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ハイサイおじさん(沖縄)       
 いわゆる、メジャーデビューは、1977年だったようですね。
 私は、1978年4月から沖縄で生活し始めたのですが、その前に「『ハイサイおじさん』」を聞いた記憶があるのです。1977年のメジャーデビューで、一躍有名になり、デビューしてすぐに大阪のラジオからも流れていたのでしょうか。あるいは、メジャーデビューする前から歌が注目されていて、マスコミがとりあげていたのかもしれません。

 八重芸に入ってからは、『ハイサイおじさん』に触れることはありませんでした。弾いてみたい曲だったはずですけれど、そのころの私には八重山以外の曲を演奏することは、考えられなかったのだと思います。ところが、思いがけず演奏する機会が巡ってきます。
 九州地区(沖縄を含む)の国立大学が、毎年合同授業というのをやっていて、それに参加する機会がありました。合宿のような形で、他大学の学生と交流しながら授業を受け、夜は交流会となります。沖縄から参加するメンバーは、「沖縄らしい余興」を求められるということで、合同授業に行く数日前から余興の練習=クイチャーなどを練習していました。三線を弾けるなら、持って行こうというわけで、私は三線を携えて参加することになったのですが、さて、何を演奏すればよいのか。八重山民謡もいいでしょうけれど、みんなが知っている歌、ノリの良い歌も一つくらい。そこで思いついたのが、『ハイサイおじさん』でした。
 どこからか歌詞を見つけてきて、覚えていたメロディーに乗せてみます。最初は言葉の速さにとまどいます。まるで早口言葉のようでした。が、なんとか2句覚えて、他大学の学生の前で歌いました。上手い演奏とはお世辞にも言えなかったはずですが、メロディーのもつ沖縄っぽさとリズムの楽しさで、他大学の学生からは拍手をいただけたと記憶しています。今でも、人前で演奏するときには、その歌の持つ魅力に拍手をいただけることがあっても、私自身の技量に拍手をいただけることはありません。

 その後、喜納昌吉氏が世界で活躍するようになり、『花』のヒットなどを経て、「『ハイサイおじさん』の喜納昌吉」だったのが「喜納昌吉の『ハイサイおじさん』」に変わります。
 おもしろいものです。歌は歌い手によって変化するだけかと思っていましたが、聞き手によって変化するものなのですね。私は喜納昌吉氏のファンでもなければ音楽史を調べたわけでもありませんが、初期の『ハイサイおじさん』と、最近のものとでは、スピードとリズムの取り方が違っていると思います。
 手元にあるオムニバス形式のCDに収録されている『ハイサイおじさん』は、初期の録音か、あるいは沖縄の民謡ファン向けの録音なのでしょう。たいへんゆっくりとしたテンポです。全体としては(特に女声のかけ声は)早弾きの「ッハッハ」という感じなのですが、喜納昌氏のかけ声からはまるで日本民謡の「エンヤトット」のような印象受け、驚きました。

 テレビで見た、喜納昌吉氏のコンサートの様子は、さきほどの『ハイサイおじさん』とは別のものでした。ものすごい速さ。縦ノリというのでしょうか、立ち上がったお客さんがぴょんぴょんと跳びはねている。(手だけはカチャーシーらしき動きをしているのですが)まるでロックコンサート(って、行ったこと無いですけど)です。

 昔は、だれも歌詞の解説などしてくれなかたのですが、今は私のように方言のわからない県外出身者のために、沖縄音楽について説明したわかりやすい本がいくつか出版されています。かの「おじさん」が実在の人物だったとか、喜納氏とおじさんとの関わりの中から生まれたとか、背景には戦争があるとか、歌に重みを持たせてくれます。

 ロックコンサートのような舞台、実話を基にしたという解説、どちらも私の『ハイサイおじさん』とはずいぶん違ったものです。これでいいのでしょうね。