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十九の春(歌謡曲?)     
 わたしんが〜 あなた〜んに〜 ほれた〜んの〜は〜〜  ときたもんだ。

 なぜか、三線でひく曲として人気が高い『十九の春』です。
 歌詞を見ても、メロディーを聞いても、なんともレトロ。三線が入っているとはいえ、演歌っぽいとも言えそうです。つまりは「おじさんやおばさんたち」の歌ですよね。(わたしも十二分におじさんですが)

 徹底的に「おじさん」「おばさん」であることを嫌い、「おじさん」「おばさん」的であることを否定する若者でも、なぜか、三線を弾く人はこの『十九の春』を弾きます。けっこう好んで。

 なぜだろうと考えてみたのですが、結局「共通語」というのが「キーワード」ではないかと。

 今ですと、『島唄』や『涙そうそう』など、共通語で歌える曲がいくつかあります。県外出身者で三線を練習する人が増えた原因の一つは、このような曲が増えてきたということも挙げられるでしょう。ありがたい時代になりました。
 まだそれほど三線が県外の人にもてはやされていない頃、そう、ようやく沖縄の中で、沖縄の民謡を見直し、若い人の中にも三線をやってみようという人が増えてきた頃。三線にのせて歌う曲はまだまだ方言ばかりでした。
 沖縄の若い人は(年配の人でも)、古典や民謡の方言が全く理解できないわけではなくても、どこか自分の言葉とは違った感覚があったでしょうね。
 そんなときに『十九の春』は三線に乗せて歌える共通語の歌として貴重だったでしょう。

 いろんな年代の人が集まった場所では、会話の中で年の差を感じることがあっても、三線を持ってくることでずいぶん打ち解けられるのではないでしょうか。そんな場所で、『十九の春』はどの年代の人もみんなが知っていて、いっしょに楽しめる貴重な歌の一つとなっているようです。
 つまり、この歌はどの年代にも通用する「共通語」ということでしょう。


 まだ三線を始めて2年目くらいだったと思います。先輩に呼ばれて、那覇市大道(首里から安里向けに坂を下りたあたり)の居酒屋へ行きました。飲みに行ったのではなくて、三線を弾きに行ったのです。開店祝いだったのでしょう(それも知らずに行っていました)、大勢のお客さんがいる店内で、ステージもありませんから、お客さん用の椅子に、普通に腰掛けて、二人で演奏しました。
 そのうち、お客さんが『十九の春』とリクエスト。このリクエストは、「歌わせてくれ」というリクエストです。先輩と二人で『十九の春』の伴奏です。
 サークルの飲み会でも演奏している曲ですので、とまどうこともなく伴奏していました。お客さんは機嫌良く歌っています。こちらも先輩と二人で、歌い手のリズムに合わせて笑顔で伴奏。ところが、演奏の途中で私の横にいた人が、
 「おまえは、弾くな」
 と私の肩をポンとたたいたのです。つまり、先輩の伴奏だけでいいという意味です。びっくりしました。演奏中にやめさせられることなんて、めったにありませんものね。
 今思えば、あのときの私の三線伴奏はひどいものだったに違いありません。私が弾かない方が歌が引き立つし歌いやすい。そういうことだったのでしょうね。
 歌が主役ではありますが、三線も美しく弾かなければならない。それを思い知らされた「事件」でした。

2003,9