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鷲ぬ鳥節(八重山)       
 「ちゅーこーじょー ごーしーじょー こーちゅーじょー」

 私が最初に練習した曲が「鷲ぬ鳥節」でした。「ばすぃぬとぅるぃ」と発音するべきなのでしょうけれど、先輩たちは「ばすぃんとぅるぃ」と言っているように聞こえました。

 三線に触れるのも初めてなら、工工四も初めて。そして、この曲も初めてでした。知らないことを学ぶのですから、そこには「覚悟」があります。初めてがたくさん並んでも、それほど驚きはしませんでした。が、夏合宿の発表会でこの曲を演奏すると言われたときには、大いに驚きました。

 最初に教えられた曲ですから、当然「入門用」とか「練習用」の曲だと思っていたわけです。それが、いきなり舞台で使われる「芸能」になってしまったのです。
 この曲が、八重山ではめでたい席に欠かせない曲であり、知らない人がいないということ。そして、沖縄の人も「八重山民謡の代表的な曲」として認知している。ということを後から知りました。

 今でも、八重芸の新入部員が、たどたどしい指使いで「鷲ぬ鳥」を演奏していると、当時のことが思い出されます。彼らも最初は「入門用」としか思っていないのでしょうか。


 さて、この「鷲ぬ鳥節」は、もともと「鷲ゆんた」という歌があり、それを大宜味信智が「鷲ぬ鳥節」に改作したとされています。
 では、「鷲ゆんた」とは、どういう歌だったのか?
 石垣市大川の「仲間サカイ」という司(つかさ=祭祀を執り行う女性)が、「鷲」の巣立つのを見て、即興で作ったとも言われています。川平の人が作ったという説もあります。
 だれが作ったかはともかく、私が石垣島で聞いた「鷲ユンタ」は、三線を使わない「鷲ぬ鳥節」といったもので、メロディーにはほとんど違いがありませんでした。ところが、小浜島で聞いたものは、ずいぶん違っていました。メロディーも違うし、なによりも歌の表している世界が違っていました。
 「鷲ぬ鳥節」は、文字通り「鷲」の成長と雄飛を歌ったものですが、小浜島の「鷲ユンタ」は、くちばしが長くて、足も長い鳥で、浜辺でその長いくちばしでエサをさがしているような鳥の歌でした。つまり「鷲」ではないわけです。(だったら「鷲ユンタ」じゃなくて「バスィユンタ」とすべきですね)
 「わし」という言葉は、もともと「くちばし」という意味だという人がいます。つまり、くちばしの目立つ鳥だから「ハシ」→「わし」と呼ばれた。八重山の「バスィ」もくちばしの意味だろうと考えられます。
 だったら、「鷲」ではなく「くちばしの長い鳥」が「バスィ」と呼ばれてもいいかなと。

 いろいろなユンタの歌詞を見ると、内容の素朴さを感じるものです。ところが、この「仲間サカイ作・鷲ユンタ」だけは、あまりにも勇壮で、あまりにもめでたく、あまりにも美しい。だから「鷲ぬ鳥節」が「八重山を代表する曲」と言われるのですけれど、ユンタとしては他と違いすぎるような気がします。

 で、私の考え。石垣の「鷲ユンタ」は、「鷲ぬ鳥節」をそのまま使っているのではないか。
 もともとの「鷲ユンタ」は、小浜の「鷲ユンタ(バスィユンタと書くべきですが)」のようなものだったのではないか。

 なんて書くと、じゃあ「仲間サカイ」はどうなったとか、ユンタが節歌(三線伴奏のある歌)になるのであって、節歌がユンタになるはずがないとか言われそうです。が、私は本気で「バスィユンタ」の原型は足の長い鳥で、節歌からユンタが生まれることもある。と考えているのです。
 なんだか、とんでもない話になってしまいましたが、いろんな意味で思い出深い「鷲ぬ鳥節」です。

2003,6