古見ぬ浦節(八重山) |
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しっとりと、落ち着いた。という表現がぴったりなこの曲は、二揚の曲です。二揚というだけで、「声が高い!」と思いますよね。三線の一番高い音は〈七〉まで。ですが、歌声は一番高い音が〈五〉までしかありません。
『トゥバラーマ』や『小浜節』が〈九〉まで声を張り上げなければならないのに比べると、喉には楽な歌です。
ところが、この歌で聞き手を感動させようと思うと、『トゥバラーマ』などよりもずっと難しいと思います。
生まれて初めて、舞台の上で独唱をしたのがこの曲でした。八重芸2年目の夏合宿で場所は与那国島でした。
『古見の浦節』に決めたのは私です。なぜこの曲にしたのか?はっきり記憶していませんが、「この曲なら声が出るから」が理由だったのだろうと思います。工工四の最初に書いてあったので、馴染みがあったというのも理由だったかも。
とにかく、練習をして、覚えて、舞台で歌いました。失敗はしていなかったはずです。でも、先輩から言われました。
「ちゃんと歌っているんだけどよ。・・・・ぜんぜん味がないねえ」
それでも、歌った私は、なんとか最後まで歌いきったことには満足していたと思います。味のない歌を聴かされたお客さんは気の毒でしたけれど。
最近になって、歌の背景を理解していないことに気づき、調べてみました。そういう勉強もせずに歌っていたのだと思うと、恥ずかしくなります。だから味のない歌になったのか?いいえ。ヘタなだけです。
役人の乗る船が航海中に風雨に遭い、古見に避難。そこでブナレーマ(女性の名)と仲良くなったのですが、別れの時がやってくる。いよいよ出帆というときの別離の悲しみを歌っています。よくある話。とも言えそうですが、それを、花や沈伽羅の匂いといった美しい歌詞と美しいメロディーで、優雅な歌として完成させているところが、『古見ぬ浦節』のすばらしさでしょう。
琉球古典のことは詳しくありませんが、私の理解が正しければ、独唱に使われる曲はそれほど多くなかったと思います。八重山民謡の方が多いかもしれません。それは、独唱曲という範疇が比較的はっきりしている琉球古典に比べ、八重山民謡の独唱曲の範疇があいまいだからかもしれません。
それでも、『古見ぬ浦節』を独唱で聞くことは少ないように思います。最初に書きました「感動させるのに難しい」ということと、舞踊曲として有名になってしまっているからでしょう。もっと独唱で聞かせてほしい曲なんです。
少しだけ、舞踊の話を。
舞踊曲としての『古見ぬ浦節』には、普通、囃子がつきます。
女声 アッタラシャール クンヌラ シティリティナー ナギリティナ
男声 シティラルヌー ナギラルヌ アッタラシャール クンヌラ
この部分は単調なメロディーなのですが、それがかえって言葉の重みを感じさせます。
手元にあるCD『八重山民謡舞踊曲集1〜3』の中には、『古見ぬ浦節』が二つあります。一つは、『古見ぬ浦節』だけで踊るもの。もう一つは、『古見ぬ浦節/とぅばらーま』の二曲セットのものです。また、竹富島では舞踊『ささら銭太鼓』で、『古見ぬ浦節』のメロディーを使っています。
2004,5 |
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