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新安里屋ユンタ(八重山?)      
 八重山民謡で一番有名なのは「とぅばらーま」と答えるかもしれませんが、それは民謡ファンのみなさんの場合であって、一般的にはこの「安里屋ユンタ」の方が知名度が高いと思います。
 ただ、「安里屋ユンタ」を「八重山」と結びつけられる人は、やはり「民謡ファン」だと思います。一般の人は、「八重山民謡」という言葉すらわからないでしょうね。
 しかも、「安里屋ユンタ」だと思っている歌は「さー君は野中の・・・」で始まる「新安里屋ユンタ」であって、八重山古謡のユンタ、あるいは八重山民謡の工工四に載っている「安里屋ユンタ」とはちがっているわけです。

 「新安里屋ユンタ」を「安里屋ユンタ」と言ってはいけないのか?民謡ファンのみなさんには、区別していただきたいと個人的には望んでいますが、私が小学生だったか中学生だったか、とにかくずいぶん昔の話ですが、そのころの音楽の教科書に「安里屋ユンタ(はて?ユンタだったかゆんただったか・・・)」と、堂々と書かれていたと記憶しています。
 「新安里屋ユンタ」は、(1934年 星克 作詞 宮良長包 編曲)だそうですが、実はこの「作詞・編曲」された歌の題名には「新」がつけられておらず、そのまま「安里屋ユンタ」として発表されていたようです。
 となると、もとの題名は「新」がつかない「安里屋ユンタ」だったのですから、「安里屋ユンタ」と呼んでも間違ってはいない、というより、そのほうが本来の呼び方ということになります。ああ、ややこしい。

 『八重山民謡工工四(大浜安伴)』では八重山で歌われているものと区別するために「新」をつけてあります。どうやら「新」をつけて呼ぶのは、民謡ファンだけの「こだわり」と言えそうです。

 さらにこだわる人は、「安里屋ユンタを生み出した竹富島では、歌い方も内容も少し違っている」と言いたくなります。が、ここではすばらしい歌を作り出してくれた竹富島の人々とその風土に感謝するにとどめ、比較検討はよしておきますね。

 なぜ、この曲がこれほど世間に広まったのでしょうか。
 時代背景だとか、替歌がはやったとか、教科書に載ったという理由もあるのでしょうけれど、曲そのものを考えると、聞きやすさ、歌いやすさということがあげられるでしょうね。
 まず、七五調。正確には七七七五という、「都々逸(どどいつ)」と同じ。これは歌いやすいです。耳にも心地よいです。また、替歌にもしやすいです。「起承転結」ってありますよね。
 起=話を始めて
 承=それをふくらませ、
 転=少し違った方へ向けておいて、
 結=まとめる
 これを、七七七五にそのまま当てはめることができて、都合がよいのです。無理に起承転結を組み立てる必要もありませんけれど。
 次に、共通語であること。と同時に、囃子の部分は方言を残している点。すべて方言のままだったら、あるいは、囃子まで共通語的に変換してしまっていたら、このように流行することはなかったでしょう。民謡ファンとしては、すべて方言のままで流行してほしかったとは思いますけれど。
 そして、メロディー。私は、これが不思議なのです。
 この「新安里屋ユンタ」は、沖縄の歌として認知されていて、しかも流行した。なのに、琉球音階ではありません。メロディーそのものから沖縄っぽさを感じることは、あまりないと思うのです。ただ一カ所だけ、「かぬしゃまよ」の「ま」の音だけが特徴的です。この部分だけで、沖縄っぽい雰囲気を出しているのではないかと私は思っているのですが、音楽の専門家からは笑われてしまうかもしれません。
 あまりにも「沖縄」すぎず、でも、まったく「沖縄」を感じないわけでもない。この絶妙なバランスが「新安里屋ユンタ」を流行らせた。と私は考えています。