが、私の記憶では『揚芋ぬ葉節』と書かれていた本があったように思います。この曲を初めて聞いたとき、聞き覚えがあったので驚きました。学生のときに、舞台で演じた「道歌(歩きながら歌う唄)」とそっくりなのです。そっくりではなくて、メロディーは「同じ」といってよいと思います。あの「道歌」は、たぶん石垣市平得の「種取り」で歌われる曲だったと思うのですが。
 『芋ぬ葉節』には、芋は出てきません。でも、舞台でやった道歌では、あたまにカズラ、つまり芋の蔓を巻いて歩きました。発祥は、石垣なのかもしれません。

2003,10