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鳩間中森(八重山)        
 八重山民謡ファンのみなさんは、『鳩間節』といえばゆっくりとした歌い方を思い浮かべます。いえ、思い浮かべなくても、ゆっくりとした方を思い浮かべるべきなのだと思っています。
 鳩間島では、ゆっくりした方を『鳩間中森(ぱとぅまなかむり)』、早いほうは『鳩間早節』としているようです。「中森(なかむり)」の「むり」は、盛り上がった土地という意味だと思います。ですから、「中盛」という文字の方が意味としては合っていると思うのですが、どちらにするかは鳩間のみなさんにお任せするべきでしょうね。

 最初に『鳩間中森』を聞いたのは、1978年、八重芸に入ってすぐのことでした。先輩たちが取材してきた踊りを練習していたのです。先輩たちは『鳩間節(はとまぶし)』と呼んでいましたが、「本当は「中森」なんだって」と言っていたように思います。
 四つ竹を両手にもって、ゆっくりと歩く。手の動きもゆっくりとしています。心がワクワクするような踊りではありません。練習のたびに同じ踊りを見ることになります。練習ですから衣装もつけませんし、正直なところ飽きてしまいます。でも、飽きるほど見ると、なんとなく歌を覚えてしまっているんですよね。
 踊りで印象的だったのは、下手(しもて)に戻るときの動きでした。歌の終盤、4人の踊り手がやや斜めの一列になって、下手後方に向かって歩き始めます。お客さんに背中を見せながら戻るわけですが、歌の一番最後の「まさてぃみぐとぅ」のところで一度振り返るのです。その動きが、とても綺麗だと思いました。

 私が初めて鳩間島へ行ったのは1980年だったと思います。送水管が完成して、それまで天水に頼っていた生活から水道を利用できるようになりました。そのお祝いがあり、鳩間の芸能も見られるという話を聞いて、部員たち数名で鳩間へ渡りました。
 『鳩間千鳥節』など、島の芸能も興味深く拝見しましたが、一番印象深いのは島のみなさんの笑顔でした。式典の挨拶の間に、島のおじさんなのでしょう、おどけて、ホースから水を出してまき散らしたりしていらっしゃいました。

 初めて登った「中森」は、思ったよりも高い場所でした。灯台があって、北側は緑ばかり。南側には海、そして西表島が見えました。
 「カイダギ」という歌詞がありますが、それを「かい抱き」とする人と、「美滝」とする人がいるそうです。西表の滝が小さく見えます。
 西表まで、小さな船でこの海を渡り、田を耕したり、水を求めたりした人々を想像しながら、『鳩間中森』を歌うと、ゆったりと、良い気分になれます。

 当時の公民館は木造で、広さも普通の民家程度でした。あるいは、民家を改造したのかもしれません。公民館にはつきものの、舞台もありませんでした。
 OBになってから、八重芸の合宿で最初に鳩間に行ったときには、まだその古い公民館でした。発表会をどこでやるのかと思ったら、島のみなさんが、公民館の前にドラム缶と板で舞台を作り上げてくださったのです。それを見て、「そういえば、水が通ったお祝いのときもこうだったな」と思い出したものでした。
 その数年後に、また鳩間で合宿を行ったときには、新しい公民館になっていました。中には舞台もありました。島の人に、
 「前に見たときは、まだ古い公民館でした。新しい公民館になったのですね。昔の公民館が、味があってよかったなあ」
 と言いますと、ちょっと不機嫌な顔をなさいました。島の皆さんが苦労して新しい公民館を完成させ、島の生活を向上させようと努力しておられるのに、あの古い公民館がよかったなどと言うのは、島の人の気持ちを解さない、島の生活をわかっていない者の言うことです。恥ずかしい思い出です。

2004,2