GO MOUTH UNDER MOUTH 本文へジャンプ
ページトップへ
金細工(琉球舞踊)        
 「紅型を着て踊るようなものよりも、雑踊りの方がおもしろいよ。いろいろあるけれど、金細工はとってもおもしろいよ」

 『金細工』と書いて「かんぜーく」と読みます。

 首里出身の先輩が教えてくれたのでした。『金細工』はおもしろい。どうおもしろいのか。

 その時の、先輩の言葉を正確に覚えているわけではありませんが、先輩が私に伝えたかったことの一つは、後に本で知った「古典」と「雑踊り」の違いだったと思うのです。

 古典舞踊は、宮廷舞踊。衣装もきらびやかでまちがいなく素晴らしい芸術です。一方、雑踊りは庶民の生活を舞踊で表したものが多い。芝居との結びつきが強く、お客さんを楽しませることが一番。と考えてよいと思います。
 それが、衣装にも出ています。古典舞踊では、紅型がよく見られ、雑踊りでは絣や紺地など、庶民の着物が用いられます。

 金細工とは鍛冶屋のこと。舞踊では男役が装飾品(かんざしなど)を細工する職人の設定で、舞台に登場するときには天秤棒に加治屋の道具を下げています。
 登場人物は、あと二人。一人は遊女で、もう一人は親アンマー。つまり、遊女を抱えている女主人です。三人で踊るのもめずらしい。いや、「戻り駕籠」がありますか。

 踊りであって、芝居のようです。ストーリーは。
 男が女を「身請け」する。お金がない。道具を売ろう。売れない。身投げしようか。いいえ、私に模合のお金があるから。で、無事二人は添い遂げる。
 これだけの展開を歌と躍りで見せてくれるのです。おもしろそうでしょう。
 冷静に見ると、身請けするという話なのに、結局遊女の模合のお金でハッピーエンドを迎えている?一般常識では釈然としない展開なのですが、これが庶民の生きる力。ということでしょうね。

 加治屋、遊郭、遊女、親アンマー、身請け、模合と、当時(おそらく戦前まではこのような風俗があったのでしょう)の庶民の生活がわかるような気がしますよね。古典舞踊には、ぜったいに出てこない言葉と風俗と味わいです。
 古典が悪いわけではありません。表現しようとしている世界が違うのです。それを先輩も言いたかったのでしょう。

 残念ながら、私は今まで、『金細工』を舞台で見たことがありません。ビデオで見ただけです。
 軽快なリズム。「左手中位」の沖縄的音律。歌でありながら、すべてが台詞としてなりたっているというこの『金細工』を、一度生で見たいです。ビデオの1000倍はおもしろいはずです。

2003,11