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だんじゅかりゆし(沖縄)     
 「かりゆし」という言葉は、「おめでたい」といった意味だ。と説明されることが多いわけですが、私の頭の中では、どうしても「航海安全」とか「旅立ち」といった言葉に結びついてしまいます。
 実際、移民や本土就職の船出のときには、この歌で送られたという話ですから、私の感覚もそれほどずれているわけではなさそうです。
 民謡酒場でも、聞くことがあります。最後の歌ということになっているようです。船を「送り出す」ときに歌われたように、お客さんを送り出すときの歌ということでしょうね。宴会の途中で歌ってわるいということもないようですよ。
 私は、民謡酒場以外に、PTAのコーラスでこの歌を聴いたことがあります。沖縄では、沖縄民謡(八重山、宮古を含む)や琉球古典をアレンジした合唱曲というのが普通にあります。おもしろいですよ。

 「かりゆし」の意味は上に書きましたが、「だんじゅ」はどうでしょう。ある日、与論島の知人からこんなメールをいただきました。

 沖縄の日常会話では「だんじゅ」って使いますか?また使う時はどのような時に使うのかご存知ないですか?使う場合、その「だんじゅ」は「だんじゅかりゆし」と 同じ意味合いを持つものでしょうか。
 今度 民謡小話で書く予定の記事で「だんじゅ」が出てきます。与論での使い方や意味としては 「どうりで 上手だと思った。」の「どうりで」であったり「なんだ、そうだったのか」などの意味を持ちます。

 与論と沖縄では言葉は似ていて、だいたい通じるようです。でも、同じ語句でも実生活での使われ方や意味合いに違いもあるでしょう。
 沖縄民謡の歌詞に出てくる「だんじゅ」は、その次の言葉を強調する意味で使われるようです。「いかにも」とか「なるほど」と訳されているのを読んだことがあります。与論の「どうりで」に近いかもしれませんが、違っているようですね。

 さて、沖縄で、日常会話に使われるのでしょうか。私の「沖縄の師匠」に電話をして尋ねてみました。

 師匠のお祖母様は「だんじゅが○○だったんだねー」といった使い方(実際は、「だったんだねー」も方言のはずですが)をなさっていたそうです。「やっぱり」とか「なるほど」といった意味合いのようです。これですと、与論と同じと考えてよさそうです。

だったら、『だんじゅかりゆし』とか『だんじゅ肝美らさ』の『だんじゅ』と、会話で使う『だんじゅ』とは意味が違うのかなあ」
 「同じ言葉でも、場面で意味が変わるからね」
 「ああ、なるほど。『シタイ』なんて、逆の意味になるしね」
 「そうそう。方言は難しいね」
 「方言で話をしていた人なのに?」
あい、おばあが亡くなって何年なるね。方言で話す相手がいなかったら、忘れていくさ。今は日本語ばっかりなのに」

 師匠が共通語を「日本語」と呼ぶのが、とてもしっくりきてしまいます。

 与論では30代の人でも普通に「だんじゅ」を使うそうですが、沖縄本島ではどうでしょう。広いですから「本島では」とひとくくりにはできませんが、与論のように30代で使っている人はいるでしょうか。私の師匠は、使わないそうです。