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赤またー節(八重山)      
 「あかまた」と聞きますと、沖縄の人は「ああ、毒のない蛇でしょう」と言います。言わなかったらごめんなさい。
 八重山の人は「ああ、お祭りでしょう」と言います。これまた言わなかったらごめんなさい。

 八重山には、「あかまた」という神の登場する豊年祭があります。この歌の「赤またー」は、まさにその神のことです。が、歌詞はその神のことにはふれていません。お祭りそのものを禁じることがないように、このお祭りだけは昔からの慣わしですので、どうか許してくださいと、役人にお願いするという内容なんです。

 学生のころ、初めて本格的に地方(じかた)を任された曲が、この『赤またー節』でした。舞踊の場合、一揚げ調子の『揚古見ぬ浦節』とセットで踊られます。『赤またー節』は本調子。途中で調子を変える必要があるんです。
 『赤またー節』一曲だけでも歌うのはけっこう大変なんです。歌詞の最初「くぬ」で声は〈七〉になります。それが〈五〉〈七〉と往復して、その後しばらくして〈七〉〈八〉と声を上げなければなりません。キーを落せば問題ないわけですが、一緒に演奏する先輩はC♯でも平気で歌ってらっしゃいました。それに合わせなければならなかったのです。まあ、若かったですし、勢いだけで歌っていました。

 二才踊りです。『赤またー節』は軽快な曲。琉球舞踊の『湊くり節(んなとぅくりぶし)』と類似した曲です。声さえ出れば、歌っていて気持ちの良い曲です。踊りは扇子。歌の抑揚と踊り手の歩み、足を踏みしめる動作と太鼓、踊り手も地方も、全員の気持ちがうまく合ったときには、大変気分のよいものです。
 続く『揚古見ぬ浦節』では「麾」という小道具を使います。「麾」は、沖縄本島では「ぜい」、八重山では「ざい」と呼ぶようです。扇子から麾に持ち帰る動作も踊りの一部です。地方は『赤またー節』のあと、男弦を一回の動作で一揚げに合わせます。踊り手が麾を構えたら、打ち出します。
 一揚げというめずらしい調子と、独特なリズムが相まって、前半の『赤またー節』とはまったく違った雰囲気を作り出します。紙でできた麾が、あるときは硬い棒のように、あるときは柔らかい布のように見えます。空気をたたく音が踊りを引き締めます。良い踊りの地方ができたときは、独唱とはまったくちがった満足感、充実感が味わえるものです。

 さて、私の思い出話に戻ります。
 春から練習を始めて、数ヶ月。やっと歌えるようになっても、地方(じかた)がすぐにできるわけではありませんでした。いえ、地方をすぐにやらされるのですけれど、満足にはできません。必ず速くなってしまうのです。歌がうまくないのはしかたないのです。今すぐにうまくなれと言われても、できません。でも、テンポが悪いのは絶対に許されません。踊り手が困るからです。歌うたびに速さが違っていたり、だんだん速くなってしまうような地方では、練習にならないのです。
 踊り手にも、一緒に地方をする先輩にも迷惑をかけながら、季節は冬。いよいよ舞台本番が近づいたある日。リハーサルを終えてほっとしていたときでした。一年上の先輩が私に耳打ちしてくれました。

 「おい、あのOB、今日のリハーサルを見て言っていたよ。おまえ、うまくなったなーって」

 この言葉には驚きました。誉められるなんてめったになかったですし。ちょっと、いえ、すごく嬉しくて、本番もなんだか気分良く歌えたような気がしました。声も、いつもより楽に出たような。

 でも、今考えると不思議なんです。あのOBは、どうして私に直接「うまくなった」と言ってくれなかったのだろうと。もしかすると、先輩の作り話だったのかもしれません。


2004,8