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時代の流れ(沖縄)       
 九州地区大学間合宿共同授業という、楽しい行事がありました。文字通り、「九州地区の大学生」が集まって、「合宿」をしながら、「共同で授業を受ける」というものです。授業は各大学の先生が数名ずつ担当していたようです。他大学の先生の授業が聞ける。学生と交流ができる。しかも単位がもらえる(私が参加したときはもらえました)という、おいしい話でした。
 2003年は実施されないという噂を聞きましたが、それが本当ならもったいない話です。私は、1979年と80年に参加しました。
 参加できる人数は限られていて、琉球大学では2年生が中心に20名程度だったと記憶しています。八重芸の2年生は進んでこれに参加し、最後の夜に行われる大学間の懇親会=余興を盛り上げるという重要な役目がありました。
 琉球大学は、余興のトリ(最後)をつとめるというのが、この共同授業の不文律となっていました。そのため、琉球大学からの参加者は、当日までに2,3曲踊れるように練習してから沖縄を出発。出発してからも、船の中、宿舎、授業の合間など、練習に余念がありませんでした。踊りの講師は、もちろん八重芸の部員です。

 題名の「時代の流れ」をみんなで練習したのか?
 いいえ。違うのです。余興の演目は、マミドーマやクイチャーなど、みんなで踊れるものが中心です。「時代の流れ」では踊れません。

 共同授業の最後の夜。そろそろお酒がまわってきて、職員も学生もいい気持ちになってきたころ、琉球大学から参加していた職員の一人が、立ち上がって挨拶をしました。短い挨拶の最後に「この歌を聴いて下さい」と、懐から歌詞を書いたメモらしきものを取り出し、それを見ながら歌い始めました。「時代の流れ」でした。
 酔っているせいもあって、音程はめちゃくちゃ。歌詞もよく聴き取れません。ときどきひっかかって、歌い直したりするものですから、始めて聞く人には歌かどうかすらわからなかったのかもしれません。もっとも、きちんと歌ったとしても、方言のわからない人ばかりですから意味は通じなかったでしょうけれど。
 最初は静かに聞いていた人たちも、だんだん騒がしくなってきます。とうとう、その職員は「聞いてくれ!」と大きな声を出しました。すでに会場はその声すら耳に入らない状態でした。すると、別の大学の年配の職員が立ち上がり、歌い手の横に歩み寄って肩を組んだのです。
 歌が終わるまで、その職員はずっと肩を組んでいました。歌い手も、この一人を心の支えにして、最後まで歌いきりました。歌が終わると、二人は堅く握手をして、座りました。

 唐ぬ世から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 みじらさ変わたる くぬ沖縄

 あのときの職員が、ふらつく足で歌っていた「時代の流れ」は、学生たちに向かって沖縄の歴史と現状を訴えかけているようにも見えました。どんな民謡歌手の歌よりもすごかった。

 私にとって一番強く印象に残っている民謡の一つです。