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アンガマ(八重山)      
 ソーロンがなしぬ うしゅまいだ しょっこうしらりな おったね しょっこうしおいさば とぅーさんなーさん かりおーり

 石垣市新川のアンガマです。
 1981年、3年生のときだったと思います。先輩が突然。

 「おまえ、地方やらんか」
 「え?でも、練習したことないですし、どんな歌を歌うかも知らないですよ」
 「だいじょうぶよ。やれな」
 「はい。で、用意する物は?」
 「サングラス」

 というわけで、話がまとまりました。なぜサングラスなのかは、後ほど。
 アンガマは、石垣島の多くの集落で昔から行われている、旧盆の行事で、旧暦7月13日から三日間続きます。そう、沖縄本島ではちょうどエイサーの時期です。が、エイサーは八重山ではあまり見られません。

 三線と太鼓の音も高らかに、あの世からウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)、地方や踊り手もいっしょにやって来ます。そして、村の家々を回って仏壇にお線香をあげ、その家の繁栄を祈ってくれます。歌や踊りを見せてくれたり、あの世のことを教えてくれたりもします。
 話をするのは、ウシュマイとンミーだけ。しかも、基本的に方言だけを使います。もし、あの世の話を聞きたければ、ウシュマイとンミーに、方言で質問をします。このとき、普通の声ではだめで、必ず裏声を使うのです。ウシュマイも、裏声で教えてくれます。
 「あの世へ行くときの決まりは?」
 「死んだら、息をしないこと」
 などという、笑える会話を、その家の人々と集まってきたギャラリーと共に楽しむわけです。

 地方の歌三線は、先輩と私の二人だけでした。最初に書いた呪文のような言葉は、アンガマの隊列が道を歩くときに歌う歌です。
 「ちがうよ。とーさん、じゃなくて、とぅーさん」
 まだ歩き始めたばかりなのに、このありさま。
 私はその日まで、アンガマを実際に見たことはありませんでした。なのに、地方をやったのですから、なんと恐ろしい。しかも、先ほど書きましたように、何を歌うかも知らずに参加しているんです。
 このとき、ちょうど夏合宿が終わったばかりで、三日間のアンガマの途中、歌いながら眠りそうになったことも何度かありました。歌も知らないし途中で眠ってしまいそうになるような私の面倒を見ながら地方をしていた先輩の苦労を思うと、申し訳ないことをしたなあと思います。が、同時に、貴重な体験をさせていただいて、たいへん感謝しています。

 先輩のおかげで、なんとか三日間のアンガマを終えることができました。石垣を離れる前に、友人の家へ挨拶に行くと、そのお母さんが、
 「昨日、テレビに出ていたってよ」
 私の顔を見て、笑顔で報告をしてくれました。「出ていたってよ」ということは、お母さんがテレビを見たわけではないようです。
 「隣のおばさんがね、ニュースで見たんだって。『内地の人が三線弾いていた』と言っていた」
 ああ、だったら僕のことだ。2軒目だったか3軒目だったか、テレビカメラが来ていたっけ。照明が眩しかったなあ。と思い出しながら世間話。ですが、あれ?『内地の人が三線』って、わかるはずがないんだけどな。
 私は見るからに「県外」の人です。が、アンガマのときには、浴衣姿にクバ笠をかぶり、そのうえサングラスをかけているのです。他のメンバーは、その上口元にタオルをまいて、ほとんど銀行強盗状態です。が、三線担当の私たちは口元が見えます。とはいえ、口元だけで「県外」と分かったのでしょうか?
 「本当に、内地の人だって、わかったんですか?」
 「うん。おばさんはそう言っていたよ」

 今考えると、あるいは、お母さんにかつがれていたのかもしれませんね。

2003,8