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あがろうざ節(八重山)     
 「八重山民謡誌」(喜舎場永c著)に、

 アガロウザ節(大川)

 とあります。あら?登野城じゃないの?と目を疑いましたが、解説を読みますと、
 大川から見て、東の里=あがろうざ=登野城。と言う説明。つまり、歌っている人は大川にいて、そこから登野城にクニブンギ(みかんの木)を植えてあって・・・という話になります。だから大川の歌。なるほど納得です。でも、登野城の人は「登野城の歌だ!」って言っていませんかね?
 それはともかく、八重山では民謡のベストテンに入るのではないかと思われるほど、みんなに愛されている歌だと思います。

 八重山では、子守というのは女の子の仕事だったようです。大人たちが仕事をしている間、子どもを預かるわけですが、兄姉が弟妹を見るという家族内の関係だけではなく、よその子=お金持ちや士族の子=を農家の女の子が預かって子守するということもあったようです。この場合、ただ単に「子どもを安全に預かる」というその場限りの仕事ではなくて、子守をした女の子とされたほうの子は、大人になってもつながりを持ち続けていたのだそうです。歌詞の中に、「大きくなったら、偉くなって、首里へ上って、おみやげを買ってきて」というような内容がありますが、これも、ずっとつながりを持ち続けているからこその約束ということでしょうか。
 と、あたかも、子守をしている女の子が作った歌のように書いていますが、作者は大人、しかも男性=大宜味信智=「鷲ぬ鳥節」の作者=で、「子守の様子を歌にした」ととされています。
 ですが、このような歌詞が作られてその後も歌われているということは、この歌の世界が現実とそれほどかけ離れてはいない。という証拠でしょう。

 「昔の八重山では、子どもが生まれたら、みかんの木を植えたらしいよ」
 と、だれかに聞いた覚えがあるのです。きっと、「八重山民謡誌」からの受け売りだろうと思って今ページをめくっているのですが、少なくとも「アガロウザ」の項目にはそのような話は載っていません。その代わりに、「アガロウザ節は、宮古島のトーガニゾーサー(ママ)と交換した」という話が載っています。つまり、八重山のあがろうざ節が宮古島へ行って「東里真中(あがズざとぅむなか)」になり、八重山には宮古島の「トーガニゾーサー」が持ち込まれたというわけです。
 「トーガニゾーサー」と書かれているのは、「トーガニスーザ」のことでしょう。この歌については、また別の機会に書くことにします。

 八重山の子守歌には、「こねまぬなーやー・・・」で始まる「昼の子守歌」や、「月ぬかいしゃー」で有名な「夜の子守歌」があります。
 この「あがろうざ節」は、子守の情景を歌った歌であり、子守歌そのものではないという人もいるようですが、これだけ有名になってしまうと、子守のときに歌う人だってでてきますよね。実際、「かあちゃんが歌って、弟をあやしていたのを、聞いたことあるよ」という友人もおりました。

 歌の中に「よーいー」と声をのばして切るところがあるのです。この部分が、いかにも子どもをあやしているような雰囲気なんです。「よーい」というのは、八重山や宮古では子どもをあやすときに使われる言葉でもあります。その次に、歌声は休んで、三線が〈四七五〉と返しを入れているような音。美しいです。美しいからこそ、ここの歌い方と三線の弾き方が難しいのですけど。