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でんさ節(八重山)         
 なんとなく、なんとなくですけれど、
 『でんさ節』と書くと、八重山の歌。
 『でんさー節』と書くと、沖縄の歌。
 そんな感じじゃありませんか?

 首里に住んでいたときです。(当時の琉球大学は今の首里城の場所にあり、私が住んでいた男子寮は、今の県立芸大です)
 当蔵から、鳥堀へ向かう途中、左側に公民館のような建物があって、そこでラジオの収録が行われたのです。素人が民謡を歌う「のど自慢」のような番組でした。今もあるかもしれませんが。
 入場無料でした。入ってみました。
 司会者が、出演者と軽妙なやりとりをしながら、和やかに収録が進みます。でも、ときどき方言が混じるので、会場のみなさんが笑う場所で私一人笑えなかったりしました。
 出演者のお一人が、『でんさ節』を歌われたのです。たしか、八重山出身という紹介をしておられました。司会者が「本場の『でんさ節』を」とかなんとか言って、お客さんの興味を引いていました。ちょうどそのころ、私も『でんさ節』を練習していたので、この光景を覚えているのでしょう。自分の記憶に「覚えているのでしょう」という表現はおかしいですけど。
 たぶん、その人の歌をきいて、自分が練習している歌い方と違っているとか、歌詞が違うとか、いろいろ感じていたはずなんですけれど、そこまでは記憶していません。

 「でんさ節大会」というのが、西表島で年に一回行われています。八重山では『でんさ節』の歌い出しに「上原(ういばる)ぬでんさ」という歌詞を使うことが多いようです。上原は西表島の集落の一つです。鳩間島のの対岸あたりになります。
 八重山では、西表上原の歌というよりも、「八重山を代表する教訓歌」という不動の地位を気づいてしまっています。沖縄本島でも「八重山の歌らしいね」ということを知っている人も少なくありませんが、私の印象では、「沖縄民謡」として定着してしまっています。
 おもしろいのは、八重山では「教訓歌」としての『でんさ節』だけなのですけれど、沖縄民謡では「教訓歌」としてはもちろん、『イサヘイヨー』のチラシとしても有名で、歌詞も男女の恋の語らいになっています。教訓歌とは大違い。沖縄民謡の世界は、おもしろい歌をどんどん取り入れて、どんどん改作していきますね。

 『でんさ節』で、未だに困っていることがあるんです。
 「すーり でんさー」という返しを入れるべきかどうか。
 先輩からは「それは、沖縄民謡だ!八重山ではそんな返しは入れん!!」と言われましたが、八重山で歌うと、けっこう返してくれる人もいるんですよ。聞く人にとっても、ただ聞くだけよりも、返しを入れた方が楽しいでしょうね。
 というわけで、自分では先輩の言いつけを守って、ぜったいに返しを入れませんが、人が返してくれたときは、にっこりすることにしています。

2003,12