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かたみ節(八重山)        
さてぃむ 目出度や くぬ御代に サー 祝いぬ 限りねらん
遊び楽しむ エースリ 我んや かたみくいら 千歳までぃん

 という歌い出しですので、おめでたい席にももってこいの歌です。
 比較的ゆっくりとした曲で、知っている人は知っている。ですから、みんなで歌うこともできます。重宝します。
 その上、エイサーにもよく使われているんですね。タイトルには(八重山)としていますが、沖縄の人は「え?八重山の歌なの?」と驚いておられるかもしれません。言葉も八重山ではなく「沖縄方言」ですので、沖縄の歌だと思っている人が多いでしょうね。でも、一応八重山発祥ということになっています。なっていなくても、八重山の民謡として覚えましたので、ここでは(八重山)と書かせてください。

 さて、題名の『かたみ節』は「固み節」とも「形見節」とも書かれることがあるようです。「かたみ」という発音だけですと、肩に担ぐのかとも思えますが、それはきっと違います。

 歌詞に登場するのは、男女の仲についてです。
 囃子詞の「我んや かたみくいら 千歳までぃん」については、
 「琉球民謡解説集(滝原康盛)」(琉球音楽楽譜研究所)には、「形見呉いら」という文字を当て「形見を渡す=死ぬまで共に過ごす」という意味にとっています。
 一方、「八重山民謡誌(喜舎場永c)」には、「夫婦の契りを千歳までも固めましょう」という訳が書かれています。

 前後しますが、その前の「遊び楽しむ エースリ」という囃子詞。これに思い出があります。
 ある時、部室で『かたみ節』を歌っていました。気持ちよく歌っていたのです。先輩たちもいましたが、歌っていたのは私だけでした。
 一番と二番を「遊び楽しむ エースリ」で歌ったあと、三番は「語れねんごろ エースリ」と歌ったとき、側にいた先輩が、
 「こら!八重山では、そんな歌い方はしないぞ!」
 と叱られました。

 叱られたことは覚えているのですが、どうして私が「語れねんごろ」という囃子詞を知っていたのか。それがよくわかりません。私がつくったわけじゃないですよ。どこかで聞いて覚えていたのです。ラジオかもしれません。いや、他の先輩がそういう風に歌っていたのかもしれません。

 「語れねんごろ」という囃子がどこかに載っていないかと、家にある本を調べてみました。
 「八重山古典民謡工工四(大浜安伴)」や、安室流の工工四にはありませんでした。「八重山民謡誌」にもありません。
 諦めかけていたところ、やっと見つけたのが「琉球芸能事典」(那覇出版社)でした。この中には「語りにんぐるに スリ」という囃子が書かれていました。
 「琉球芸能事典」は、ジャンルをきちんと分けて書いた本です。『かたみ節』も、「琉球舞踊(創作舞踊)」と「沖縄の民謡」と「八重山の民謡」の三カ所にそれぞれ書かれています。あの「語りにんぐるに スリ」は、どういうわけか「八重山の民謡」中の『かたみ節』に書かれていました。とすると、「八重山では、そんな歌い方はしない」わけでもなさそうですが。まあ、あの先輩の「かたみ節」には「語り・・・」は無いということでしょうね。
 同書の「琉球舞踊」の項目には、『かたみ節』について、こんな記述がありました。
 劇団「大伸座」の演目としてよく演じられていた総舞踊。全体は二曲構成で、前半はかたみ節、後半を祝い節でまとめてある。(中略)
 はやり民謡のかたみ節と祝い節の組み合わせは、芝居芸の特徴。(以下略)
 どうやら、沖縄芝居の中で『かたみ節』は流行した曲のようですね。ならば、お客さんの喜ぶように、いろいろな歌詞のアレンジがあったとしても頷ける話です。

(「大伸座」は、大宜見小太郎氏を座長として1949年に旗揚げをした沖縄芝居の劇団)

2004,3