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真栄里節(八重山)         
 石垣空港から市街地へ向かう途中の集落が「平得(ひらえ)」で、海に近い方が「真栄里(まえざと)」です。小学校の名前は二つの集落の文字をとって「平真(へいしん)小学校」といいます。平得と真栄里を過ぎると、すぐに登野城に入ってしまいます。私のような、そこに暮らさない者には集落の境界線はわかりません。でも、住んでいる人は、自身のふるさとを「平得です」とか「真栄里です」と、きちんと区別しておられるにちがいありません。

 『真栄里節』は、この「真栄里村」を褒め称える歌で、『八重山民謡誌』(喜舎場永c著)によれば、廃藩置県後に作られたのだそうです。

 沖縄県内でも、八重山はすばらしい民謡が多いことで知られています。沖縄民謡を専門にする人でさえ、「八重山の民謡はすばらしい」と言う人がいるほどです。
 よく知られた八重山民謡といえば『とぅばらーま』『与那国しょんかねー』『小浜節』といった曲でしょう。では、その他にどのような歌が知られているのでしょうか。「八重山の民謡はすばらしい」と言ってくださる人であっても、それほどたくさんの曲名をあげることはできないと思うのです。つまり、すばらしい民謡が多いと言われながら、八重山民謡の中でよく知られた歌というのはそれほど多くないのです。八重山の民謡そのものが少ないわけではないのにです。つまり、八重山の民謡の多くは、一部の八重山民謡ファンを別にすれば、ほとんど知られていないといえそうです。
 この『真栄里節』も、ほとんど知られていない歌の一つに含まれてしまうだろうと思います。たとえば、『八重山古典民謡集/八重山古典民謡保存会』(マルフクレコード)と銘打たれた4枚組のCDに、『真栄里節』はありません。

 有名な『とぅばらーま』などと『真栄里節』は、どこが違うのでしょうか。
 『とぅばらーま』などは高音の印象的な、聞かせどころのはっきりとした、感情を込めて切々と歌い上げるような歌だと思います。聞いていて涙が出たとか、体が震えたとか、感情を揺さぶられるような曲といってよいでしょう。
 『真栄里節』は、本調子で(先ほどの三曲はすべて二揚)、最高音は〈七〉までありますが、全体としては感情を押さえた落ち着いた調子だといえそうです。歌い手の声の伸びだとか感情の高まりを見せつける(聞かせる)ことのできる曲ではないのです。この一曲を聞いただけで涙が出るとか、八重山民謡を堪能したと思えることはないでしょう。

 などと書きますと、「じゃあ、『真栄里節』は格下だというのか!」と叱られそうです。ちがいますよ。
 『真栄里節』は『とぅばらーま』などと比較すると、たしかに淡泊な印象を受けます。だからいいんですよ。八重山の歌全部が『とぅばらーま』みたいな曲だと、胸焼けしそうです。逆に『真栄里節』みたいな曲ばかりだと物足りなく感じるかもしれませんが。
 琉球古典や八重山民謡を学ぶ人は、「大節(うふぶし)」とか「大きな歌(曲)」といった表現をする場合があります。なにを基準に「大きい」とするのかは定かではありませんが(野村流の工工四では中巻に収録された曲。八重山古典民謡の場合は、コンクールの優秀賞課題曲以上という考えもあるようですが)これは学習している人にとっての「難度」と理解すればよいのではないでしょうか。
 つまり、歌に格上も格下もないわけで、いろんな曲があって八重山民謡の世界を作り上げているのだと思うのです。
 などと、私がとやかく言うまでもなく、『真栄里節』は「真栄里」のみなさんにとって、最も愛すべき歌の一つであり、宝物の一つだと思います。

 友人の親戚の家で食事をご馳走になる機会がありました。そこは、石垣の市街地からですと平真小学校の前あたりを右折、つまり真栄里の方に入ったところにある家でした。碁盤の目のように整然とした町並み。真栄里節に歌われているとおりです。
 食事をいただいた後、友人のご親戚のかたが、
 「八重芸でしょ?じゃあ、何か歌ってみてよ」
 こうなることは予想していました。心得ています。手ぐすね引いて待っていたのです。ここは真栄里。迷わず『真栄里節』を歌いました。内心「これはウケるだろう」と思っていました。
 3番までしっかり歌って、さあ、どんな反応が返ってくるかと待っていると、それほどでもありません。「真栄里の歌をよく知っているねえ」とか「良い歌だろう!」とか、何か反応があって、そこから「歌の通り、綺麗な町並みですよね」といった会話が弾むはずなのに、ご苦労様の拍手だけで、だれも『真栄里節』のことには触れてくれません。なんだか拍子抜けです。そこへ追い打ちを掛けるように、こうきました。
 「『とぅばらーま』は歌える?」
 ああ、ここ真栄里でも『とぅばらーま』なんだ。たしかに『とぅばらーま』はすばらしいけれど、『真栄里節』もいい歌じゃないか。しかもここは真栄里。この歌がもっと愛されていると思ったのに。

 後日、友人にこのときの感想を話したところ、
 「ああ、あそこはまだ平得なんだよ。真栄里はもっと下だから」

 え?真栄里じゃないの・・・『月夜浜節』にすべきだった・・・。

2004,1